ポリネシアンセンター(その6)…2007年秋~冬2012/09/04 20:34

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<混血>
 傷ついたサンダース一家は、二番目に選んだ、ルナリロの荒れ果てた家もある一区画の、古い木造家屋に落ち着いた。もっとも、そこはトムが働く研究所に行くには便利だった。セルマの学校も近くにあり、母親は歩いて行ける範囲内にある食料品店で買物が出来た。



 ポリネシアのダンスは延々と続いている。アテンドと通訳をしてくれた方がアイスクリームを買ってきてくれた。そのアイスクリームを食べながら、ショーをさらに見続ける。日本も含めて、アニミズム、シャーマニズムのようなものを取り入れる風土があるのだろうか。ハワイも含めて島に住む人にとっては海や山などの自然は最大の恩恵をもたらすものである一方、時には災いをもたらす存在でもあるのだろうか。

ポリネシアンセンター(その7)…2007年秋~冬2012/09/07 20:10

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<漁師>
 19歳の時、機会がやってきた。友人を通して、彼は遥か彼方のハワイシマで漁師が必要とされていることを知った。募集員は町にいて、契約に興味を持っていた人には誰にでも、話し掛けてきた。
 列の一番先に並んで、フジサンは冒険に自らを委ねた。同じ村出身の他の何百人もの人達と共に、彼はハワイに渡った。



 ポリネシアのダンスも佳境に入った。ダンスのリズムはますます激しくなり、緊張感を増してくる。ポリネシアンセンターはオアフ島の北側にあるので、ホノルル滞在者でも行かない人がけっこういる。オアフ島のノースショアはワイキキあたりとは雰囲気も異なるので、是非機会があったら訪問することをおすすめする。お店などでも魅力的なものが多い。
 オアフ島を一周するとけっこう時間がかかることは事実だが。ポリネシアン文化センターとホノルルを結ぶバスの運転手は黒人女性だった。暗い夜道を猛スピードで運転する技術はなかなかのものだった。運転しながらも、お客さんから感想を聞いたりするなど社交性にも富んでいた。

キーロフ劇場のオネーギン(その1)…1980年夏2012/09/11 20:13

『筑摩世界文學体系 30  プーシキン   ツルゲーネフ』
金子幸彦訳者代表、
1972年、筑摩書房

<プーシキン著、『エヴゲーニイ・オネーギン』>
 言うまでもなく、ターニャの心の乱れに気づいた者は、エヴゲーニイひとりではなかったが、ちょうどそのとき、油っこいピローグがみんなの注視と批評の的になっていた(あいにくと、塩が利きすぎていたようだ)。やがて焼き肉と白ゼリーのあいまには、樹脂塗りのびんにはいったツィムリャーンスコのシャンパンが運ばれた。それに続いて、ジジーよ、君の細腰さながらの、くびれた、細長いワイン・グラスがならべられた。



  レニングラード(サンクトペテルブルグ)のキーロフ劇場。有名なオペラやバレエが公演されてきた世界的にも由緒ある劇場である。現在はマリインスキー劇場という名前になっている。ソ連時代に入っても、帝政ロシア時代の文化的遺産は引き継がれていた。この劇場で『エフゲニー・オネーギン』のオペラを観ることになった。プーシキンの原作をもとに、チャイコフスキーが作曲したオペラである。

キーロフ劇場のオネーギン(その2)…1980年夏2012/09/14 20:29

『筑摩世界文學体系 30  プーシキン   ツルゲーネフ』
金子幸彦訳者代表、
1972年、筑摩書房

<プーシキン著、『エヴゲーニイ・オネーギン』>
 けれどおのれの青春をむなしくすごし、ことごとに、それを裏切りつづけ、またそれにあざむかれたと考えるのは悲しいことだ。青春のこよなき願い、けがれなき夢のかずかずが、さながら秋の木の葉の朽ちるように、つぎつぎと朽ちはてたと思うのは悲しいことだ。



   これはその時のオペラの券である。『オネーギン』はロシアの国民的詩人であるプーシキンの文学とチャイコフスキーの音楽が融合した最高傑作である。オネーギンのオペラに退屈した人もいたらしく、決闘の場面で、目が覚めたと笑っていた人もいた。そのプーシキン自身も決闘によって命を落としている。英国など西欧とは違ったロシア貴族の生き方についても考えされられるところがある。オペラを観て、夜遅くホテルに帰った。8月中旬だというのに、やたら寒かった。昼間でも、上に羽織るものがないと外出も厳しくなっていた。

アポロ劇場…1997年秋2012/09/18 19:53

O・ヘンリ著、大久保康雄訳
『O・ヘンリ短編集(二)』
1969年、新潮文庫

<ハーレムの悲劇>
 突然、彼女は怒りの女神のように、新聞を読んでいる夫に襲いかかった。
「このぐうたらの怠けもの!」と、彼女はどなった。「おまえさんみたいな、ろくでなしのために、なぜわたしは洗濯などして腕が抜けるほど働かなければならないんだい?それでもおまえさんは男かい?それとも野良犬かい?」



  アメリカ出張は終わったが、滞在を1日延期して、ニューヨーク市内を回る。ハーレムのあたりにさしかかる。昼間から、道端に座り込んでいる人もけっこういる。これはアポロ劇場。アメリカ黒人の聖地とも言われる劇場。ダイアナ・ロス、ジャクソン5など世界的なスターを多く輩出してきた劇場だ。昔はハーレムというと犯罪だらけの治安の悪い場所で、観光客が行くような場所ではないと日本でも語られていた。この頃になるとだいぶ治安も良くなり、ハーレムも観光客が増えていたようだ。

カーネギーホール…1997年秋2012/09/21 20:19

アンドリュー・カーネギー著、坂西志保訳
『カーネギー自伝』
2002年、中公文庫

   私たちの事業は拡張を続けたので、私はたびたび、東部、とくにニューヨークをおとずれなければならなかった。アメリカではニューヨークはあらゆることの中心で、ロンドンが英国にとって重要なのと同じであった。アメリカの重要企業はみんな本社をニューヨークにおいていた。大きな商社は、だれか代表者をそこにおいておかなければ不便でしかたがなかった。私の弟とフィップス氏が、ピッツバーグの事業をよくやってくれている。私の分野は、いくつかある会社の総合的政策を指揮し、重大な契約の交渉に当たることにあるように思われた。



  カーネギーホール。ニューヨークのマンハッタンにあるコンサート劇場である。まさにクラシックから現代音楽に至るまで世界最高水準のアーチストが公演する劇場である。ジョニー・マティスという名前と写真が出ている。アメリカのポピュラー音楽の歌手で世界的なヒット曲も多い。その隣にはKol Simchaというバンドの案内がある。ユダヤの伝統的な音楽を演じるバンドらしい。
 ニューヨークはブロードウェイあり、アポロ劇場あり、グリニッジビレッジありと、現代音楽をはじめとする芸術の都でもある。パリとは趣を異にするが、ニューヨークもまた楽しい街である。西に行けばハリウッドがあるし、アメリカのソフトパワーの底力は半端じゃない。

カリフォルニアの野外コンサート…1983年夏2012/09/25 20:15

亀井俊介、 川本 皓嗣編
『アメリカ名詩選』
1993年、岩波文庫

<ウォルト・ホイットマン/アメリカの歌声が聞こえる>
めいめいが、自分の世界の歌、他の誰のものでもない歌をうたっている、
昼間は昼の世界の歌----夜にはたくましく気のよい若者の集団が、
口を大きくあけ、力強く美しい調べの歌をうたっている。



  カリフォルニアのクレアモントに滞在中、午前中とか午後の早い時間のレクチャーが終わって、その後はいろんなレクレーションに連れて行ってもらった。サンデェイゴ観光、ディズニーワールド、大リーグの試合をはじめ、至れり尽くせりだった。
  一度、野外コンサートにも連れて行ってもらった。クレアモントを含め、ロス郊外には小さな街が多く、住民の一体感が強い。住民参加というならこじんまりした街がいいのかもしれない。ここは住民のモラル、教養も高いところなので、何をするにしてもさまになる。カリフォルニアはどこに行っても駐車場が広い。駐車場への行き来だけでもけっこう歩くことになる。

エジンバラのバグパイプ…2008年夏2012/09/28 19:57

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
『貧者の晩餐会』
2004年、早川書房

<一人遊び---リーバス警部の物語---->
  死がささやかな出来事というわけではない。スコットランドのこの地域では、いや、スコットランドのどの地域であれ、そんなことはない。近所の窓のカーテンからこっそりと顔が覗き、庭の垣根越しに低い声で噂話が交わされる。画一的なうるさいコマーシャルや、さらに画一的なクイズ番組のやかましい拍手を流し続けるテレビの音が、いつもより幾分少なくなる程度だ。


 
  スコットランドのエジンバラ。街の中心街でバグパイプを吹く人がいた。バグパイプはケルト文化を代表する楽器だ。アイルランドでもバグパイプは有名だが、スコットランドのバグパイプとは少し違うらしい。スコットランド、アイルランド以外にも別の種類のバグパイプがあるようだ。
   このバグパイプの演奏を聞いたのは、比較的、朝早い時間帯だった。けっこう歳をめした方だったが、元気いっぱいの人だ。この人の写真はよく見かける。ほかの人のブログでも見かけるし、『スコットランド 歴史と文化、自然を満喫する(旅名人ブックス)』(日経BP社)という本の表紙にもなっている。