パリ地下鉄(その5)…1998年夏2014/04/08 20:12

レーモン・クノー著、生田耕作訳
『地下鉄のザジ』
中公文庫、1974年

「さよなら、小父さん」ザジはうわの空で言う。
 ジャンヌ・ラショールは彼女を車室に引きいれた。
「で楽しかった?」
「まあまあね」
「地下鉄は見たの?」
「うゥん」
「じゃ、何をしたの?」
「年を取ったわ」



 こちらもパリの地下鉄の車両。この車両だったかどうか、覚えていないが、目の前にロマの少女が座って、いきなりアコーデオンを演奏し始めた。突然こんなことをされるとびっくりしてしまう。哀愁に満ちた曲だけに、ちょっと感傷的な気分になる。しかし、そこで反応したり、写真を撮ったりしたら、お金をせびられることになるから無視していた。
 その少女はまた別の場所に移り、演奏を始めた。そんな行動を繰り返している。それから地下鉄の中で、何やら演説している危ない人物もいた。日本人の観光客がいて、「さすがにパリだ」と感激していた。単なる変人だけだったと思うが。

パリ地下鉄(その1)…1998年夏2014/03/29 07:37

レーモン・クノー著、生田耕作訳
『地下鉄のザジ』
中公文庫、1974年
 
 ザジは眉をひそめる。不審顔。
「地下鉄?」繰り返す。「地下鉄?」蔑んだ顔つきでつけ加える。「地下鉄は、地面の下にあるのよ、地下鉄は。でたらめもいいとこね!」


 花の都パリの地下鉄。直行便が取れずに、シンガポール経由で来ただけに、パリにたどり着いた喜びも大きかった。しかも早朝に着いて、凱旋門から回ったのだが、エレベーターが休止中で疲れてしまった。スーツケースを持ったまま、階段であがったから。
   パリではなんでもセンスがいい。地下鉄も同様だ。これはホームの写真。やはり地下鉄で回るのが一番楽だ。

オルセー美術館(その16)<ロートレックの『黒いボア』>…1998年夏2013/05/31 21:07

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(下)』
岩波文庫、1999年

   この全体の再審査というのが、またおそろしく厄介な仕事なのだ。委員は、審査会が二十日間続いたあと、守衛たちが準備作業をする二日間だけ休息できるとはいえ、所定の午後、三千点もの落選した絵がずっと並ぶ中に入ったときはぞっとしてみぶるいするのである。その中から、規定の入選作二千五百点の不足分を補うために、再度選定を行わなければならないのだ。



   これもロートレックの絵。やはり他の絵と同じように独特の不気味さがある。しかし、それがゆえに印象は強い。見入ってしまう絵だ。この女性の周囲にあるオーラみたいなものも見えてくる。ロートレックの絵全体がそうだとも言えるが。人間の苦悩、悲しみが体にこびりついているのを感じとれる。
   弱い者や社会的に阻害された人などに視点が集まっている。数年前に、 日本でロートレック展が開かれた時に、この『黒いボアの女』はポスターにも使われたことがあるようで、けっこう知られた作品になっている。

オルセー美術館(その1)<入口>…1998年夏2013/04/09 22:18

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

    クロードは身をふるわせてさけんだ。
「ああ、このパリ……パリはおれたちのものだ。征服せずにおくものか!」
    四人とも、情熱に燃え、欲望に輝く目をかっと見開いていた。大通りの高みより全市に吹きおりるもの、それは栄光にほかならない。パリは眼前にある。彼らはそれをわがものにするのを熱望していた。



    パリのオルセー美術館。ルーブル美術館を後にして、この美術館にやってきた。ルーブルとオルセーはセーヌ川をはさんで向かい合っている。実際に、ルーブルは宗教画とか歴史画とかキリスト教など欧州を舞台とする知識に通じていないと理解しにくい作品が少なくない。
    それに比べると、日本人に大人気の印象派の絵画が多いオルセーは敷居も高くなく、十分に楽しめる。このオルセー美術館もともとは駅だったようで、外から見た感じもルーブルとはかなり異なる。

ルーブル美術館(その4)<ミロのビーナス>…1998年夏2013/04/05 20:16

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

    彼の昂奮は高まるばかりだった。それは、女の肉体にたいする彼の清純そのものの情熱だった。つまり、渇望し、求めても、決して得られない女性の裸像にたいする狂おしい恋情といえるものだった。両腕で抱きしめたくなるほどの肉体の創造を熱望しても、決して満足の得られない無力感だった。



    ルーブル美術館にある有名な展示物の一つ。ミロのビーナスである。このミロのビーナスは古代ギリシャの彫刻で、作者は不明。目の前でしっかり見られるのはありがたい。日本だとガラスの向こうだったりする。世界的な芸術作品がこうして直に見られるのだから最高だ。
   ルーブル美術館は世界最高峰の美術館だ。その前に、ロシアのエルミタージュ美術館、ロンドンの大英博物館を訪問したこともあったが、それにも並ぶ美術館と言える。

ルーブル美術館(その2)<入り口>…1998年夏2013/03/29 19:42

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

   とたんに二人は爆笑した。ルーヴルにはこんなふうに描かれた絵はないというのだろう。こんなのを見たこともないのなら、見せてやるまでだ。そして公衆の度肝を抜いてやるんだ!



    成田からパリへの直行便がとれず、キャセイ航空となったので、香港で乗り換えが必要だったため、全体のスケジュールも窮屈になる。パリを効率的に巡る必要があった。何しろパリは世界一の観光地なのだ。地球のあらゆる地域から観光客が押し寄せ、エッフェル塔やらルーブル美術館やらを訪問することになる。
    ルーブル美術館はピラミッドの形をしたところが入り口である。 地下までエスカレータで降りる。もともと、この美術館は城塞だった場所が出発点となっている。フランソワⅠ世という王様がルーブル宮殿を建設しようとしたが、その夢が適う前に亡くなってしまった。

ルーブル美術館(その1)<入り口>…1998年夏2013/03/26 21:14

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

   ああ、あの愚かな手さぐりの時期!自分とは全く考え方のちがうあの間抜けじじいに、手をへらで叩かれつづけてばかげた練習をしていた六か月間!今となってはいまいましいいかぎりだ。とうとう、ルーヴルでの模写はやめだと宣言してやったのだ。
   模写なんて、いま現に生きている世界のヴィジョンを永久にぶちこわしてしまうだけだ。そんなことで目をだめにしてしまうくらいなら、腕を切り落とした方がましだと。



   パリに行って、ルーブル美術館を見ない選択肢はない。パリに限らず、大都市は地下鉄が発達しているからどこへ行くにも便利だ。日本や欧州の大都市の場合、地下鉄が一番便利だ。ただ、アメリカの場合は、大都市でもニューヨークなどを除くと、それほど公共交通が発達していないので観光しにくい面もある。
   パリの市街地は集積がうまくいっており、面積も狭いので主だった観光地へは簡単に行ける。目指すルーブル美術館へも問題なく移動できた。まずエスカレーターをのぼる。入場券を買う窓口にはけっこう行列ができていた。

セーヌ川の絵描き…1998年夏2011/04/01 21:15

洪世和著、米津篤八訳
『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』
2002年、みすず書房

  こんちくしょう!
  私は罪のないセーヌ川に当たり散らした。ソウルに漢江が流れるように、パリにはセーヌ川が流れる。どちらも日が昇る方角から日が沈む方角へと流れ、漢江は西海〔黄海〕に注ぎ、セーヌは英仏海峡の側、大西洋へと注ぎ込む。ところが漢江はソウルを江南と江北に分けて流れるが、セーヌはパリを左岸と右岸に分けて流れるのだ。こんちくしょう!川の水さえも、一方は南北を分けるのに、もう一方は左右を分けるのか!



 シンガポール経由でパリにやってきた。パリの象徴といえば、セーヌ川。川のほとりで画家たちの卵が似顔絵屋さんをやっている。パリに行ったことのない人でも、セーヌ川という言葉を聞けば、お洒落なものを想像する。


 英国のテムズとも趣が違う。川だけではなく、街のイメージとも重なるからだろう。川に沿って航行する船が橋の下を通る。この日の川の流れはとても静かだ。

シャンゼリゼ通り…1998年夏2010/07/09 21:40

ヘミングウェイ著
『移動祝祭日』
2009年、新潮文庫

 だが、パリはとても古い街であり、私たちはまだ若く、そこでは何一つ単純なものはなかったのである。たとえ、それが貧困であれ、突然転がり込む金であれ、月の光であれ、善悪であれ、あるいは月光を浴びてかたわらに横たわっている女の息遣いであれ。


 フーケという有名なカフェを紹介したことがあるが、今度はこのフーケから通りを見てみよう。そのフーケの一番いい席からシャンゼリゼ通りを見ると、こんな感じ。早朝だっただけに、まだ人気も少ない。夏の真っ最中だけに、多くのビジネスマンはバカンスに出かけているのかもしれない。フランス人やドイツ人が大きな荷物を持って、一箇所に長いこと滞在しているのを見ると羨ましくなる。こちらはいつも駆け足旅行。この日はパリを去る日だけに、名残惜しい気持ちになって、フーケで紅茶を飲む。


サンジェルマン・デ・プレのカフェ…1998年夏2010/04/27 22:45

 ボーヴォワール著、青柳瑞穂訳
 『人間について』
 1955年、新潮文庫

 人は、理由なく、目的なく、存在しているのです。しかし、ジャン=ポール・サルトルも、『存在と無』の中で示したように、人間の存在は、物事の凝縮した存在ではありません。つまり人間はその存在を存在すべきなのです。瞬間ごとに、彼は自分を存在させようと努力します。そして、計画というのがこれなんです。



 フランスのパリ。ここはサンジェルマン・デ・プレという地域。ここにあるこじんまりしたホテルに滞在していた。この一帯は大学なども多く、学生や文化人が集まる街。カフェでの食事、ショッピング、美術館探訪などが楽しめる地域。
 フランス文化の拠点ともなったカフェがいくつか存在する。カフェ・ド・フロールもその一つ。あまりにも有名な話だが、サルトルとボーヴォワールの交流・文化活動の場でもあった。文学、哲学、芸術などの議論もこうしたカフェで行われ、世界中の知識人に少なからぬ影響を与えた。