ワシントンDC地下鉄(その3)…2007年秋~冬2014/06/03 21:21

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

谷譲次「みぞれの街----めりけんじゃっぷ商売往来 六」
 其処も止まらずに電車は走って行く。金持区域には、召使いだって外出には自動車だから、電車に乗る人なんかないので、電車はいつも素通りだ。こうして町を出はずれようとする頃、行手から、金属的な音響に交って、人のどよめきが聞こえてくる。
   それがだんだん近くなると、いきなり下町の雑踏の真中へでも来たように電車が群衆のなかへ突き入る。車内の女や子供は、眼の色を変えて、先きを争って電車を下りようとする。


   ワシントンDCは3回目の訪問。9泊の滞在になる。これだけあると、この街で落ち着いて過ごすことが出来る。土日は原則自由行動になるので、地下鉄に乗ってDCのあちこちに出かけた。これは地下鉄のホーム。照明は日本に比べると暗いので、ちょっと足もとが危うい感じもする。
   シルバースプリングやベセスダなど郊外から都心に通勤・通学してくる人がけっこう多い。政府関係機関、シンクタンクも多いし、三大大学と言われるジョージタウン大学、ジョージ・ワシントン大学、アメリカン大学などもあり、DCは学生も少なくない。これらの大学にはロースクールもあり、日本からの留学生もけっこういると聞いた。


ワシントンDC地下鉄(その4)…2007年秋~冬2014/06/05 22:16

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

新井育三「アメリカ」
 金!金!金! 金が横暴にも、真、善、美の関する限り、その本質的な又、本格質なものを葬り去ってしまうのは、穴勝ち、米国に限った事ではないが、特に米国においては、オール・マイチ・ダラの横暴振りが、眼に立つ。


   ワシントンDCで地下鉄に乗る。車内の様子。DCはニューヨークや東京ほど大都市ではないので、地下鉄の路線もそれほど多くはない。それでも、ベッドタウンにまで路線がのびている。ワシントンは必ずしも治安のいい街ではない。ホワイトハウスに近い地域、国会議事堂の裏などには安全ではない場所もある。
   ワシントンには研修で来ていたが、いずれにしても用事のない地域に出かけることはないから、危ない地域にあたることは滅多にない。利用する地下鉄の駅にしても、政府機関、ショッピングセンター、美術館・博物館のあるところが多くなるが、大概はそこそこ安全な場所だ。

ワシントンDC地下鉄(その5)…2007年秋~冬2014/06/07 06:59

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ「メビウスという名の地下鉄」
   スウィーニーは次の一時間半というものを、電話の傍につきっきりで、全地下鉄の、発車係、調正係、照合係に質問を発した。一時半に昼食を済ませると、もう一度、全地下鉄系統を調べた。


    これもワシントンDCの地下鉄の車内。やはり、いろんな人種の人たちがいる。アーミッシュ、アフリカ系、アジア系の人がいた。メルティングポットとかサラダボウルという言葉もあるが、アメリカの多様性をつくづく実感する。ワシントンDCはアフリカ系の人がとても多い。役所の警備の人なんかがそうだ。連邦政府でできるだけ雇用するという方針があるのだろう。
   切符の買い方がよくわからずにいたら、アジア系(中国系)の女性が親切に教えてくれた。小銭がないとクレジットカードを使えば切符が変えるのだが、その買い方がよくわからなかったのだ。こうした地下鉄の切符一枚を買うのもクレジットカードが使えるが、アメリカはずいぶん前からカード社会になっている。


ワシントンDC地下鉄(その6)…2007年秋~冬2014/06/10 20:35

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ「メビウスという名の地下鉄」
 ハーバード大学の数学者、ロージャー・タぺロが、六日の夕方この条件に登場した。彼はその日遅く、ホワイトの家に電話して、失踪電車に関して意見を持っていると述べた。


   ワシントンDCの地下鉄の駅へのエスカレーター。滞在していたホテルがデュポンサークル近くにあったので、メトロのデュポンサークル駅を使うことが多かった。デュポンサークルはおしゃれな繁華街。ただし、ニューヨークや東京のような超大都市にあるような繁華街とは違う。そこまで大きくはない。
   このデュポンサークルは真ん中に噴水のある公園があって、周囲にはおしゃれなレストラン、美術館、書店などもある。サークルというだけあって、公園は円形をしている。デュポンサークルは比較的安全な地域だが、青空市場では”お金を払う時はギリギリまで”という注意書きもあった。やはり日本に比べると治安が良くないということだろうか。怖い目にあったことは全然なかったが。


ワシントンDC地下鉄(その7)…2007年秋~冬2014/06/12 19:37

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ<メビウスという名の地下鉄>
「私が昨晩網ノ目構造の接続点の性質について話したことを覚えておられますか。」
 タペロはおだやかに答えた、
「私たちが作ったメビウスの輪、面が一つで縁が一つのものを覚えていますか。」
 彼はポケットから、小さなガラスのクラインの壷をとり出した。


 前回に引き続き、デュポンサークル駅のあたりを撮影したもの。この駅は本当によく利用した。他の線との接続もいいので、便利なことこの上ない。ペンシルベニア通りに面したホテルからデュポンサークルに行こうとして一度方向を間違って歩いたこともあった。反対側にはワシントンサークルという同じような円形の公園があった。
   休日には青空市場が開かれ、歩いていろんなレストランに行けたこともこの地の魅力である。ブルッキング研究所、カーネギー平和財団など有名なシンクタンクもこのあたりにある。アメリカの知性を感じることができる地でもある。町並みもとても綺麗だし、整然としている。とてもおしゃれな住宅もたくさんあって、散策するのも楽しい。


セントルイスのメトロ…2007年秋~冬2014/06/14 06:38

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ<メビウスという名の地下鉄>
「教授、あなたは頭がおかしい。今夜半から明日の午前六時までの間に、わが社は車輛を地下から引き上げます。我々は三百人の人間を送って、線路を隅から隅まで、一八三マイルを、片っ端から調べるつもりです。きっと電車を見つけます。ではおひきとり下さい。」
 彼は、タペロをにらみつけた。



   ここは初めての訪問。ミズーリ州のセントルイス。行くまではどこにあるのかもよく知らなかった。それほど大きな街ではない。ど田舎ではないが、ちょっとした中小都市という感じ。ワシントンDCから来ただけに、ちょっとさびしい感じはした。車中心社会で、さすがに巨大な地下鉄網はない。
   ただし、メトロとは呼ばれている鉄道が走っている。とてもこじんまりとした車両でかわいらしい。セントルイスはそれほど安全な街ではないと言われていた。夜遅くメトロに乗ったが、それほど危険な感じもしなかった。こうした情報はおおげさに伝えられることも少なくない。車内ではアフリカ系の青年が音楽を聞いていた。のんびりした雰囲気だった。

サンフランシスコのバート…2007年秋~冬2014/06/17 20:37

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

雅川滉「ハリウッドまで」
   畑も果樹園も見捨てられた。故郷も、パパも、ママも瞬時に忘却されて行った。しかしそれがアイ子の機会の針路である。疲労などあってはならない。アイ子は用箋を拡げると、ジュリアへの手紙を書きはじめた。 
 


   カリフォルニア州のサンフランシスコ。多くの人が知っているように、ケーブルカーは街のシンボル。料金は高く、観光客用という感じ。そのほか、バスやトロリーバスなどの公共機関が発達している。空港も含めて、サンフランシスコ市街ではバートという鉄道が走っている。昼間は20分に1本くらいの運行だっただろうか。
   アメリカに住んでいる人に「本数が少ないね」と言ったら、「アメリカではこれだけの頻度で動いていたら立派なもんだ」と反論されてしまった。確かに、東京の地下鉄はひっきりなしに発着している。新幹線だって、東京と大阪の間などはすごい本数だ。ワイナリーのあるナパ・ソノマに行くために、空港からバスを使った。帰りは、バスに乗って空港にいったん行って、サンフランシスコの都心に戻るのにバートを利用した。

香港地下鉄…1997年夏2014/06/19 20:00

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ
「メビウスという名の地下鉄」
 一方地下鉄の方は、まるで何事も面倒なことは起こらなかったかのように営業されていた。総支配人も市長代理も捜索の夜のことを忘れたかのようにしていた。あるいは少くとも彼らが見たり見なかったりしたものの意味を解釈し直したようであった。



   香港は3回訪問している。経由地として、寄ったものも入る。その際も街には出ている。香港は手軽に観光できるというメリットがある。香港の市街地はかなり狭いが、そこに地下鉄もしっかり整備されているから便利なことこの上ない。フェリーを使ってもよし、バスを使ってもよし、地下鉄でもよしと、公共交通には恵まれている。勿論、徒歩でもかなりの範囲をカバーすることはできる。
   何しろ、地下鉄を利用すれば目的地にはあっという間に着いてしまうのだから、少々物足りなさも感じる。だから車内で本をじっくり読んでいる人はあまり見かけない。日本人が読書好きなのは事実だが、長い通勤時間とも関係している。通勤時間が長い人ほど、しっかり新聞や本を電車の中で読んでいる。
   一般に東アジアの大都市は極端に大きくなりがちである。東京、ソウル、北京などの地下鉄網も広い。それだけにこじんまりした香港はユニークであり、コンパクトな地下鉄網もまた利用しがいがある。これは地下鉄の中環駅で降りて、地上に出て、少し歩いたあたり。ロンドンに行くための直行便が取れず、香港経由となった。その際に時間がかなりあったので、街に出た。

釜山の地下鉄(その1)…2002年夏2014/06/21 07:51

金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年

   渡船で釜山の市街に着くと、そこに相生館という映画館がある。(当時は「映画」などという言葉はなく、専ら「活動写真館」といったが、)その相生館の前で晴れた日は大抵大道易者が干支を大きく描いた布切れを地面にひろげて、運命鑑定の講釈をしていた。



   釜山は地下鉄で巡る。東京、ソウルほど大きな街ではないので、路線もそんなに大規模ではない。それがゆえに、とってもわかりやすい。夜遅く、雨が降っている時に到着したので、街の様子がわからなかった。ホテルもユニークな建物だったが、あらためてそのことを確認することになる。着いた時はどしゃぶりだった。
   翌朝起きて、街に繰り出す。着いた時のような大雨ではないが、始終小雨模様だった。だからこそ地下鉄はありがたかった。霧雨の中の釜山を観光した。釜山は日本から近いので、当然、時差ボケはない。身体も楽だ。釜山から近いので、慶州にも行くことにした。いずれにしても、地下鉄を使って、釜山の主な観光地はだいたい回ることができた。

釜山の地下鉄(その2)…2002年夏2014/06/24 20:24

金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年

   夜十時が過ぎて、終着駅の一つ手前の釜山鎮駅に着いた。そこで降り、灯火管制で真っ暗な駅舎を抜け出して、水晶洞にある伯母の家に行った。そこへ来ているはずの手紙が気にかかっていた。



   コモドホテルという朝鮮王宮を再現した素敵な風情のホテルにとまった。地下鉄の釜山駅から歩いて10分くらいの便利なところ。坂があったり、やや道は入り組んでいたが、地下鉄の駅には難なく到着することができた。やたらロシア語の看板があり、この頃からロシア人が世界中に進出していくことになる。その前の年にベルリンの動物園に行った時もロシア語が聞こえてきた。ソ連時代には考えられなかったことだ。
   いずれにしもて、釜山の地下鉄を使いこなして、快適に街を巡ることができた。2002年9月から10月にかけて、釜山でアジア競技大会が開かれたが、その直前だったこともあって、警備が徐々に強化されているのが分かった。アジア競技会を歓迎する看板もあちこちにあった。天気があまり良くなかったので、霧雨が煙る釜山の姿を見ることになった。