ロンドン地下鉄(その1)…1997年夏2014/05/01 15:47

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

喜多壮一郎<倫敦風景>
   「霧の倫敦」は現実の世界ではない。平凡化した倫敦は「霧の世界」となってはじめてその真姿を現す。「霧の倫敦」こそ限界から線と角とをとり去った影絵の倫敦となる。それは、魑魅魍魎の乱舞する非人間的の舞台だ。


    ロンドンの地下鉄も便利だ。ヒースロー空港にも乗り入れている。97年にロンドンをはじめて訪問した際は、地下鉄で都心に乗り入れた。海外に行った際に、空港から街中やホテルまでの移動が鍵となる。その点、ロンドンは地下鉄のおかげで、移動の手段をあれこれ考えなくてもすむ。
   ただ、あまりにも早い到着で、ほとんど始発に近い電車だった。朝早くピカデリーサーカスに着いたが、どの店も開いておらず、途方にくれてしまった。しかも香港経由(暑い中を観光までしてきた)だったので、疲れは相当なものだった。

ロンドン地下鉄(その2)…1997年夏2014/05/03 07:00

ロアルド・ダール編、乾信一郎他訳
『ロアルド・ダールの幽霊物語』
ハヤカワ・ミステリ文庫、1988年

E・F・ベンスン「地下鉄にて」 
   ドーバー街駅のプラットホームでサウス・ケンジントン行の最終電車を待っていたヘンリー・ペイル卿は、駅へ進入して来た電車の前に身を投げた。電車は数ヤード走って止まったが、すでに車輪が卿の胸部の上を通過していて押しつぶし、即死だった。



   ロンドンは地下鉄で巡る。大きな駅なら、地下鉄だけでなく、通常の列車も乗り入れている。パディントン駅なら、多くの地下鉄の路線が乗り入れているし、近郊と結ぶ旅客列車などの発着地点にもなっている。帰りも地下鉄で空港に出たが、なんと途中で止まってしまった。
   いつも空港へはかなり余裕をもって行っているので、待つことにした。余裕のない人はタクシー乗り場へと走り出した。海外旅行をする際は、ギリギリのスケジュールは立てないことがポイントだ。しばらくすると地下鉄は再開した。空港へは十分間に合った。
   日本の地下鉄に比べると、ちょっと不安定な面がある。ローマでも地下鉄が止まったことを書いたが、地下鉄を含む日本の鉄道のスケジュールの正確さは奇跡的だ。その分、関係者が苦労していることの裏返しでもある。 


ロンドン地下鉄(その3)…2008年夏2014/05/06 07:37

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

喜多壮一郎「倫敦風景」
 倫敦くらいに大都市の郊外らしいのをもつ大都市は世界では稀少だ。その郊外も、冬が霧と灰色の空とで埋められた陰惨な冬季であるだけに、倫敦の郊外の早春はともあれ、晩春、初夏、初秋の麗しさ美しさは想い出すにもなつかしい。


   忙しい仕事の日程を見ながら、ぎりぎり旅程を組む。ロンドンは2回目の訪問。ポンド高、物価高でロンドンの地下鉄の初乗りが1,000円という話を聞いていて、どうしたものかと思っていた。しかし、1日乗車券を購入すると、意外と割安の移動ができる。
   原油高騰のあおりを受けて、飛行機代のサーチャージに9万円くらい払っていたので、現地で交通費がかさむのはかなわないなと危惧していた。しかし、地下鉄が最良の移動手段だ。ホテルも地下鉄の駅に近いし、利用しない手はない。


ロンドン地下鉄(その4)…2008年夏2014/05/08 20:06

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

喜多壮一郎「倫敦風景」
 テームズの流が堰きとめられて、岸辺の緑陰の慎しげな恋愛を小舟のプッドルに托している若い男女の睦しげさは倫敦の郊外ならでは見られない郊外情景の快さである。



   前回も書いたが、実際には1日乗車券を使えば、意外と割安で地下鉄を乗り回すことができた。地下鉄の大江戸線のように、一部の車両の外側の天井が低くなっており、窮屈に感じることもあった。こうした工法はトンネルの体積が少なくなるので、工事費が安くなるらしい。
   ロンドンにしては暑い日が続き、冷房のない車両も多くあって、けっこう蒸す。それでも1997年夏の訪問の時よりは涼しい気候だ。あの時は東京並みの気温だった。以前にも書いたように、空港へもつながっているので、大きなスーツケースが置かれている場合もあり、狭苦しい思いをすることもある。それでもロンドンの地下鉄は便利だ。主な名所はほとんど回れるし、快適だ。


ロンドン地下鉄(その5)…2008年夏2014/05/10 06:38

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

 トンネル掘削はつねに軍事的な側面を持っていた。フランスの偉大なる築城学専門家、ヴァーバン侯爵は、一七〇〇年代に正確な手法を完成させた最初の人物かもしれないが、ヨシュアが角笛を吹き鳴らし、エリコの壁が崩れ落ちたときは、トンネル掘削はすでに一般的な軍事行動となっていたのは確かである。



   滞在していたホテルが地下鉄の駅にとても近かった。車社会の地方は別だが、日本でも大都市圏は駅に近いということが大きな価値を持つ。ホテルの近くにあるウェストブロンプトンの駅だ。ここを起点として、ロンドンめぐりをした。近くには通い詰めたパブもあるし、なかなか気に入ってしまった。ここに限らず、ロンドンにはいろんな人種、宗教の人がいる。
   もうちょっと離れていたが、アールズコートの駅も利用できた。そもそも泊まっているホテルに”アールズコート”という名前がついていた。アールズコート駅の方が周辺はにぎやかだった。

北京地下鉄(その1)…2009年春2014/05/13 20:16

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

   しかしこんな時代もあった。ほんの百年ほど昔のことである。そのころは、地下を移動するというアイディアが、西欧の町々においてほとんどいかなる諸問題をも差し置いて、その町で最も灼熱した討論を沸騰させるほどの論議の対象となった。



   中国ははじめてではないが、北京ははじめて。ゴールデンウィークの暦通りの休みの中で、何とか北京に行くことにした。ここも大都市だけに地下鉄が便利。
   しかし、ホテルは地下鉄の駅から相当離れていたので、ホテルからの出発はタクシー。タクシーの運転手は意外にしっかりしていて、要求もしていないが、領収証までくれた。天安門広場まで行って、それから徒歩や地下鉄を利用して北京市内を巡る。

北京地下鉄(その2)…2009年春2014/05/15 20:45

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

 イタリア南部におけるローマ人の地下道は、トンネル掘削技術の歴史の中で比較的遅く、しかも例外的な発展を遂げた。それ以前、彼らのトンネルに類似したものは作られたことがなかった、その後ほぼ二千年間それに類似したトンネルが再び造られることはなかった。公道や単なる道路として、彼らのトンネルが果たした機能は独創的なものだった。


 北京の地下鉄のひどさなどが喧伝されていたが、そんなにめちゃくちゃなことはなかった。北京オリンピックもあって、公衆のマナー向上策がとられたことは事実だろう。乗り降りの際に大変なことになるかと危惧したが、杞憂に終わった。
   ただ、地下鉄に乗るたびに駅で荷物検査があったりして、物々しい感じがした。ただ、この検査というのも有効なのかどうなのかわからない。貴重品が入った荷物を入れるので心配だったが、大丈夫だった。車両は近代的で、快適な運行だ。


北京地下鉄(その3)…2009年春2014/05/17 07:05

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

 毛沢東はこう言った。「深いトンネルを掘りなさい。あらゆる場所に穀物を蓄えなさい。」人々はこれを実行した。最後の数年間でこの地下網は<美化>され、いくつかの宿泊施設は現在ホテルに兼用されている。



   地下鉄の車内もまあまあだ。特段の問題はなかった。中国の内外からの観光客が多く、けっこう混雑していたが。あんなに広い国なのだから、中国人の中には北京だって一生行かない人もけっこういるだろう。
   それに比べると、日本だと東京に行ったことのない人はあまりいないのではないか。地方に住んでいる子供などはそうかもしれないが、成人して大人になれば、出張だの旅行などで東京くらいには行くだろう。北京は大都市なだけに、地下鉄の運行距離も長い。

北京地下鉄(その4)…2009年春2014/05/20 20:27

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

   現在北京には、地下鉄のほかに、複雑さにおいてはローマのカタコンブに匹敵するトンネルが存在する。何百マイルもの長さのそのトンネルには、宿泊施設や炊事場や劇場や店舗が備わり、明らかに八百万の!住人を住まわせることができるのだ。 



    天安門広場を歩いた後は、王府井を散歩する。やはり地下鉄による移動が便利だ。昼食やお茶は王府井のショッピングセンターでとる。なかなか近代的な施設やお店が多い。ロシアやアメリカは1980年代初頭に訪問しているが、はじめての中国の都市である広州は1999年とちょっと訪問が遅くなってしまった。
   だから、みんなが自転車に乗って、人民服を着ているような中国は見たことがない。そんな中国に郷愁を持っている人もいるようだ。さて、これは北京地下鉄の駅の出入り口。やはり近代的なつくりでこぎれいだ。

ソウル地下鉄…2001年春2014/05/22 21:05

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

   最初に突破口が開かれたのは、一六一三年のドイツにおいて、マルチン・ヴィーゲルが鉱山の発破用に火薬を導入したときのことだった。しかし、爆薬がトンネルの掘削に決定的な役割を果たすには、十七世紀の終わりまで待たねばならなかった。



   韓国は近いのだが、はじめて訪問するのが遅くなってしまった。だいたいゴールデンウィークは近場に行くことが多い。ソウルも地下鉄が発達している。とても便利だ。アジアの都市は異常に大きくなるだけに、徒歩だけで回れるということはない。ニューヨークなどはマンハッタンもかなり狭いので、徒歩だけでもかなりのものが見られる。
   やはり日本からのフライトも短いし、時差ボケもないし、韓国旅行は身体的に楽だ。地下鉄もきちんと運行されていて、大変ありがたい。