LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その34)2018/10/16 08:37

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
   まさに、このような美徳は植民地時代においても最も大切な何かが生きていた証であるといれるであろう。


   ここからずっと商店街を歩いて行った。それから先のことはまた別の機会に記事をあげようと思う。今回はLCCで大邱にやって来たことを主題としたので、この辺で打ち止めにする。また時間が経ったら、大邱のことをアップするつもりだ
 

LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その1)2018/09/13 08:40

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
   1901年、慶尚道大邱で生まれた彼は7歳で父親と死別し、初等教育は私塾で受けた。


   直前にネットだけで航空券とホテルを予約した。あまりにも値段が安いので、本当なのかと思ったが、結果として全く問題はなかった。国際線でLCCに乗るのであるが、近いところに行くだけにためらいもない。


水原 華城行宮を歩く…2014年夏(その29)2016/11/17 10:47

阿部美穂子著
『韓国幸せごはん--阿部美穂子の食べてキレイになる!--』
ワニブックス、2006年

   韓国の映画館で目にするもの……それは、オジンオ(=イカ)のおやつです。


   武術ショーもクライマックスに入る。藁を刀で切るなどは迫力があって良い。これだけ切れ味が言いのだから、真剣か。真夏ではあるが台風が近づいていることもあり、そんなに暑さを感じなかった。日本には台風が来ているが、こちらはこの時間帯は雨が降らなかったのは幸いだ。実はこの後、夕方から夜にかけてすごい荒れ模様の天候になるのだが。さて、武術ショーを見終わったら、このあたりを散歩してみたいと思う。






水原 華城行宮を歩く…2014年夏(その1)2016/10/20 09:18

阿部美穂子著
『韓国およめいり--やまとなでしこ美穂子のセキララ新婚奮闘記--』
ワニブックス、2005年

チェジュ島に行ったら絶対に食べたいのが、ハラボンです。


   韓国のソウルにやってきた。もう何度か来ている。夏休みも続けて取れず、時間があまりないのでピンポイントで見るしかない。仁川空港からも近い水原に向かった。先ずは水原華城のメインともいえる華城行宮に行くことにした。ソウルとつながるバスの発着点であるホテルからは意外と近かった。チャングムの撮影場所でもあるので、それに関連するものもある。




京畿道 水原を歩く…2014年夏(その21)2015/12/22 08:55

阿部美穂子著
『韓国幸せごはん--阿部美穂子の食べてキレイになる!--』
ワニブックス、2006年

   それから、韓国のコグマにも日本の”栗かぼちゃ”のような種類があります。


   この水原駅からソウルに向かうことにする。外国に来て、分かりにくいのが鉄道の利用方法。英語の表示もないので、何が何だかさっぱり分からない。まあこのくらいの駅だと英語も通じるだろう。ソウルに行きたい、特急などと言えばいいのだろう。韓国は交通費も安いから、値段の点でも心配もない。


京畿道 水原を歩く…2014年夏(その1)2015/11/19 09:05

阿部美穂子著
『韓国およめいり--やまとなでしこ美穂子のセキララ新婚奮闘記--』
ワニブックス、2005年

   練習が終わると、私は自作の韓国語ノートを手にオッパに近づきました。


   韓国は何度か来ているが、手っ取り早く行けて、まだ行っていないところはないかと考えてみた。やはりソウル便が圧倒的に多いから、ソウルが起点になるだろうか。台風が来ていて、国内線の多くがが欠航になっている中、なんとかソウルに飛ぶことはできた。金浦空港に比べると仁川空港はソウル市街から離れているが、水原というところはリムジンで簡単に行くことができる。事前にネットで調べていたので、バス乗り場もすぐに分かった。




釜山の地下鉄(その2)…2002年夏2014/06/24 20:24

金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年

   夜十時が過ぎて、終着駅の一つ手前の釜山鎮駅に着いた。そこで降り、灯火管制で真っ暗な駅舎を抜け出して、水晶洞にある伯母の家に行った。そこへ来ているはずの手紙が気にかかっていた。



   コモドホテルという朝鮮王宮を再現した素敵な風情のホテルにとまった。地下鉄の釜山駅から歩いて10分くらいの便利なところ。坂があったり、やや道は入り組んでいたが、地下鉄の駅には難なく到着することができた。やたらロシア語の看板があり、この頃からロシア人が世界中に進出していくことになる。その前の年にベルリンの動物園に行った時もロシア語が聞こえてきた。ソ連時代には考えられなかったことだ。
   いずれにしもて、釜山の地下鉄を使いこなして、快適に街を巡ることができた。2002年9月から10月にかけて、釜山でアジア競技大会が開かれたが、その直前だったこともあって、警備が徐々に強化されているのが分かった。アジア競技会を歓迎する看板もあちこちにあった。天気があまり良くなかったので、霧雨が煙る釜山の姿を見ることになった。

釜山の地下鉄(その1)…2002年夏2014/06/21 07:51

金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年

   渡船で釜山の市街に着くと、そこに相生館という映画館がある。(当時は「映画」などという言葉はなく、専ら「活動写真館」といったが、)その相生館の前で晴れた日は大抵大道易者が干支を大きく描いた布切れを地面にひろげて、運命鑑定の講釈をしていた。



   釜山は地下鉄で巡る。東京、ソウルほど大きな街ではないので、路線もそんなに大規模ではない。それがゆえに、とってもわかりやすい。夜遅く、雨が降っている時に到着したので、街の様子がわからなかった。ホテルもユニークな建物だったが、あらためてそのことを確認することになる。着いた時はどしゃぶりだった。
   翌朝起きて、街に繰り出す。着いた時のような大雨ではないが、始終小雨模様だった。だからこそ地下鉄はありがたかった。霧雨の中の釜山を観光した。釜山は日本から近いので、当然、時差ボケはない。身体も楽だ。釜山から近いので、慶州にも行くことにした。いずれにしても、地下鉄を使って、釜山の主な観光地はだいたい回ることができた。

ソウル地下鉄…2001年春2014/05/22 21:05

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

   最初に突破口が開かれたのは、一六一三年のドイツにおいて、マルチン・ヴィーゲルが鉱山の発破用に火薬を導入したときのことだった。しかし、爆薬がトンネルの掘削に決定的な役割を果たすには、十七世紀の終わりまで待たねばならなかった。



   韓国は近いのだが、はじめて訪問するのが遅くなってしまった。だいたいゴールデンウィークは近場に行くことが多い。ソウルも地下鉄が発達している。とても便利だ。アジアの都市は異常に大きくなるだけに、徒歩だけで回れるということはない。ニューヨークなどはマンハッタンもかなり狭いので、徒歩だけでもかなりのものが見られる。
   やはり日本からのフライトも短いし、時差ボケもないし、韓国旅行は身体的に楽だ。地下鉄もきちんと運行されていて、大変ありがたい。

ソウル・国立民俗博物館…2001年春(その8)2013/09/12 19:50

大村益夫、長璋吉、三枝寿勝編訳
『朝鮮短篇小説選 (下)』
岩波文庫、1984年

「巫女図」(金 東里)
   この村の片隅にモファ(毛火)という巫女が住んでいた。モファ村から移ってきたので、モファと呼ばれたのだった。なかば腐って傾いた瓦屋根、その上にはコケが青く生え、ムッとする土の匂いが漂って、家の周囲にはそまつな石垣がめぐらされ、ところどころ崩れかけたまま荒れはてた城のように、うねうねと続いていた。



   これは台所だろうか。韓国は冬が寒いからオンドルが発達した。かまどで調理をして、そこから出てくる出る煙を床の下にまで誘導して、部屋の床をあたためる仕組みである。よく考えてみると、エネルギーを効率的に使っているし、部屋全体があたたまるから快適なシステムだ。日本の民家にはこうした仕組みはなくて、けっこう寒い冬を部屋で過ごしていたようだ。