高等国際問題研究大学院(SAIS)…1983年夏2011/05/03 07:30

フランシス・フクヤマ著、会田弘継訳
『アメリカの終わり』
2006年、講談社

  冷戦の初期において、ジョン・F・ケネディやヒューバート・ハンフリーからポール・ニッツェやジョージ・ケナンにいたる幅広いアメリカ人が、共産圏の全体主義は独特な形をした悪の象徴であると考えた。



  日本の大学院を休学して、ジョンズ・ホプキンス大学の大学院に留学していた女性に現地で会った。この大学はメリーランド州ボルチモアに本拠地を置く私立大学。最高レベルの大学であり、特に医学では世界最高水準にある。国際関係学の大学院はワシントンDCの周辺にあり、そのキャンパスを紹介してもらった。
 ジョンズ・ホプキンス大学ポール・H・ニッツェ高等国際問題研究大学院(SAIS)は国際的にも高い評価を得ている。ポール・ニッツェとはこの大学院の創設者であり、核戦略などアメリカの外交政策の中核に関わった人物である。
 2007年のアメリカ研修プログラムでお世話になったNPO団体の役職者もジョンズ・ホプキンス大学で博士号をとったとのこと。アメリカの大学院は文化系も含めて、名実共に優れているところが少なくないし、しっかり人材を育てている。


エジンバラのフェテス・コレッジ(その1)…2008年夏2011/05/06 07:22

細谷雄一著
『倫理的な戦争--トニー・ブレアの栄光と挫折--』
慶応義塾大学出版会、2009年

 イングランド北部のダーラムで幼少時代を過ごしたトニー・ブレアは、その後スコットランドの名門パブリック・スクールであるフェッツ・コレッジに入学した。 1960年代の社会変動の時代に、伝統を重んじる窮屈な私立学校で学ぶ若きブレアは、少なからぬ違和感を覚えた。彼はそこではあたたかい思い出をあまり残すこともなかった。ちなみにフェッツの英語教師でブレアの寮監であったエリック・アンダーソンは、少年時代のブレアについて、彼がかつて出会った中では「最も挑戦的な少年」であったと回顧している。



 英国のエリート・パブリックスクールといえば、誰もがロンドンのイートン校の名前を思い浮かべるだろう。


 パブリックというと公共という意味で、公立と勘違いするが、私立の一貫校である。イングランドがイートン校だとしたら、スコットランドではフェテス・コレッジが代表格になる。


 だからこの学校はスコットランドのイートンとも称される。トニー・ブレア元首相もこのフェテス・コレッジの卒業生。


 ブレアが長らく首相をやっていたこともあり、日本でもこのフェテス・コレッジに注目する人が多くなった。エジンバラの中心街からちょっと離れたところにこの学校はある。


エジンバラのフェテス・コレッジ(その2)…2008年夏2011/05/10 20:35

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
「大蛇の背中」
『貧者の晩餐会』
2004年、早川書房

   そう。エジンバラは安全ではなかった。断じて。通りはどこもすさんでいた。裕福な者たちは旧市街を捨て、ノース・ロッホ(かつてエジンバラ市内にあった沼地。現在のウェイヴァリー駅あたり)へと移り住みつつあった。彼らはプリシンズ通りかジョージ通りに住んでいた。いや、悪臭に耐えられなくなるまではそこに住んでいた、と言うべきか。あの頃のノース・ロッホは蓋なしの下水も同然で、旧市街も似たり寄ったりだった。

 

 日本の普通のガイドブックにはフェテス・コレッジのことは掲載されていない。通常の観光コースにはない。『エジンバラ A to Z』という詳しい地図を見ながら、二階建てのバスを乗りこなす。


 二階建てバスは座れる席が多いので、乗客の視点からするととてもいい。バスに乗っていると、風景が市街地から郊外型へと変化していく。少し寂しい地域のようだ。細かい地図のおかげで、目指すフェテス・コレッジのキャンパスは簡単に見つかった。


エジンバラのフェテス・コレッジ(その3)…2008年夏2011/05/13 20:34

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
『蹲る骨』
2001年、早川書房

 世界を売る?リーバスは自分すらも売れそうもなかった。
 しかし、それがエジンバラなのだ。よそよそしくて、われ関せずで、隣に住む人とおしゃべりすらしない。そんなところである。



 夏休みなので、キャンパスは閑散としている。ハリーポッターの魔法学校のモデルといわれるが、確かに映画で見たシーンを想起させるようなキャンパスだ。一方で、この魔法学校のモデルではないというとらえ方もある。どちらにしても、フェテス・コレッジは由緒ある素晴らしい学校であることには違いない。
 

 学校全体が美しい都市公園のようだ。緑が贅沢なほど使われている。日本の小学校のように、生徒全員の名前があって、その朝顔が植えてあるような場所はない。キャンパス全体に品があり、シンプルな印象。
 



 たまたまラグビーの練習が行われていた。戦死した卒業生を慰霊する記念碑もある。授業料は年間数百万円とのこと。授業料が高ければすべて良しというわけでもないだろうが、それなりに高い教育は期待できるだろう。いずれにしても、庶民の子供はとても入学できないだろう。



超エリートを輩出するモスクワ大学(その1)…1980年夏2011/05/17 20:52

ケイタ・慎子著
『マリ共和国花嫁日記―日本女性、西アフリカにとついで--』
1980年、徳間書店
 
 私が黒人の恋人を持つことによって、他の留学生たちが私の周りからすっと引き下がってゆくのを、私は確かに感じた。 (注:著者がモスクワ大学に留学していた時の記述)



 世界の超エリート大学といえば、ハーバード、スタンフォード、オックスフォード、ケンブリッジなどアメリカ、イギリスの大学を真っ先に思い浮かべる人がほとんどだろう。
 ロシアのモスクワ大学もこれらの大学に決して引けをとらない超エリート大学である。この大学はソ連元大統領のミハイル・ゴルバチョフ、ソ連の反体制物理学者のアンドレイ・サハロフなど錚々たる人材を輩出している。
 この大学には日本語、日本文学を専攻している学生もいる。日本に赴任する日本語ペラペラのロシアの外交官については、「モスクワ大学で勉強しました」という人が少なくない。なおエリート外交官を多数輩出しているといえば、モスクワ国際関係大学も負けていない。


超エリートを輩出するモスクワ大学(その2)…1980年夏2011/05/20 21:32

ゲルツェン著、金子幸彦訳
『ロシアにおける革命思想の発達について』
岩波文庫、1950年

  教育大臣は命令をもって農奴の教育を制限している。それにもかかわらずモスクワ大学はロシア文化の本山となる。皇帝はこの大学をにくみ、これに不満の意を表している。毎年この大学の学生たちの一団を流刑に処し、また自分がモスクワにいるあいだにもこの大学を訪問しようとはしない。しかし大学は栄え、その影響はひろがってゆく。
 


 ロシア事情に詳しい人なら、このモスクワ大学の正式名称にはロモソーノフという名前(Московский государственный университет имени М.В.Ломоносова)がついていることも知っている。頭文字のМГУ(エムゲーウー)といえば、モスクワ大学のこととして必ず通じる。ミハイル・ロモソーノフは科学者、作家であり、博識者・天才としても名高い。
 モスクワ大学は市内のとある高台に位置している。典型的なスターリン様式の建築物であり、威圧的なところもある。しかし、ロシアの最高学府にふさわしい様相を見せていることは間違いない。訪問した時は試験の真っ最中だった。

CIA(アメリカのエリート料理学校)を訪問(その1)…2007年秋~冬2011/05/24 22:37

ジュリア・チャイルド/アレックス・プルドーム 著、野口深雪 訳
『いつだってボナペティ!--料理家ジュリア・チャイルド自伝--』
2009年、中央公論社

 与えられた28分間、私はコンロの周りを勢いよく動き回った。泡立て器やボウルや鍋を次々に見せ、熱い照明の下で息をハアハアいわせながら、オムレツの出来栄えは上出来だった。



 CIAといっても諜報機関ではない。CIA(The Culinary Institute of America)というアメリカ、いや世界の頂点に立つエリート料理学校のことである。
 本校はニューヨーク州のハイドパークにあるが、カリフォルニア州ナパバレーにも学校がある。今回、訪れたのは後者のグレイストーン校だ。学校と道路を隔てた反対側は一面のぶどう畑。


CIA(アメリカのエリート料理学校)を訪問(その2)…2007年秋~冬2011/05/27 20:30

ジュリア・チャイルド/アレックス・プルドーム 著、野口深雪訳
『いつだってボナペティ!--料理家ジュリア・チャイルド自伝--』
2009年、中央公論社

 考えれば考えるほど、私の想像力はかき立てられた。考えぬいた結果、これらのレシピは、私たちの料理教室で使った教材を理論的に展開したものであるべきという教訓が見えてきた。私は、物事のもろもろをとり払って骨組みを考察するのが好きな性分だった。



 CIA(The Culinary Institute of America)があるナパ郡セントヘレナの界隈はおしゃれなワイナリー、レストランが集まる。ベリンジャー・ビンヤーズ(Beringer Vineyards)というワイナリーも世界的に有名。この地域は、社会的に成功した人たちが住んでいる。裕福な人が多いが、成り上がりや金の亡者というタイプではなく、社会的な意識が高く、環境問題やボランティアにも熱心な人たちである。ここはこの超エリート料理学校にふさわしい環境でもある。関係者から学校についての説明を受ける。


CIA(アメリカのエリート料理学校)を訪問(その3)…2007年秋~冬2011/05/31 22:23

ジュリア・チャイルド/アレックス・プルドーム 著、野口深雪 訳
『いつだってボナペティ!--料理家ジュリア・チャイルド自伝--』
2009年、中央公論社

 数日後、私たちは午後いっぱいかけて、丸鶏を中抜きして切り分ける様々な手順を写真に収めた。サロンは、照明のコード、鶏の内臓、たくさんのフィルム、ノート、包丁、大きな防水布で雑然としていた。


 CIA(The Culinary Institute of America)の入り口には日の丸と私を含めた訪問者の名前が掲げられていた。昔の酒樽、調理器具も展示されている。生徒たちが手にする調理器具、食器なども一級品ばかりだ。


 教授陣も最高の水準。こうした環境の中で一流のシェフが育つ。校舎も品位があって、洗練されていて趣味がいい。ここセントヘレナは気候も温順で、暮らしやすい環境にもある。