レニングラード地下鉄(その2)…1980年夏2014/03/27 20:49

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

中条百合子「モスクワ印象記」
   ロープシンは自殺しなければならなかった。政治的見地からすれば彼自身、不幸な最後を予想しないわけではなかっただろう。然、彼はロシアなしではもう生きて居られなかった。だから還って来た。そして死んだ



   この写真はとある地下鉄のホームから撮影したもの。「扉が閉まります」「次の駅は○○」とアナウンスしてくれるので、間違うこともない。現地で知り合った若いロシア人のアパートに遊びに行った時も地下鉄を利用した。
   そして、その駅名を今でもしっかり覚えている。Polytechnicheskaya(Политехническая)という駅である。 この駅は1975年12月31日に開通している。駅名は大学の名前から来ている。

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