横浜--ナホトカ間の航路(その8)・・・・1980年夏2014/10/21 21:40

畑山博著
『3番線ホームの少女』
潮出版社、1983年

<ナホトカ特急殺人事件>
 朝日が列車の右後方から射していて、前方の地平線が薄く紅色に輝いている。と、その紅色の地平線にぽつんぽつんと家の屋根が見えはじめ、列車は小さな村に入って行く。


  1か月ロシアとリトアニアを旅した後。帰りの船はバイカル号を使った。こちらの船の名はけっこう知られていた。4年前の1976年の夏、このバイカル号で凄惨な事件が起こったからだ。行きとは逆で、ナホトカから横浜に向かう。行きのことはけっこう覚えているが、帰りとなるとあまり記憶がない。どの旅行でもそうだが、帰りの便はそんなに感慨深いものではない。
   行きはいろいろと遊んだけど、帰りは何をしたのかさっぱり記憶がない。ただ、帰りも船酔いにやられてしまい、つらい目にあったことは確かだ。行きとまったく同じ結果になってしまった。当時は、乗り物酔いの薬も一般的ではなかった。インターネットもなかったし、生の旅行の情報もそんなになかった。