タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その80)2016/06/04 07:39

M・ザドウナァイスカ再話、B・シャトゥーノフ絵、宮川やすえ訳
『うみの女王とまほうのスカーフ--エストニアの民話--』
岩崎書店、1991年

   りょうしたちは、じぶんのむらへ むかって、ふねを こぎました。


   最初に来た時にも見えた建築物がまた見えた。ビルのデザインや色遣いもおしゃれだ。さすがに建築先進国の北欧・バルト諸国だけのことはある。またヘルシンキに戻ることになるが、この都市もおしゃれなビルが多い。普通の住宅地でも本当にきれいな建築物となっている。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その1)2016/01/28 08:52

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   女はロシア人だった。エストニア語を話すロシア人。


   ヘルシンキから2時間かけて、フェリーでエストニア共和国の首都であるタリンにやってきた。船の旅は快適だった。天気もいい。船酔いもなく、いい気分でタリンの街を歩き始める。港からすぐ歩くと、小奇麗な建物がある。監視カメラの表示もある。そういえば、エストニアはITの先進国だ。こうしたカメラ網も発達しているのだろうか。


ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その34)…2013年夏2014/10/02 20:59

ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年

 つまり、福祉国家が機能していたのだ。そこで育まれる安心感は、どういうわけか、成長して中学、高校へ進学するころになっても揺るがない。社会に出ても、安心感のイメージが身についていることになる。このイメージが、人間の生活条件改善のために、僕を政治的活動に駆り立てた理由の一つだと思う。



   やはりみんな急ぎ足で下船する。タクシー乗り場には車が沢山とまっていた。問題なくタクシーに乗って、中央駅に向かう。このまま空港に近接したホテルまで乗ってしまうと高くつくので、中央駅でリムジンバスに乗ることにする。中央駅はヘルシンキで一番賑やかな場所だ。
   夜の7時半にタリンを出て、9時半にヘルシンキ着。下船するのにちょっと時間がかかり、それからタクシーに乗ってヘルシンキ駅に着いたのはちょうど10時だった。ヘルシンキには地下鉄もあるが、郊外の住宅とつながっており、観光で使う機会はあまりない。
   タリンへの旅は日帰りでけっこうあわただしかったが、時間は十分にあった。タリンは半日もあれば主な地域はだいたいまわれる。朝早く出かけ、夜遅くまでの日程だったので、これで十分満喫できた。

ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その1)…2013年夏2014/07/17 19:57

池澤夏樹著
『きみのためのバラ』
新潮社、2007年

「ヘルシンキ」
   あ、ああ、りんごジュースね、と男の声がした。ホテルの食堂、ビュヘの朝食の雑踏の中からその言葉が日本語で立った。それに呼応する子供の声を直前に聞いたのだが、そちらは日本語ではなかったようだ。



   2013年の夏はヘルシンキを拠点に旅をした。直前に申し込んだこともあり、直行便はとれなかった。アムステルダム経由になった。KLMオランダ航空の機内では、よその国のガイドブックを見ている人たちばかり。ヘルシンキとエストニアのタリンは距離も近く、フェリーで結ばれていることを知り、タリンにも行くことにした。
   バルト諸国は、ソ連時代のリトアニアに行ったことがある。だが、エストニアには行ったことはなかった。だからエストニアは初めての訪問になる。ヘルシンキ港からフェリーに乗る。電光掲示板があって、どこ行きの船がいつから乗船できるかとか、どこから出港するかとか書かれている。

タリン・占領博物館…2013年夏2013/08/23 22:05

ヤーン・クロス著、沼野充義監修・解説、沢崎冬日訳
『狂人と呼ばれた男--あるエストニア人貴族の愛と反逆』
日本経済新聞社、1995年

 彼はすっと眉をあげたが、その眉にも白いものが混じっていた。私は、この三週間で彼の顔色がずっとよくなったと思った。乗馬で体重を二〇ポンドばかり落としたらしく、そのおかげで(短く刈り込まれているものの)ほとんどまっ白になった口ひげをのぞけば、その容貌は若々しいとさえ言えた。彼は咎めるような皮肉な口調で、エストニア語で答えた。


 エストニアのタリンの街中を歩く。石畳の坂道が多く、けっこう歩きにくい。気温は高くないが、日射しがきつい。アレクサンドル・ネフスキー聖堂、トムペア城からの坂を降りて、自由の丘にたどり着く。独立戦争記念碑が立っている。その近くに占領博物館がある。ソ連によるエストニア支配に関するものが展示されている。



  なお、タリン港から中心街に歩くと、エストニアの近代の歴史を示す写真が並んでいる。第一次世界大戦後、エストニアは独立し、また第二次大戦時にはソ連に併合され、1991年のソ連崩壊後に独立を回復している。

タリン市博物館…2013年夏2013/08/20 20:03

ヤーン・クロス著、沼野充義監修・解説、沢崎冬日訳
『狂人と呼ばれた男--あるエストニア人貴族の愛と反逆』
日本経済新聞社、1995年

 ファン・ボック男爵はエストニア語を話した。かなり流暢ではあったが、それでも彼の発音には硬くとげとげしいドイツ語訛りが混ざっていた。(私は今でもそれを聞くとたじろいでしまう)。



   ヘルシンキに宿をとったが、対岸にあるエストニアのタリンにも行ってみた。バルト諸国を訪問するのは33年ぶりのことだ。まだソビエト連邦の一員だったリトアニアのビリニュスを訪問したことがある。ソ連崩壊の時期、バルト諸国はソ連から独立した。タリンはヘルシンキよりも小さな街。中世のたたずまいを残した街で、石畳の坂道が美しい。タリン市博物館に入る。
    この建物の歴史は14世紀までさかのぼる。典型的な中世のつくりである。何世紀にもわたって商人や町の議員らによって所有されてきた。1963年から65年に修復され、博物館として利用されることとなった。最後の修復は2000年に行われ、現在の姿となった。先史時代から1991年の独立までの期間についての展示物がある。ソ連時代の生活用品などもあった。