虎山長城を歩く…2014年春(その28)2015/05/02 06:22

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   一一月中ののどかな小春日和であった。平壌上空に米軍機が現れ、耳をつんざくような爆撃音がしていた。


   国境地帯ともなっている虎山長城をのぼっていくと、右側が中国、左側が北朝鮮という構図になる。両方が見られるという面白い場所である。中国側の住宅が見える。いかにも大陸という感じの家々だ。やはり北朝鮮側に比べると、こちらの方が豊かそうだ。ただ、瀋陽から丹東に来るともっとのんびりした感じになるし、丹東市街から虎山長城にくるともっと牧歌的な雰囲気になる。


虎山長城を歩く…2014年春(その29)2015/05/05 06:48

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   彼らは放送を聞きながら、過去三年間の苦悩と今後の期待が交錯する複雑な心境を抑えがたかった。


   虎山長城の長城が見える。急ぎ足でてっぺんまでのぼっていこうかとも思ったが、まだまだ先は遠い。万里の長城には行ったことがないが、似たような雰囲気だろう。北京に行ったことはあるが、そこから万里の長城まではまだ行っていない。虎山長城をこうやって眺望してみると、なかなか壮観だ。


虎山長城を歩く…2014年春(その30)2015/05/07 09:50

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   賄い婦は「飢え死にしてもしかたない」という調子で、あえて食事を出そうともせず、持っていく気もないようだった。


   ところどころに展望台も兼ねた中継ポイントがある。急で狭苦しい階段をのぼって、周囲の景色を眺めた。そんなに観光客もいないのだが、この階段だけは一人しか通れないので譲り合うしかない。たまたま他の観光客もいた。階段をのぼるときはそんなでもなかったが、降りるのがけっこう怖かった。カメラとか荷物も持っていたので、それも落とさないようにしないと。


虎山長城を歩く…2014年春(その31)2015/05/09 07:19

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   拉北人士の大部分は自分なりの論理を持って賛託または反託の隊列に立ち、李承晩と米国に対して批判的な立場をとるという点では一致していた。


   虎山長城というか一歩跨のあたりを観光客が歩いている。同じ場所でも人のいる写真といない写真ではかなり印象が違ってくる。やはり人がいる方がいい感じだ。この旅程では観光ガイドさん、ドライバーさんも一緒だったが、ここは待機してもらっているので別行動だ。鴨緑江のクルーズは一緒だったけど。前方の北朝鮮の領土、こちら側の中国の領土が両方見える。


虎山長城を歩く…2014年春(その32)2015/05/12 08:55

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   夜が明けて寝床から起き上がってきた彼らの目は、赤くはれあがっていた。


   虎山長城から北朝鮮側を眺める。北朝鮮の家が見える。”一歩跨ぎ”から見るのと視点が違うので、また印象も異なってくる。どこの土地でもそうなのだが、遠くからの視点というのは粗が見えないので、小奇麗に見えるものだ。そうはいっても、北朝鮮の家々の雰囲気については寂寥とした印象は変わらない。


虎山長城を歩く…2014年春(その33)2015/05/14 09:53

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   帰りはソ連の飛行機に乗り、二日目に平壌に着いた。

   中国側の風景。池などが見られる。このあたりはゆっくり見ることはしなかった。日本だとこうした観光地にはお土産屋がわんさかとあるのだが、そんな雰囲気はない。実際には地元の物産も含めて土産屋が出口にあったのだが。
   ”一歩跨ぎ”に比べると坂が多いので、ちょっと汗ばんでくる。頂上には行ってないが、かなりの距離を歩いたので、また戻るまでに速足になる。


虎山長城を歩く…2014年春(その34)2015/05/16 07:51

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   金日成は、「皆さん、よくいらっしゃった。ご苦労様です」という挨拶とともに要人らと握手を交し、中央の自分の席に座って一同を見回した。


   虎山長城の概要を示した看板がある。日本語と中国語は言語としてはかなり大きな違いがある。しかし、漢字があるおかげで、中国語が分からないにしても中国の旅行はかなり楽になる。そこは日本人には有利である。韓国の場合だと、実際には漢語がけっこうあるのだが、ハングル文字しか使わないのが原則なのでそこが違ってくる。


虎山長城を歩く…2014年春(その35)2015/05/19 08:55

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   拉北以来の生活を回顧すれば、我々に対する当局者の態度と処遇は日がたつほど執拗になっていた。


  北朝鮮の家々を遠くに見る。かなり高い視点から見ると、なかなかきれいな風景である。しかし、近くから見ると、安普請の建物だ。電気が通っているかどうかも確かではない。このあたりは国境地帯に橋がかかっているわけでもないので、人々の行き来を見ることはできない。丹東の街には大きな橋がかかっていて、トラックも鉄道も動いていたが、ここはまったく別の雰囲気を持った国境地帯である。


虎山長城を歩く…2014年春(その36)2015/05/21 14:11

虎山長城を歩く…2014年春(その36)

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   季節は一〇月末になろうとしていた。数日間冷たい北風が吹きまくり、気温は零下に急降下した。


   こちらの畑は中国側の領土。北朝鮮よりは洗練されている感じがする。何の畑だかよくわからないが。あまり植物とか作物のことについて詳しくないから。北朝鮮側は平地の畑が多いが、こちらは傾斜地がある。冷涼な地域だからライラックも咲いていたが、そうした地域で育つ作物の畑なのだろうか。2枚目は川向こうに北朝鮮の領土が見えている。



虎山長城を歩く…2014年春(その37)2015/05/23 07:14

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

 共同声明と談話文発表に関する問題は、何度かの激論によっても意見の対立は解消されなかった。


   虎山長城の坂はスロープになっているところもあるし、このように階段になっているところもある。なかなか階段をのぼるのもきつい。やはり観光客は比較的若い層が多い。やはり旅行というのは体力もいるし、ある程度元気でないとできないものだ。