シンガポールの雨…1998年夏2012/07/03 20:45

アリステア・マクリーン著、伊藤晢訳
『シンガポール脱出』
ハヤカワ文庫NV、1977年

    じめじめとしずくがしたり、むっとするように暑い、暗いジャングルがが彼らの周囲一面にひろがっていた。つる草がびっしりまきつき、たがいに入りくんだ高い梢の小さな隙間から、灰色の泣き出しそうな空がちらりと見えた。この曇り空のため、ちょうど二時間前の日の出もまったくわからなかった。



 シンガポールはパリから成田へのトランジットで滞在しただけ。時間がたっぷりあったので、市内を観光することにした。実は、その後にマレーシアまで国境越えしてしまうのだが、そのことは別に記す。さて、シンガポールはほぼ赤道直下にある国。その割には過ごしやすい。木陰はけっこう涼しい。
 天気も悪くなく、観光日和。ところが、突然に激しい雨が降りだす。しかも傘がない。バス停に避難して、雨があがるのを待つ。意外と早く雨はやんだ。よく見ると、鞄の中には小さな折り畳み傘が入っていた。でも、無理をして傘をさして歩いても、びしょぬれになったかも。

ホノルルの雨…2007年秋~冬2012/07/06 20:58

よしもとばなな著
『まぼろしハワイ』
2010年、幻冬舎文庫

<姉さんと僕>
 アラモアナで買ったきれいな花柄の服に着替えた姉さんと、帰りにえぞ菊に行った。
「なんで僕たちハワイに来てまでえぞ菊なんだろう。」
 僕はラーメンをすすりながらそう言った。
「でも、なんかほっとする。もう肉とか焼いた魚とかポキとか固いパンとか柔らかすぎるパンとか、たくさんよね。」
 姉さんは言った。



 以前ホノルルは真夏に来た。常夏の国を実感した。一年中温暖な気候なのだと思っていた。今回は12月、サンフランシスコからホノルル入り。温暖なサンフランシスコは快適だったが、ホノルルはもっと温暖だろうと期待していた。常夏の国だから。
 ところがホノルルに着いたら、まるで台風みたいな天気。なんだか別の所に来た雰囲気だった。常夏の国じゃなかったのかと思ってしまった。でも、半袖半ズボンの人は多い。これじゃちょっと寒いと思われたが。
 雨は降ったり、やんだり。でも、もう30日間連続で雨が降っていると現地の人は嘆いていた。ホノルルマラソンも間近な季節だ。以前は、常夏の国だから冬もみんなビーチに出ていると思っていたが、とてもそうはいかない。海は荒れているし。パパイヤ畑を訪問した時は、土が靴にびっしり付いて往生した。粘土質なのだろうか。雨のせいで、大量の土が数センチの厚さでつく。鉄下駄を履いているように重たくなった。
 アラモアナショッピングセンターにある高級デパートのニーマンマーカスでランチを食べて、少し時間があったので、海の方に歩いてみた。ちょうど雨もやんでいたのだが、やっぱり強い雨が降ってきた。あわてて、ショッピングセンターに引き返す。

火山国立公園(ハワイ島)の雨…2007年秋~冬2012/07/10 21:24

よしもとばなな著
『まぼろしハワイ』
2010年、幻冬舎文庫

<まぼろしハワイ>
「キラウェアのあたりを一度見てみたいな。」
 私は言った。あざみさんはにこっとして、そしてうなずいた。
「今度いっしょに行こう。今度はハワイ島に行きましょう。私とオハナちゃんと二人家族の日々はまだ始まったばかり、そしてハワイとのつながりもまだまだ序の口よ。たとえそう思えないような時期であっても、なにかが終われば、必ず何かが始まるんだから。」
 うっとりとあざみさんは言った。



 ヒロを含めてハワイ島に滞在中はずっと大雨。ホノルルから飛んでハワイ島に向かった時、眼下に厚い雲が増えてきたことに気がついた。コナは晴れで、ヒロは雨という天気も珍しくないようだ。なんとヒロの年間降水量はコナの3倍くらいあるとのこと。確かにハワイで一番大きな島だし、気候が違ってもおかしくない。雨雲は北東側で停滞してしまう。
 湿った大気が貿易風に吹かれて、島の北東部にやってくるが、ハワイ島には4,000メートル級の山々がたくさんあるために、天気に差が出るとのこと。日本の太平洋側と日本海側の気候が異なることに似ているので、この理屈はすぐ理解できる。雨がいったんやんだかと思っても、突然どしゃ降りの雨が降りだす。ヒロは雨の都とも言われる。津波の被害にも幾度か見舞われた歴史があるし、苦難の街ともいえる。写真は火山国立公園で撮ったもの。悪天候で、火山の観察が十分にできなかった。

エジンバラの雨…2008年夏2012/07/13 21:12

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
『貧者の晩餐会』
2004年、早川書房

「聴取者参加番組--リーバス警部の物語」
 〈ロウランドラジオ〉はスコットランドのロウランド地方で放送されている、設立後の年数は浅いけれど人気の高いラジオ局である。人気のゆえんは、まったく異なるタイプのタレント二人によるものだと考えられていた。



 エジンバラを観光中、どしゃぶりの雨に見舞われた。せっかく趣のある街を散策していたので、残念な気分になった。多くのひとたちが雨宿りをしている。無理に傘をささないということは、すぐやむのであろうか。しばらく待っている間に雨はやんだ。
 現地の人によると、温暖化が原因なのか、こうしたどしゃ降りの雨が増えたとのこと。もともとエジンバラにはこんな本降りの雨は珍しかったが、気候が変わっているのではないかということだ。かつては冬には川面に氷が張ったが、最近はそうした光景も少なくなったという話も聞いた。


ネフスキー通りの雨…1980年夏2012/07/17 21:13

ゴーゴリ著
『ゴーゴリ全集 3  中編小説』
河出書房新社、2010年

「ネフスキイ大通り」
   ネフスキイ大通りよりりっぱなものは、少なくともペテルブルグには何ひとつない、この都にとって、この大通りは一切をなしているのだ。都の花ともいうべきこの大通りに輝かしくない何があるのだろう!この都に住むあまりぱっとしない、役所勤めの連中にしろ、だれ一人、このネフスキイ大通りを、どんな仕合わせをもってしても、取り替えようなどとしないだろうことを、私は知っている。



 レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)には比較的長い間滞在していたので、いろんな天気の日を体験している。やはり雨の日もあった。ここは繁華街のネフスキー通り。毎日のように歩いた街。
 ロシア人の男性はあまり傘をささないと聞いていたが、その通りだった。夏とは言っても、小雨が降ったり、日が暮 れたりするとすぐにうすら寒くなる。この雨の日は真夏の一日であるが、半袖の人もほとんど見かけなかった。右手の建物は映画館である。

釜山の雨…2002年夏2012/07/20 22:17

コンパッソ編
『食楽美磨 釜山の旅―カラダが喜ぶ!キレイが光る! 』
日本出版社、2009年
 
”あら!また、来たの?”
”そんなに痩せて!”  
”ほら、いっぱい食べて”
   オンニたちの掛け値なしの笑顔に釜山に戻ってきたと感じる瞬間…。
    声が大きくて激しい発音の釜山訛りの言葉には釜山人の”情”がたっぷりと詰めこまれている。



 夜遅く釜山に到着した。かなり激しい雨が降っていた。翌日から釜山の街を観光することにした。やはり時々、雨模様。釜山港、チャガルチ市場をはじめ、雨に濡れたまちも趣があっていい。ソウルに比べると、まちが小さいので、観光するのは楽だ。慶州も近いので、そちらにも行くことにした。この写真は小雨の釜山のワンシーンだが、日本式のレストランの前である。豚カツなど人気があるようで、こうしたメニューや写真が表に出ていた。

ダブリンの雨…1997年夏2012/07/24 20:25

ジェイムズ・ジョイス著、柳瀬尚紀訳
『ダブリーナーズ』
2009年、新潮文庫

  八月のグレーの暖かな宵が市にたれ込めていた。和らいだ暖かな空気、夏の名残が、街路を巡っていた。街路は、日曜日の休業でどこも締めきっているが、華やいだ色合いの人通りで混み合っていた。光に映える真珠のように、街灯のかずかずがその高い柱頭から下の生ける織物を照らしていて、その織物は、形と色合を不断に変えながら、暖かなグレーの宵の空気の中へ、不変不断のざわめきを吹き上げている。



    真夏にアイルランドのダブリンを訪問した。この写真を撮影した時は雨が降っていないが、ダブリンにいた時は、小雨が降っている時間が多かった。日本にいる時のような本降りの雨はほとんどなかった。しかし、折りたたみの傘を開くことにもなった。海外旅行に行った時に、やはり重要なのは天候である。雨の雰囲気も悪くないのだが、傘をさすのは面倒だし、写真撮影の妨げにもなる。
    幸い、主な観光地を見ている時は、雨は降っていなかった。ロンドンに比べたら、ダブリンは小さな街である。来る前は寂れていると思ったが、景気も良く、観光客も多く、大変賑わっていた。雨のシーンの写真が撮れなかったことは残念だ。

ブロードウェイ(その1)…1983年夏2012/07/27 20:04

O・ヘンリ著、大久保康雄訳
『O・ヘンリ短編集(二)』
1969年、新潮文庫

「賢者の贈りもの」
 出てきたのは櫛が一揃い――デラが長いあいだブロードウェイのショーウィンドーであこがれていた横櫛と後櫛の一揃いだった。ふちに宝石をちりばめた正真正銘の鼈甲製の美しい櫛であり――いまはなき彼女の美しい髪にさすには、もってこいの色合いだった。とびきり高価なものであることがわかっていたし、単に熱望するだけで、自分のものになろうなどとは夢にも思わずに、あこがれていた櫛だった。

 

 カリフォルニアのクレアモントで研修を受けた後、東海岸にやってきた。この後はワシントンDCだけ訪問するつもりだったが、急きょニューヨークも訪問することになった。航空券の変更でけっこうお金をとられたが、あこがれのニューヨークに行けたのは嬉しかった。
 ニューヨークのダウンタウンは狭いので、効率的に回ることができる。ブロードウェイでミュージカルを見ることにした。入口ではいろんな出し物が一目でわかるようになっている。何しろ突然のニューヨーク訪問なので、事前に何を見るか考える時間もなかった。今のようにネットもないので、どんな出し物があるかも分からない。しばらくこの界隈を散策してみることにした。

ブロードウェイ(その2)…1983年夏2012/07/31 21:38

O・ヘンリ著、大久保康雄訳
『O・ヘンリ短編集(二)』
1969年、新潮文庫

「千ドル」
  ジリアン青年はステッキで二輪車の馬を突ついてブロードウェイを八ブロックほど走らせてその街を出た。横町に一人の盲人が床机に腰をかけて鉛筆を売っていた。ジリアンは馬車からおりて盲人の前に立った。



 集積したニューヨークにふさわしく、ブロードウェイもこじんまりとまとまっている。ミュージカルの出し物の看板も街を飾っている。「ナイン」「オーカルカッタ」など有名な題目の看板も見える。クレアモント、ワシントンDCとゆったりした地域からニューヨークにやってきたが、不思議と違和感はない。東京のような狭い通りがあり、こちらの方がなんとなく落ち着いてしまう。マンハッタンの主な見所は徒歩だけでも巡ることができるし、地下鉄を使えば事足れる。