ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その21)…2013年夏2014/09/02 20:15

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   便利さに少しばかり甘やかされてしまっている僕らは、フェリーに乗り込むと安心した。ディナーに暖かい部屋、ほかほかのベッド、きちんとしたシャワー室に期待で胸を膨らませていたからだ。



   行きは快晴だったが、帰りはものすごい雲が出てきた。積乱雲だろうか。なんだか豪雨とか雷雨が来そうな雰囲気だ。海の上ではこんな雲ができやすいのだろうか。すごい迫力だ。時間に身を任せ、ずっと雲に見入っていた。行きに比べれば、のんびりした気分になれる。ヘルシンキに着くのは夜遅い時間だから、帰っても寝るだけだ。
   といっても緯度の高い地域で、夏なので、なかなか暗くならない。翌日はヘルシンキ市内をまわる予定にしている。サーモンのオープンサンドを食べただけだが、けっこう満腹感がある。船の中でさらに何か食べようとする気にはならない。お土産もタリンの街中で買ったので、もうそんな必要もない。

ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その22)…2013年夏2014/09/04 19:32

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   カフェテリアに入ると、まずぐるっと一周し、わりに空いているのを確認した。ショーケースにはおいしそうなサンドイッチ、この豪華なヤツが全部選りどり見どりだ。



   来た時と同じようにスーパースターは快調に航行する。やはり、あっという間に出港していた。スピードだけでなく加速度でもすぐれた船だ。天気は崩れることなく、帰りも良かった。だから、また甲板とかに出ることが多くなる。反対方向から来た船とすれ違う。タリンとヘルシンキの間は、それにしても多くの客船が通っている。
   エストニアがソ連に属していたころは、こんなに客船はなかっただろう。ソ連国民が自由に海外に旅行できる自由はなかったからだ。さて、日も暮れてきたから、来た時とは景色も異なる。ちょっと薄暗いだけに、ここから見える他の船も趣がある。白夜のピークは過ぎたとは言え、外はそこそこ明るい。

ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その23)…2013年夏2014/09/06 06:40

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   この一〇年以上も前のそれが、僕が車や飛行機、船を含めて乗り物酔いした、たった一度の経験だ。そこでサウナで今の状態が何なのかという可能性の中に、船酔いが浮かばなかったわけだ。しかも、船が揺れ始めていることにはっきりと気づいていなかった。



   雲をじっくり見るのは久しぶりだ。考えたら、子どもの頃はぼんやりと雲を見ている時間がけっこうあったような気がする。大人になると、そんな時間もなくなる。飛行機に乗っていると雲を見る機会はあるが、こうやって船の甲板から見るのとは違う。窓も小さいし、飛行機そのものがすごいスピードで動いているから、こうやって雲が変化すること自体をゆっくり見ることにはならない。
   ぼんやりと甲板にいるのは心地よい。帰りの便だから余計、ゆるりとした気持ちになる。日も暮れてきたし、北国なのでそんなに暑くはなく、安心しきってしまうが、太陽光線の刺激がけっこう強い。気を付けないと紫外線をたくさん浴びてしまう。タリンでも紫外線がかなりきつい感じがした。


ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その24)…2013年夏2014/09/09 19:34

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   それにしても、どうして僕だけがこんなに気分が悪いのだろう。ロシア人のほうに目をやると、ご機嫌で食べたり飲んだりして騒いでいた。



   相変わらずのんびりと雲を眺めていた。航行時間は2時間だから、席に座ってなくても、あっちこっち行けばすぐ時間は経ってしまう。座るところはすぐうまってしまうが、カフェなどに行けば必ず座れるし、他にも椅子がたくさんある。雲は一瞬たりとも同じ形を保たず、少しずつ姿を変えていく。そして同時に移動もしている。
   当初心配していたような豪雨も雷雨もない。もっとも雨が降ってきても、この日はホテルに帰るだけだから、そんなに心配することもない。船は順調にバルト海を航行する。このペースでは予定通り、ヘルシンキ港に着くことになろう。すれ違う船もいろいろあって楽しい。


ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その25)…2013年夏2014/09/11 20:16

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   ベッドの上でウーンと体を伸ばし、考えてみる。居眠りをしてしまった……。しかも靴を履いたままだ。それにしても、ほかの連中はどこにいるんだろう。今、何時かな。アルフはここにいないのだろうか。とにかく休めてよかった。あれ、それにもう気分も悪くないぞ!



   甲板もいくつかある。あるところは飲みコーナーになっている。ここぞとばかりお酒を大量に飲んでいる人が多い。EU国民であれば、域内を自由に移動できるので、EU諸国からの旅行者が多いのだろうか。出国手通きも不要だった。酔っ払った人がたくさんいる。話かけてくる人もいた。どこの国の人だったか分からなかった。みんな気分よく飲んでいるらしい。フィンランドのような北欧諸国は物価も消費税も高い。さらにお酒やたばこにかかる税金もかなり高いだろう。
   タリンから乗り込む人は大量にお酒を持ち込んでいた。エストニアではアルコール類もかなり安いのだろうか。お土産屋も物価が安かったから、そうなのだろう。飲酒コーナはたばこ臭いことも事実。女性や子どもはあまりいなかった。行きに比べると風が強くて、直接風が当たるところはじっと立っているのも大変だ。髪の毛がくしゃくしゃになる。船がヘルシンキに近づくにくれて、日もだんだん暮れていく。


ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その26)…2013年夏2014/09/13 05:28

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   不意にかなり大きな揺れにみまわれ、僕の椅子が倒れる。手すりに手をかけていたのは、偶然とはいえ運が良かった。おかげで、仰向けにひっくり返らずにすんだ。ヤーンエリックが手を貸して僕を引っ張りあげてくれる。



   雲、雲、雲……。迫力ある雲が海の上に張り出している光景は変わらない。しかし、陽がだんだんと落ちてくるし、船はヘルシンキにも近づいていく。行きと同じ船なのでファンネルも同じだが、大きな船体でスピードもあり、とてもスマートな印象だ。日暮れの太陽なので、煙突も別の色に染まる。海を見ていても、かなりの速度で進んでいることが理解できる。
   タリンでは石畳の坂道を歩いたので、けっこう足が疲れた。しかし、こうやって船の甲板で立っていることは苦にならない。ちょっとずつ気温も下がってきた。しかし、寒いというほどでもない。ただ、猛暑の日本から来たので、それに比べると気温はかなり低い。




ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その27)…2013年夏2014/09/16 19:50

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

   人々は一段一段階段を登って行く。自由になるまでに、まだ階段を二周りしなければならず、絶望して泣き叫ぶ者もいれば、喘ぎ呻いているだけの者もいる。その中に自分が混じっていること、そういう極限の状況に巻き込まれたことが何だか不思議な気がしていた。



   だんだんと陽が落ちていく。気温も下がっていくが、夕陽を見たくて、ずっと甲板にいた。行きに比べると、風も相当強くなって、風のあたらないところにいないと落ち着かない。あまりに風が強いので、もろにあたると髪の毛がくしゃくしゃになってしまう。
   甲板に出ている人も少なくなってきた。日本人も少しは乗っている。船の中は無線LANが使えたが、帰りはスマホの電池がなくなってしまい、使うのはあきらめた。タブレットを持って来れば良かったが、日本に置いてきてしまった。タブレットの方が電池持ちがいいから、海外旅行には携行するといい。




ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その28)…2013年夏2014/09/18 20:12

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

「手伝ってくれる?協力してくれますか?」
「もちろん」と彼女。
「ケントって言うんだ。ケント・ハールステット」と挨拶の握手に手を差し出すと、彼女のほうも「私はサラ」と応じてくれた。



   夕陽が落ちていくのをずっと見ていた。帰りは、ほとんどの時間、雲と夕陽を見ていた。行きに比べると、船上からの景色を見ている人は減っている。周囲も暗くなってきたし。お酒を飲んで、ゆっくりしている人。タバコを吸って、のんびりしている人。そんな人たちが目立つ。北欧の街は、酒やタバコにあまり寛容ではないようだから、船の中ではハメをはずすのかもしれない。
   甲板にいる人がかなり少なくなってきた。航行時間があまり長くないので、レストランも比較的空いている。やはり船内の売店でハンバーガーなどを買って食べる人が多い。ヘルシンキにだんだん近づいていく。

ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その29)…2013年夏2014/09/20 06:49

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

 ボートの中はいくぶん温かいように感じたが、襲いかかってくる波はだんだん冷たく狂暴になっていく。最もたちが悪く、僕らの精力を吸い取ってしまうような波は、氷のように冷たい霰の鞭となって、ボートの中に叩き込んでくるものだった。



 時間とともに陽が落ちていく。なんだか陽が落ちるペースが遅いような気がする。緯度と陽が落ちる速度とは関係があるのだろうか。そもそもこの時期は一日が長いのだから、ある意味陽が落ちる時間も長いのは当然だろうか。
   白夜のピークといえる時期は過ぎているが、夜の相当遅い時間まで陽は昇ったままだ。ちょうど陽が沈むところを撮影したいと思いながら、ずっと時間を過ごしていた。なかなか完全には沈まないようだ。夕陽に映える白樺林の多い森がとても綺麗だ。


ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その30)…2013年夏2014/09/23 07:28

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

 とにかく、引き上げられて行くときの感触は最高だった。僕はその瞬間を少しでも心に刻み付けようとした。これからもずっと、救命ボートからヘリコプターに引き上げられたこの瞬間を、忘れたくはないと思ったからだ。どんな状況でも必ず救いはある、という「記念」として、いつまでも胸にしまっておきたかった。



   タリンではそんなに気温が高くなったが、体感温度は高かった。歩きだけで街を見たので、けっこう疲れてしまった。それでも涼しい風に当たって、甲板にいるのは気持ちがいい。だんだんとヘルシンキに近づくにつれて、静かな雰囲気になっていく。
   エストニアもフィンランドもユーロを使っているから、エストニアで両替をする必要はなかった。フィンランドはクレジットカードがアメリカ並みに普及しているようで、いざとなればカードという手もある。
   さて、夕陽が沈むようで、なかなか沈まない。けっこうじれったいものを感じる。ちょうど水平線に太陽が沈む瞬間を撮影したいが、それよりも前に入港してしまうかもしれない。