サハリン州郷土博物館(その13)…2012年夏2014/01/02 19:58

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   農業のなかでも、その成否が自然条件よりも、むしろ戸主自身の努力と知識にかかっているような部門、すなわち野菜づくりは、サハリンではおそらく良い結果をあげているだろう。時には全家族が冬じゅうカブだけで食べているという事情からして、この土地の野菜栽培の成功を物語っている。



   雪の中のウサギ。鳥はライチョウだろうか。色が変わるタイプとそうでない種類があるらしいから、前者だろうか。次の写真はカワウソ。3枚目はクロテン。カワウソ、クロテンもイタチの仲間だろう。フェレット、ラッコなどもそうだ。クロテンは高級毛皮がとれるので、乱獲されてきたようだ。クロテンの毛皮を得ることは、シベリア開発を推し進める原動力ともなった。




サハリン州郷土博物館(その14)…2012年夏2014/01/04 09:50

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年
 
   これに劣らずみごとなのが、春、それもふつう四月後半、海岸地帯に定期的に現われるニシンの移動である。ニシンは目撃者たちの表現によると、『信じられぬほどの数』で、大群をなして進む。



 立派なウミガメ。かなり大きな種類だ。水族館でもカメは人気がある。愛嬌もあるし、平和的な生き物と受け止められているからだろうか。龍宮城というと暖かい海のイメージがあるから、サハリンの寒い海とはなんとなく結びつかない。しかし、意外に多くの生き物がいるようで、栄養もたっぷりで、海中の水温もそれほど低くないのだろうか。

サハリン州郷土博物館(その15)…2012年夏2014/01/07 20:27

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   サハリンの教会の歴史で、これまで最も目立つ位置にあるのは、七〇年代に、アニーワやコルサコフの教会で司祭をしていたシメオン・カザンスキイ神父、住民の呼び名にしたがえばセミョーン坊さんである。



   鹿である。エゾシカとは異なる種類だろうか。鹿というかインパラだのこうした動物についての種類がよくわからない。鹿とインパラとは違う生き物のようだ。ボツワナのサファリでアンテロープとかについて説明を受けたがよくわからなかった。いずれにしても、鹿というとおとなしい平和的なイメージがつきまとう。はく製一つにしてもほのぼのとした感じがする。

サハリン州郷土博物館(その16)…2012年夏2014/01/09 20:00

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   島は荒地だった。そこには人家も、道路も、家畜の姿もなく、兵士たちは兵舎と家を建て、森に空地を切り拓き、荷物を運ばねばならなかった。派遣された技師や学者がサハリンに来た場合には、馬の代わりをする兵士が数人、その配下に置かれるのだった。



   海の生き物を表現したもの。カニもいる。2種類ほど。この中で一番大きな魚は前に紹介したものと同じ種類のものだろうか。タコ、シャケもいる。サハリン一帯は豊かな漁場がたくさんあるようだ。下の方にはカレイのような魚も。

サハリン州郷土博物館(その17)…2012年夏2014/01/11 08:54

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   公式の報告書と記事から判断すると、六〇年代と七〇年代には、サハリンの知識階級は道徳的に、特に堕落しきっていた。当時の役人の在職中、刑務所は淫乱の巷、賭博場と化し、人々は堕落し、凶暴になり、死ぬほど鞭打たれていた。



   鳥のはく製がたくさん並んでいる。いかに生き物の名前とか種類を知らないか改めて認識することになる。2枚目はフクロウ、ミミズクの類だろうが、フクロウとミミズクってどう違うかなどどいう知識はない。いずれにしても、この種類の鳥はとても賢そうに見える。「ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ」などという表現もあるが、フクロウは哲学、知性の象徴として見られている。


サハリン州郷土博物館(その18)…2012年夏2014/01/14 20:00

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   ある流刑囚たちは男らしく刑罰を受け、進んで自分たちの罪を認めており、何のためにサハリンに送られてきたのかとたずねると、こんなふうに答えるのがふつうである。『いいことをしてたら、ここへ送られてきやしないよ。』ところが、別の流刑囚たちは、その臆病さとくよくよした様子で人をおどろかし、不平をならべ、泣き、絶望し、自分には罪がないと誓ったりしている。



   サハリンの近代史に関するパネルである。一つ目は人物に関するもの。上段の真ん中あたり、眼鏡をかけている人物はチェーホフだ。よく使われる写真である。
   二つ目は産業発展を示すもの。鉱工業、農業の歩みが示されているようだ。林業、漁業、エネルギー資源にも恵まれた地であり、経済発展が急速に進んだことが理解できる。


サハリン州郷土博物館(その19)…2012年夏2014/01/16 20:03

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   体刑のため粗暴になり、残忍になるのは、ひとり囚人たちだけではなく、刑罰を加えるもの、刑罰の場に居あわせるのもそうである。教養ある人たちですら、その例外ではない。



   スターリンを描いた絵である。「偉大なる指導者、教師、将軍、ソビエト人民の友人 ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン」と書かれている。むしろスターリン亡き後のソ連時代は、公然とスターリンの写真やらを掲げることは憚られた。ソ連時代のモスクワ、レニングラードの街でスターリンの銅像や肖像画を見たことはない。レーニンばかりだった。

サハリン州郷土博物館(その20)…2012年夏2014/01/18 09:28

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   しかし、人びとの脱走を妨げている障害の大半を占めているのは海ではない。通行不可能なサハリンの密林、山地、たえざる湿気、霧、無人、熊、飢え、ブヨ、さらに冬になると恐るべき酷寒、吹雪ーーこれらこそ監視の本当の味方なのである。



   日本人の写真がたくさん展示されていた。どちらもソ連占領後のものである。1枚目は1945年9月25日、コルサコフでの撮影だろうか。2枚目はユジノサハリンスクにおける1946年のメーデー集会でのもの。着物を着た日本人女性である。スターリンのプラカードも見える。南樺太に住んでいて、その後日本に戻ることができなかった人たちだろう。幸せそうな表情をさせられて、撮影されたものだろう。


サハリン州郷土博物館(その21)…2012年夏2014/01/21 20:48

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   何よりも、流刑囚をサハリンから追い立てているのは故郷に対する激しい愛情である。懲役囚の話を聞いてみると自分の故郷で暮すのは何という幸福で、何というよろこびであろう!サハリンのこと、ここの土地、人間、樹木のこと、天候のことなどは、嘲笑をうかべ、嫌悪の情もあらわに、憎々しげに口にするのに対し、ロシヤではすべてが美しく、ほれぼれするようだという。



   これはなかなか興味深い写真。戦前、樺太のオットセイを利用した薬味酒は大ブームとなったようである。その工場がソ連に接収されてしまったのだろう。国営工場とあるからソ連政府のものになってしまったということになる。なお、戦後もオットセイを使った薬味酒はけっこうヒットしたとのこと。笑顔のロシア人らしき女性と険しい顔をした日本人男性との表情が対照的である。

サハリン州郷土博物館(その22)…2012年夏2014/01/23 19:49

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   呼吸器官の病気によるものが死者の三分の一にあたり、なかでも肺結核が一五%を占めている。寺院戸籍簿に登録されているのはキリスト教徒だけだが、肺病で死ぬことの多い回教徒をこれに加えれば、その比率はどえらいものとなろう。いずれにせよサハリンの成人は、かなりの程度まで肺病にかかっており、ここではこれが最も頻繁に起る。



   ソ連時代のものが展示されている。女の子用の制服だろうか。ピオネールの活動時に着る服だろうか。ピオネールというのはソ連時代の子供たちの組織で、チェブラーシカも憧れていた。レーニンの顔のある旗もある。文字通りの意味は「いつも準備できている」ということ。
   船の模型もある。ここは「石油ガス」と書かれているから、採掘された石油などを運ぶ船だろうか。サハリンの石油は旧ソ連時代から注目されていた。