グランドキャニオン(その1)…1996年夏2010/01/19 23:23

  スタインベック著、大久保康雄訳
   『怒りの葡萄()
   1967年、新潮文庫
 
  ここへくると高い山々がそびえ立っている。アリゾナ州の高い山岳地帯にあるホルブルック、ウィンズロー、フラグスタッフの町々。やがて巨大な波のうねりのように起伏する広大な高原。アシュフォーク、キングマンの町々(訳注  この二つの町の間の距離でさえ百マイル以上ある)。そして、ふたたび岩石の山々。ここでは飲用水を山から運んでこなければならず、それを買わなければならない。やがてこのアリゾナ州の陽光にふやけたような荒れた山々から出ると、岸に緑の葦が生えているコロラド渓谷へ出る。アリゾナ州は、ここで終わる。この河を一つ越えるとカリフォルニアだ。そしてこぎれいな町を一つ過ぎる。ニードルズである。



 アメリカは13年ぶり、2回目の訪問。前回の訪問は学生の時で、アメリカのシンクタンクに招聘されて、研修に参加した。1か月ほど滞在して、カリフォルニア州、ニューヨーク、ワシントンDCを中心に滞在した。

しかし、社会人となっては、夏休みも長くとれない。この旅はラスベガス、ホノルルを拠点としたあわただしいものとなった。

ラスベガスからグランドキャニオンに出かける。すぐに砂漠地帯へと入る。ラスベガスが贅沢な人工の都市であることが分かる。 




 
 土産屋ではサソリの標本も売られていた。こんな過酷な環境の中でも生命が存在する。グランドキャニオンでは展望台からの見学、セスナでの遊覧飛行を体験する。赤土色をした岩肌が眼下に迫る。




グランドキャニオン(その2)…1996年夏2010/01/21 21:50

  エリコ・ロウ著
  『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』
  2001年、扶桑社文庫

  「大いなる神秘」は誰もに美しさを見る。烏が鷲になる必要はない。
  ――――――――――スクァミッシュ族の格言



 展望台に立つと、雄大な山々、というより岩々が見る者を圧倒する。不思議なくらい静寂な空気が漂っている。

環境保護のため安全柵も簡易なもので、転落事故も珍しくないと聞いていたので、足がすくむ。

鷹が悠々と大空を舞う。世界中から来ている観光客をどう見ているのだろうか。




セスナには酔ってしまう。快晴で風もほとんどなかったのに。気分が悪い中、絶景を見逃すまいと、吐き気をこらえて、必死の観覧と写真撮影。

フーバーダムの上空も飛行。社会科で習ったニューディール政策、テネシー川流域開発公社(TVA)という言葉を思い出す。

ビクトリアの滝…2004年夏(現地は冬)2010/01/24 20:34

  デイヴィッド・リヴィングストン(David Livingstone)
  『南アフリカにおける宣教師の旅と探検』
    (Missionary Travels and Reserches in South Africa
 
 これは私たちが北東に移動することを企てた地点だったので、私は翌日に地元民からはMosioatunya、古くはShongweと呼ばれていたビクトリア滝を訪れることを決意した。この国に入って以来、頻繁にこの滝のことを聞いた。実際、Sebituaneに質問されたことの一つは、「あなたの国には音がする煙があるか」というものだった。彼らはそれらを検証するために十分近くに行ったわけではないが、遠くから畏怖の気持ちを持って眺めていた。蒸気と騒音に関して、「Mosi oa tunya (そこでは煙が音をたてる)と言っていた。かつてはShongweと呼ばれていたが、私はその意味を確かめることはできなかった。(拙訳)


  知り合いが海外青年協力隊でウガンダに赴任していたので、そちらに行きたいと相談したところ、危険な地域なので来ないでほしいとのこと。

気分はアフリカに向かっていたので、その勢いでアフリカのどこかに行くことにした。短い夏休みで行ける南ア、ジンバブエ、ボツワナの旅程を見つけた。

 成田空港を出発して、シンガポール、ヨハネスブルクと経由し、ビクトリア・フォールズ空港に着く。成田を飛び立ってから実に32時間。南半球のアフリカはとにかく遠い。その日の夕方は、ザンベジ川のクルーズ、アフリカ風ディナーに出かけた。

ここに記すのは、その翌日の朝からビクトリアの滝を見学した時の話。ビクトリアの滝はジンバブエ、ザンビアにまたがる世界3大滝(他はナイヤガラ、イグアス)の一つ。

雨季だと水煙が多く、合羽を着てもびしょ濡れになる可能性もあるが、この季節はちょうどいい感じ。

 滝の数、落差、水量、大地の裂け具合……どれ一つとっても壮大なことこの上ない。下方を眺めると足がすくむ。






 デイヴィッド・リヴィングストン
(David Livingstone)の像が立つ。この滝を訪問した探検家で、ビクトリア女王の名前をつけた。

ザンビアとの国境を列車が走る。この橋を渡れば、ザンビア。一般の日本人だとジンバブエとザンビアの違いもよくわからないだろう。


 
 滝の上に虹がかかる。滝壷でアクティビティを楽しんでいる人もいる。 
 


ハワイ火山国立公園…2007年秋~冬2010/01/27 23:10

  よしもとばなな著
   『サウスポイント』
   2008年、中央公論社
 
 二週間後に、私は飛行機に乗った。ハワイ島行きの直行便だった。
 ハワイ島の空港についたとたんに、はりつめていた気持ちががくっと抜けた。
  なんてのんびりした空港だろうと思ったのだ。唯一行ったことがあるオアフとはまるで違う。
  空気がむわっと暑くて、私はさっそく靴下を脱いではおっていた上着をバッグに押し込み、革靴をサンダルにはきかえた。


 
 1か月弱のアメリカ研修の旅に参加。ワシントンDCから順に西へと移動して、最後の滞在地はホノルル。この日はオアフ島から一番大きな島であるハワイ島のヒロへ飛んだ。
 忙しい日帰りのスケジュールなので、観光する余裕はないと思ったが、なんとハワイ火山国立公園を案内してくれるとのこと。


 あいにくの大雨。視界が悪くて、遠くまで見えない。それでも、キラウエア火山のハレマウマウ火口を覗くこともできたし、溶岩の上を歩くこともできた。天気が良い時にまた来てみたい。

  
 火山の女神はペレと呼ばれている。最初に訪れたキラウエア・ビジター・センターには展示物、映像などがあって、ペレについての説明があった。雨で煙る中、ペレへの貢物が浮かび上がる。

ハーフペニー橋…1997年夏2010/01/30 08:53

  ジェイムズ・ジョイス著、柳瀬尚紀訳                     
  『ダブリーナーズ』  
  2009年、新潮文庫    

 渡し舟の船賃を払って、リフィー川を渡った。乗り合わせたのは二人の人夫と鞄を提げたユダヤ人だった。僕らはいかめしいくらいに大真面目になり、それでも束の間の船旅の間に一度互いに目が合うと、けたけた笑い出してしまった。岸へ上がって、三本マストの優美な帆船の荷下ろしを見物した。


 ロンドンに滞在してから、ダブリンに入ったこともあり、欧州の首都にしてはこじんまりとしたこの街がしっくりと馴染む。ロンドンに比べると、車の排気ガスがちょっと臭いのが気になる。
 アイルランドと言うと、うら寂しい、停滞したイメージもあったが、観光客は多く、賑わいを見せている。観光名所のほとんどは歩いて回れる。
 市内を流れているリフィー川。そこにかかるハーフペニー橋はダブリンの名所でもある。橋の名称は、かつて通行料として、半ペニーを徴収していたことからきている。こんな小さな橋で料金をとっていたのが不思議に思われる。歩行者専用の地味な橋である。