ノートルダム寺院…1998年夏2010/03/02 22:53

 ユゴー著、佐藤朔訳
 『レ・ミゼラブル(一)』
 1967年、新潮文庫

 ミリエル氏が司教に昇進してしばらくしてから、他の数名の司教と一緒に、皇帝によって帝国の男爵にされた。周知のように、法王の逮捕は、一八〇九年七月五日の夜から六日にかけて行われた。このおりに、ミリエル氏は、パリで召集されたフランスとイタリアの司教会議に、ナポレオンから呼ばれていた。この会議は、ノートル・ダム寺院で、フェッシュ枢機卿を議長として一八一一年六月五日に初めて開かれた。ミリエル氏はそこに出席した九十五人の司教の一人だった。しかしただ一回の会議と、三、四回の特別協議会にしか出席しなかった。山間の教区の司教として、田舎者らしさと貧しさの中で、自然のすぐそばで暮らしていた彼は、身分の高い人びとの間に、会議の空気を一変させたほどの思想を持ち込んだらしい。彼はすぐにディーニュに引返してしまった。どうしてそんなに早く帰ってきたかと訊かれて、彼はこう答えた。「わたしのいることがみんなの邪魔になったのだ。外部の空気が、わたしと一緒に入ったのでね。ドアがあけっぱなしのような気持にさせたのですよ」



 パリのシテ島にある大聖堂。ディズニーのアニメ『ノートルダムの鐘』はあまりにも有名。原作はユゴーだけど、アニメの方のイメージが強い。ストーリーはかなり異なる。ユゴーの原作はおどろおどろしい内容だから、そのままアニメにするわけにはいかないのだろう。

 アニメの紹介ついでにいうと、日本のアニメ『ラ・セーヌの星』でも主人公のシモーヌはシテ島の住人だった。花屋の娘という設定。始まりの歌だったか、フランス語のせりふがあって、これがやけに美しい響きだったのを覚えている。

 シテ島という名前からフェリーでも使っていくのかと思っていたが、普通に橋を渡って陸路で行ける中州の島。島という実感がない。ノートルダム寺院はフランスのローマン・カトリック教会の総本山であり、ゴシック建築の最高傑作でもある。とげのある尖塔、バラ窓が特徴的で、少々威圧感がある。
 

カイザー・ヴィルヘルム記念教会…2001年夏2010/03/05 22:17

 森 鴎外著
 「かのように」
 『阿部一族・舞姫』
 1968年、新潮文庫

  ドイツは内治の上では、全く宗教を異にしている北と南とを擣きくるめて、人心の帰嚮を繰って行かなくてはならないし、外交の上でも、いかに勢力を失墜しているとは云え、まだ深い根柢を持っているロオマ法王を計算の外に置くことは出来ない。それだからドイツの政治は、旧教の南ドイツを逆わないように抑えていて、北ドイツの新教の精神で、文化の進歩を謀って行かなくてはならない。それには君主が宗教上の、しっかりした基礎を持っていなくてはならない。その基礎が新教神学に置いてある。


 ローマからチューリヒ経由でベルリン入り。できるだけドイツ語を話そうとするが、タクシーの運転手の英語は完璧。乱暴なローマのタクシーの運転と対照的に、安全運転で、見所を説明してくれる。驚くほど紳士的。緑美しい公園、整然とした街並みも好印象。
 ホテルにチェックインして、一休みした後、夕暮れ時のベルリンの繁華街を歩く。一つ一つの建物が大きい。移動した直後だけに、ハードに感じる。その建物は突如現れる。異様な建物にギョッとさせられる。
 日本と同様、枢軸国ドイツは連合国の空襲に苦しめられた。この教会は、広島の原爆ドームのように戦争の記憶を風化させないため保存されている。1943年の空襲で破壊された。カイザー・ヴィルヘルム記念教会はプロテスタントの教会で19世紀末に完成した。その横に新しい教会が建設された。

クライストチャーチ大聖堂…1997年春(現地は秋)2010/03/09 21:45

 ポール・クリーヴ著、松田和也訳
 『清掃魔』
 2008年、柏書房

 いつもと同じクライストチャーチの朝。早くも退屈。ワードローブの服を見るが、どれも大してぱっとしない。適当に服を選んで、朝食。トースト。コーヒー。いつもそれだけだ。金魚相手に、カレンやらスチュワートやら「ナフィンク」の連中の話をする。金魚は熱心に俺の話を聞いている。その忠節に免じて餌をやる。


 初めての南半球への旅行。時差はほとんどなく、ひたすら飛行機は南下する。オークランドでいったん降りて、空港内のカフェテリアで時間を潰す。南半球を上にした大きな世界地図が掲示されていて、南半球に来た実感が。
 モナ・ベイル庭園などをざっと見て、ホテルにチェックイン。その後、クライストチャーチをはじめて散策する。日曜日だったか、休みの店が多く、閑散としている。ちょっと寂しい。この時、ニュージーランドは大胆な規制改革で活力を取り戻した国として注目されていた。それだけに、ちょっとイメージが異なる。
  大学時代の友人がクライストチャーチに遊学していて、美しい絵葉書をたびたびもらった。勿論、クライストチャーチ大聖堂の写真のカードもあった。


   クライストチャーチのシンボルでもある英国国教会の教会。市内の繁華街にあるが、ゆったりした空間にはまっている。


ジュメイラ・モスク…2006年夏2010/03/12 22:08

  井筒俊彦著
 『イスラーム文化―その根底にあるもの―』
 岩波文庫、1991年

 とにかく西洋文明をモデルにして近代化を進めようとすると、アウグスティヌスのいわゆる「神の国」と「地の国」とを事実上どうしても分離せざるを得ない。しかし、そうすることは、イスラーム本来の精神にもとることなのです。聖俗を分離することなしに、しかもイスラーム社会を科学技術的に近代化することが果たしてできるだろうか--それが現在すべてのイスラーム国家が直面している、いやでも直面せざるをえない、大問題なのです。



 イスラム圏への本格的な旅は初めてである。とはいっても、アラブ首長国連邦のドバイは9割近くが外国人というのだから、実態は異なるのかもしれない。
 夏のドバイの気温は40℃~50℃、湿度100%が普通。朝ホテルを出て散歩するが、流れ出る汗の量は半端ではなく、目に入って痛い。勢いで1時間近く歩いたが、衣服が汗浸しになってしまった。汗で衣服が信じられくらい重たくなっている。ホテルに戻って着替える。
 もうタクシー以外の移動は考えられない。目の前にあるショッピングセンターに行くのでさえ、横断歩道の信号がなかなか青にならないこともあって、タクシーに頼る。こんな暑い中、建設労働者は外で働いている。過酷そのものだ。
 翌年、アメリカに滞在している時、ホームパーティの席で「ドバイは楽しくて、いいとこだ」と言ったら、パキスタン系の人に「出稼ぎ労働者は悲惨な状態にある。日本政府に働きかけて、是正させろ」とお叱りを受けたこともある。
 猛暑であることと、イスラム教徒以外の見学は禁止、あるいは時間限定というモスクが大半なので、車の中から、あるいはちょっと外に出て眺める程度。ドバイのジュメイラ・モスク。ここは見学できるのだが、曜日と時間が限られている。ドバイ一美しいモスクとの定評もある。高級リゾートビーチ、高級住宅が集中する地区。二つの高い塔が天を貫く様は壮観だ。

キング・ファイサル・モスク…2006年夏2010/03/16 21:29

 イブン・バットゥータ著、前嶋信次訳
 『三大陸周遊記 抄』、
 2004年、中公文庫BIBLIO

  船頭達は、その卵を集めてゆでて食べ、次には親鳥をたくさんに捕え、喉を切って殺さずに、煮て食べ始めた。わたくしのそばにマスィーラ島の商人でムスリム という者がいて、水夫らとともに、その小鳥を食べているので、それはイスラム教徒にとって違法だとたしなめてやった。彼は恥じて「喉を切って殺したものと ばかり思っておりましたので……」と言い訳をしたが、それからわたくしを敬遠し、呼ばなければ来なくなってしまった。



 アラブ首長国連邦はその名の通り、連邦国家である。州、共和国から成る連邦ではなく、複数の首長国が構成員である。ドバイから車で30分くらい行ったところに、シャルジャ市がある。シャルジャ市はドバイとは別の首長国、すなわちシャルジャ首長国の首都である。
 ドバイに比較して、アルコールの制限も徹底している。観光客にも適用されるので、ホテルでもアルコールの提供はないようだ。

 
  このシャルジャ市にキング・ファイサル・モスクがある。そうしたシャルジャのモスクだから、自由に異教徒が観光や見学できるような施設ではない。
  アラブ首長国で最大のモスクであり、この首長国は戒律も厳格というから、一層おごそかな印象を受ける。

龍山寺…1998年夏2010/03/19 21:46

  司馬遼太郎著
 『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
 2009年、朝日文庫

 台北の大繁昌をみると、たれもが思想家になる。ネオンの氾濫や車のひしめき、あるいは歩道の波立ちをみると、台湾の資本主義は少年のように元気にあふれている。いまのうちに、漢民族的資本主義のよきモデルを台湾でつくる必要があるのではないか。



 滞在していた台北のホテルから、タクシーで寺に向かう。このお寺はガジュマルにまつわる逸話がある。ある人が観音菩薩を持ってここにお参りし、ガジュマルの木にその像をぶら下げたところ、夜中に光を放ったという話。それにあやかって、寺が建立された
  やはり広東、台湾など気温の高い地域では、熱帯性の樹木が関わってくるのだろうか。後に紹介したいと思うが、広州の六榕寺もガジュマルと深い関係にある。宗教・新興に関する樹木は地域性と切り離せない。ブッダは菩提樹の下で悟りを得たというし、コーランにはナツメヤシという言葉が多く出てくる。


 龍山寺は福建省出身の人々によって建立された。台北市内では最古の寺院で、外国人も含めて多くの観光客が訪れる。多数の神様が祀られており、庶民生活に根差した信仰の拠点である。この界隈、蛇料理の店もあって、猥雑な雰囲気をかもし出しているが、入る気はおこらない。それに朝早くの拝観だったため、ほとんどの店はしまっていた。

仏国寺…2002年夏2010/03/23 23:08

  金素雲  訳編
 『朝鮮童謡選』
 1972年、岩波文庫

 「市ずくし」
 駆けっくらの  慶州(競走)市
 慶州市に  出たなれど
 息がきれて  止め申した。



 韓国の釜山から高速バスに乗って、慶州に向かう。慶州に着くと、汚い地図を持った老人が近寄ってきた。当然のことながら、相手にしない。
 慶州に来た以上、仏国寺(プルグクサ)を見なくては話にならない。さらに路線バスに乗る必要があるが、非常に分かりにくい。何とかバスを見つけ、乗車する。バスはかなり山奥まで入る。
 山奥に巨大な寺が現れる。最初は新羅時代に建立されたが、その後は焼失、破壊などによって、何度か改修されている。
 
 境内に入るための門は二つある。これは紫霞門で、階段の下段が青雲橋、上段が白雲橋と呼ばれている。


 これが大雄殿と呼ばれる本殿である。釈迦牟尼、菩薩像が ある。大雄殿の奥には無説殿がある。仏国寺(プルグクサ)は日本によくある寺にも似ている。たとえば飛鳥文化は高句麗、百済、新羅のすべてから影響を受けているようだ。


 大雄殿前の境内ある一つの塔。釈迦塔と対をなすもので、こちらは多宝塔と呼ばれる。花崗岩が原料で、高さはおよそ10メートル。芸術的にも高い完成度をはじめ、女性的な美を感じさせるとの評価を得ている。



旗後天后宮…2007年夏2010/03/26 23:10

 司馬遼太郎著
 『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
 2009年、朝日文庫

   高雄は、街衢が整然として、札幌に似た街だった。四月五日の午後、家内と一緒に散歩をした。
   市内を大きな川が流れている。河岸が細長く公園になっていて、河口近くまで歩いていると、犬を散歩させている四十くらいの女性と、ふしぎな動物を抱いている五十くらいの男性にあった。



 台湾の高雄市。この時はまだ地下鉄もなく、徒歩かタクシーを中心に行動するしかなかった。ホテルからタクシーに乗って、鼓山フェリー乗り場へ。旗津という港に着く。わずか10分ほどの航行。
 目的地の旗後天后宮はすぐ見つかる。高雄最古の廟ということで、航海の守護身である媽祖が祀られているとのこと。
 何やら世俗的で、賑やかな雰囲気。いかにも道教の寺院という趣があり、庶民の生活信仰に根ざしていて、しっくりと馴染む印象。朝早い時間に出てきたので、人出はそれほど多くない。

黄大仙寺…1999年春2010/03/30 21:36

  ドロシー・ギルマン著、柳沢由実子訳
 1991年、集英社文庫
 『おばちゃまは香港スパイ』

 びっくりするようなことがミセス・ポリファックスを待ち受けていた。
 土地というものが、ごくごく貴重なこの島で、デットウィラーは ヴィクトリア・ピークのふもとの、見るからに高級住宅地と思われる区域に住んでいた。そこは街路樹が美しい気持ちのよい通りで、土地がないことなどまった く心配のない人々のための地域だった。きれいに刈り込まれた芝生が家と家の間に広がっていた。



  広州から香港に列車で戻ってくる。香港ははじめてではないが、まだ見ていなかった黄大仙寺を訪問する。香港は手狭なので、行動は行き当たりばったりでもいい。行き先が決まれば、あとは短い時間で移動するだけ。
  黄大仙寺は地下鉄の駅からも近く、とても便利。狭い香港にこんなに立派な寺があるなんて意外。線香の煙がものすごい。道教の寺院。家族みんなで願い事をす る人たちも。


 見ての通り、高層マンションも近くにある。こんなお寺の間近に迫っているのが不思議に思われる。土地が高い香港では、小さなワン ルームの部屋でもかなりの家賃をとられるらしい。狭い部屋をシェアして、現地で働いている日本人の女性もけっこういると聞く。