ピッツバーグのデュケイン砦・ピット砦…1997年秋2010/08/13 07:29

アンドリュー・カーネギー著、坂西志保訳
『カーネギー自伝』
2002年、中公文庫

 一八五〇年のピッツバーグは、その後の発達にくらべて大変違ったものであった。市は、まだ一八四五年四月十日の大火から回復していなかった。この火事は、町の繁華街を全部焼いてしまったのである。家屋はほとんどみな木造で、煉瓦の建物は少なく、耐火建築など全然なかった。ピッツバーグとその近郊の人口は全部入れても四万を少し超したばかりであった。町の商店街はまだ五番街まで伸びず、静かな通りで、劇場が一つあったのが人目についた。フェデラル通りとアリゲニー・シティは、また商社がところどころぽつりとあり、その間には広い空地があった。こんにちの五番街のまん中で、私はスケートをしたのを憶えている。私たちのユニオン鉄工所のあるところは、当時、またその後長い間、キャベツ畑であった。



 ピッツバーグはアメリカのペンシルバニア州にある都市。世界的にも評価が高いカーネギーメロン大学がある。その名からも分るように、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの活躍により、ピッツバーグはアメリカ有数の企業城下町として発達した。しかし、鉄鋼業は衰退し、産業空洞化が加速したが、見事に他の産業を発展させ、復活した。そのため、ピッツバーグは「再生の街」として注目されてきた。ピッツバーグの街は高層ビル、緑、水辺がマッチして、おしゃれでこぎれいだ。

 短いがゆえに、アメリカの歴史はダイナミックだ。このピッツバーグはフランス人の入植によって築かれた。イギリス軍が攻め立てて、フランス軍を脅かす。フランス軍は英軍を撃退し、デュケイン砦を築く。この標識はデュケイン砦があったことを示すもの。


 その後、英軍が反撃し、フランス軍を追い出すことに成功した。今度は英国の首相ウィリアム・ピットの名前をつけたピット砦がつくられた。こちらの標識はピット砦があったことが記されている。この砦を軸に英国はオハイオ渓谷での基礎固めを確実なものにする。ピッツバーグという名前は、文字通り「ピットの都市」という意味。


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