ニュージーランドの羊(その1)…1997年春(現地は秋)2011/10/04 20:30

L・キャロル著、矢川澄子訳、金子國義絵
『鏡の国のアリス』
1994年、新潮文庫

  女王様を見ると、おやおやいつのまにか全身すっぽりヒツジの毛にくるまっている。アリスは目をこすって、もういちど見直した。いったい全体どうなっちゃっているんだろう。


 
   ニュージーランドに来たら、否が応でも羊の大群を見ることになる。オプショナルツアーに参加し、鉄道に乗って、自然の景色を見たり、羊牧場を見学することとなった。羊というと平和的なイメージだけでなく、黙々と働いたり、組織のいいなりになるような悪い喩えの文脈で言及されることも多い。「羊のようにおとなしい日本のサラリーマン」などという表現がぴったり当てはまったりする。「羊たちの沈黙」という有名な映画もある。他のオプショナルツアーから人たちとも一緒になる。日本人もけっこういた。ニュージーランドは何度も訪れる人も多い。


   クライストチャーチからちょっと移動したところ。どこを見ても羊、羊、羊。眠れない時はこうした光景を思い浮かべればいいのだろうか。日本とニュージーランドは時差がほとんどないから、時差ぼけもないようだ。快適な気分で、旅行をすることができた。日本はゴールデンウィークの真っただ中。南半球なのでこちらは秋。紅葉のきれいな季節だ。


ニュージーランドの羊(その2)…1997年春(現地は秋)2011/10/07 20:56

L・キャロル著、矢川澄子訳、金子國義絵
『鏡の国のアリス』
1994年、新潮文庫

「はね!はね!」また編棒を一組とりあげながらヒツジがいった。
   別に返事する必要もなさそうだったので、アリスはだまって漕ぎつづけた。この水、なんだかとってもへんだ、と思いながら、なにしろしょっちゅうオールが水にはまりこんで、なかなか抜けてくれないのだ。


 
 ニュージーランドの南島。羊を見る。羊にもいろんな種類がいる。全身が真っ白な羊もいるし、顔の一部が黒い種類のものもいる。羊の専門家ではないので、どの羊がどんな用途に適しているのかよくわからない。毛皮専用の羊もいるだろうし、食肉用の羊もいるだろう。日本は牧畜文化の国でもないので、馬、牛、羊などに関わる単語が少ないし、一般の人の知識もそんなにないだろう。


   勿論、羊の肉はニュージーランドでは食べ放題。同じように肉が安い国としてアメリカがあるが、ニュージーランドの方が料理が洗練されている。調理法が丁寧というか、味付けもきめ細かさがある。フライドポテト一つにしても、ニュージーランドのものはおいしい。日本では北海道、東北北部を中心に、ジンギスカン料理が定着している。北国出身の人はジンギスカンを何度も食べてきている。羊料理は到着して、その晩に食べたと思う。眠たい中でのディナーだっと思う。この時期、ニュージーランドへは新婚旅行の客が多かった。


ニュージーランドの羊(その3)…1997年春(現地は秋)2011/10/11 20:37

L・キャロル著、矢川澄子訳、金子國義絵
『鏡の国のアリス』
1994年、新潮文庫

「タマゴをひとついただけません?」アリスはおずおずと、「おいくらでしょう?」
「五ペンスと一ファージング----二つで二ペンス」とヒツジ。

 

   羊牧場の見どころはいくつかある。一つは牧羊犬が羊を追い込む場面だ。これ以外に、大きな見どころというと羊の毛皮刈りである。お客さんに見せるために、一頭の羊が犠牲になる。といっても、毛皮を刈るだけだから、犠牲というのは言い過ぎか。


 牧場のおじさんにつかまえられた羊は電動バリカンできれいに毛を刈りとられる。あっという間の作業である。毛を刈り取られた羊はまるで山羊のようだ。ニュージーランドの羊の毛皮は日本にも多く輸出されているだろう。セーター、絨毯、マフラーなど多くの商品の材料となる。



 毛を刈り取られた山羊のような羊は見ていて、寒々としてくる。時間がくれば、また毛がふさふさになるのだろう。何度か毛皮を刈り取られることになるが、サフォークのような食肉用の羊に比べると、長生きさせてもらえるのだろうか。彼らよりは幸せな存在かもしれない。


ニュージーランドの羊(その4)…1997年春(現地は秋)2011/10/14 21:45

L・キャロル著、矢川澄子訳、金子國義絵
『鏡の国のアリス』
1994年、新潮文庫

 ヒツジはお金をうけとって、箱に入れ、それからいうには、「品物は手渡ししませんよ----あれはするもんじゃない----自分でおとり下さいよ」いいながら店の奥の方へゆくと、タマゴを棚の上にまっすぐに立てておいた。


 
 オプショナルツアーでは鉄道に乗ることになったが、ガイドの運転する車が列車を追いかける。鉄道がのんびりと走っているから車でも追いつけるのだろうか。赤いバンに乗って、牧場などに出かけた。帰路、オプショナルツアーの車の中で、途中の道路で羊たちの大群に遭遇する。勿論、羊が優先だ。


   羊はニュージーランド経済を支える重要な家畜だ。日本ではなかなかこういう写真はとれない。羊たちが道路を横断するまで待つことになる。羊というと北海道も関係性が深い。北海道は北の稚内も南の函館も行ったことがあるが、ジンギスカン料理は人気だし、羊が丘、羊蹄山という地名もある。


ニュージーランドの牧羊犬(その1)…1997年春(現地は秋)2011/10/18 20:40

イソップ著、中務哲郎訳
『イソップ寓話集』
岩波文庫、1999年

206 羊飼と犬
 羊飼がばかでかい犬を飼って、いつもこれに死産した羊や死にかけの羊を投げ与えていた。ある時、羊たちが小屋へ入ってくると、犬がそれにすり寄り、愛想をふりまくので、それを見た羊飼の言うには、
「この犬め、お前が羊の身に起これかしと願っていることが、お前の上に起こればよいのに」
 媚び諂う人にこの話はぴったりだ。


 
   牧羊犬が羊を追い込み、自由自在に誘導する。牧羊犬というのは意外に小さい。無駄な贅肉がなく、引きしまった筋肉を見てとれる。自分より大きく、たくさんいる羊を見事なまでにコントロールしている。「羊のようなサラリーマン」という表現に触れたが、犬に誘導させる羊はとてもおとなしい。


   羊は抵抗することもなく、従順な態度で指示にしたがっている。それにしても、ここまで人間の仕事を手助けできる牧羊犬というのはすごい。太古から人間と犬は仲良しだったそうだが、仕事のパートナーでもあり、ペットでもあったということだろうか。


ニュージーランドの牧羊犬(その2)…1997年春(現地は秋)2011/10/21 19:58

イソップ著、中務哲郎訳
『イソップ寓話集』
岩波文庫、1999年

135 腹をすかせた犬
 腹をすかせた犬たちが、川の中に毛皮が漬かっているのを見つけたが、そこまで行けないので、まず水を飲み干してから、毛皮に接近しようと申し合わせた。しかし、毛皮にたどり着く前に、飲みすぎて破裂してしまった。
 このように、儲けに誘われて危ない橋を渡り、望みを達する前に尽きてしまう人もある。



  牧場の人が口笛を吹いたり、号令をかけて、牧羊犬に仕事をさせる。犬の走るスピードは速く、動きも軽快だ。小回りもきくし、俊敏な動きは見ていて気持ちがいい。牧羊犬は牧場の人以外の人間にも慣れているようで、なぜたり、触ったりしても平気だ。もう15年くらい前のことであるが、この犬に触った時の感覚をよく憶えている。ふかふかという感じは全くなく、シャープな感触だった。


 観光客が多い牧場なのだから、人間嫌いの牧羊犬では勤まらないだろう。ここまで仕事ができる牧羊犬なだけに、聡明な顔をしている。人間と同様、犬だって仕事の能力はそれぞれ相当違うだろう。あるいはきちんと訓練を受ければ、どんな犬でも牧羊犬となるのだろうか。しかし、さすがにチワワやセントバーナードでは無理だろう。小さすぎると羊に馬鹿にされそうだし、大きな犬だと羊が怯えてしまうだろう。


牧羊犬が恐れる猫…1997年春(現地は秋)2011/10/25 21:06

イソップ著、中務哲郎訳
『イソップ寓話集』
岩波文庫、1999年

389 鳥を招待する猫
 猫が誕生日の祝いをするという口実で、鳥たちを食事に招いた。そして、部屋に入りきるのを見すまして、戸を閉め、一羽ずつ食べはじめた。
 甘い期待に向かって進み、反対の目に遭う人々に、この話はあてはまる。

 

 引き続き、ニュージーランドでの話。一仕事終えた牧羊犬が戻ってきた。お疲れ様といってやりたくなる。息を切らすこともなく、余裕で帰ってきた。多くの羊をコントロールし、立派な仕事をやりとげただけに、威厳に満ちた雰囲気だ。ところが牧羊犬の権威が失われてしまう出来事が起こった。


 その犬に一匹の猫が近づいてきた。この猫も牧場で飼われているのだろう。猫が牧羊犬に近づくと、牧羊犬はおびえて、後ずさりする。写真で見ると、対等に向き合っているようだが、犬が逃げているのだ。無敵と思われた牧羊犬がこの猫には弱かったわけだ。こんな関係は人間の世界でもよく見られる。何者もおそれないように見える人物が弱そうな人を苦手としたり。とにかく、猫に怯える牧羊犬の姿はおかしかった。


マウントバーノンの牛…2007年秋~冬2011/10/28 21:19

イソップ著、中務哲郎訳
『イソップ寓話集』
岩波文庫、1999年

137 蚊と牛
 蚊が牛の角に止まって永らく休んでいたが、飛び去りぎわに、もう離れてもらいたいのか、と尋ねた。牛が答えて言うには、
「お前が来たときも気づかなかったし、離れて行っても気づかないだろうよ」
 いようがいまいが、毒にも薬にもならぬ無力な人に、この話は適用できる。



 アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが過ごしたマウントバーノン。大統領府としても機能していた。この中にはのどかな農園、牧場がある。そこに牛がいたので、近づいてみた。別に牛を刺激したわけではない。そっと近づいただけだ。なのに、牛は烈火のごとく怒って、柵に体当たりをしてきた。何度も何度も柵に衝突してきた。
 こんなに動物が怒ったのを見たことはあまりない。よっぽど虫の居所が悪かったのだろうか。観光客が多く来ているので、うんざりしていたのだろうか。いきなりカメラを向けて、シャッターを切ったわけでもない。この写真は、牛が激怒して、ちょっと静かになってからのものである。でも、怒りは完全におさまっていなかった。