横浜--ナホトカ間の航路(その4)・・・・1980年夏 ― 2014/10/11 05:44
五木 寛之著
『ナホトカ青春航路 (Essay books―流されゆく日々)』
PHP研究所、1984年
いろいろ書いてますから、本を読んでいらっしゃる方は、もうご存知だと思いますけれども、横浜の港から<バイカル号>っていうソ連船舶公団の船に乗って、何日もかかって北上して、そしてナホトカ、イルクーツク経由でモスクワへ出るわけですね。
ようやくロシアの地が見えてきた。ロシアといっても極東のシベリアのはずれの街だが。はじめて見る異境の地は幻想的に見えた。なにしろ海外の地を踏むのははじめての体験だ。遠くから見るとどんな都市でもきれいに見えるものだが。
とてもこぎれいな街が見えてきた。みんな甲板に出て、ナホトカの街を見やっている。飛行機ではなく、船での旅となったことが大きな意味を持った。はじめて行く海外の地が飛行機によるものだったら、味気なかったかもしれない。2日半もかけて、船酔いに苦しみながらたどり着くところなのだ。
『ナホトカ青春航路 (Essay books―流されゆく日々)』
PHP研究所、1984年
いろいろ書いてますから、本を読んでいらっしゃる方は、もうご存知だと思いますけれども、横浜の港から<バイカル号>っていうソ連船舶公団の船に乗って、何日もかかって北上して、そしてナホトカ、イルクーツク経由でモスクワへ出るわけですね。
ようやくロシアの地が見えてきた。ロシアといっても極東のシベリアのはずれの街だが。はじめて見る異境の地は幻想的に見えた。なにしろ海外の地を踏むのははじめての体験だ。遠くから見るとどんな都市でもきれいに見えるものだが。
とてもこぎれいな街が見えてきた。みんな甲板に出て、ナホトカの街を見やっている。飛行機ではなく、船での旅となったことが大きな意味を持った。はじめて行く海外の地が飛行機によるものだったら、味気なかったかもしれない。2日半もかけて、船酔いに苦しみながらたどり着くところなのだ。
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