台湾鉄道の旅(その20)…2007年夏2016/07/09 08:38

白先勇・張系国他著、山口守監修
『バナナボート--台湾文学への招待』
JICC(ジック)出版局、1991年

李昂作、山内一恵訳<G.Lへの手紙>
あなたに出会った時、私はまだ二十歳になっていませんでした。


   これは自強号の車内。比較的座席もゆったりしているので、落ち着ける。台湾の鉄道は快適、正確で、国自体も小さいので路線もわかりやすい。新幹線の方は経営がかなり厳しくなっているようだが、新幹線、在来線も含めて台湾の鉄道事情が安定することを祈っている。


台湾鉄道の旅(その1)…2007年夏2016/06/05 07:30

白先勇・張系国他著、山口守監修
『バナナボート--台湾文学への招待』
JICC(ジック)出版局、1991年

白先勇作、野間信幸訳<永遠の輝き>
   またマージャン専用の部屋もこしらえてあり、マージャン台やライトにまで十分気を配った設計がなされていた。


   台湾の高雄にやってきた。台北は行ったことがあるが、さらに南の高雄には行ったことがなかったので。日本から直行便もあり、とても便利だ。ちょっと距離があったが、高雄駅まで歩いた。海外に来たら、できるだけ歩く時間をつくるようにしている。自分の足で地面をしっかり歩かないと、その地に来た気がしない。真夏の時期だが、日本の夏も同じようなものなので、高雄がとりたてて暑いとは感じない。この旅行では雨模様の日が多かったから、よけいそう感じられた。


高雄のフェリー…2007年夏2014/12/04 12:02

邱永漢著
『たいわん物語』
中央公論社、1981年

〈奴隷婚〉
   陳さんは我々を自分のオフィスへ案内し、展示室のなかの商品を見せてくれました。つくっている工場も見せてくれないかと要求すると、二、三、近郊の工場にも案内してくれました。台湾なんて、経済の発展も日本より遅れているし、フォーマルな服装だってまだ整っていないのだから、スポーツウェアなんかまだまだだろうと思っていたら、それが逆なんです。



   台湾の高雄にやってきた。日本から直行便があって、とても便利だ。旗津という島があって、市内からはフェリーが出ている。旗津はそんなに大きな島ではないが、なかなか味わいのあるところだ。旗後天后宮など見どころが多い。
   高雄から島まではとても近い。島にやってくると、海鮮料理店がやたら多く並んでいた。生きた魚が生簀にいたりして、見ているだけで楽しかった。旗後天后宮もいかにも台湾らしくて面白かった。短距離のフェリーだが、こういうものに乗ると旅した実感を味わえる。

台北地下鉄(その2)…1998年春2014/04/12 07:07

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

 英雄たちの冒険は生き生きとしていて、地下旅行の始まりをまるで現実のもののように思わせるが、その英雄たち、オルフェウス、ヘラクレス、テーセウス、オデュッセウス、アイネイアス(それに外典である二コデモスの福音書におけるキリスト)の名前なくしては神話そのものの成立も危ぶまれるだろう。


   台北の街をぶらぶらする。しかし、徒歩だけで回れるほど小さなところではない。アジアの都市部は限りなく大きくなる傾向にある。東京が今一つ外国人の観光客に魅力がないのは、都心部があっちこっちに分散し、広くなりすぎていることにもある。台北は地下鉄で移動する。結局はちょっとはずれの淡水まで行くことになった。治安もいいので、安心して乗れるし、快適だ。

台北地下鉄(その1)…1998年春2014/04/10 20:22

ベンソン・ボブリック著、日高敏・田村咲智訳
『世界地下鉄物語』
晶文社、1994年

 もし、地下旅行というアイディアに初めがあるとすれば、それは遠い神話の、時を超えた時代のことである。年代不詳の古代の寓話がそれについて物語っている。


   突然台湾行きが決まった。忙しい日程をやりくりして、台北にやってきた。ここも地下鉄が発達している。ダイヤは正確で、快適だ。総督府などは見終わって、自由に行動することになった。台湾は九州くらいの大きさ。鉄道が発達していて、旅行するにも都合がいい。
   台北の街を回るには、やはり地下鉄が一番便利だ。まずは駅に行ってみる。大きな駅だ。普通の列車もあるし、地下鉄も走っている。


高雄からのビジネスクラスで機内食…2007年夏2013/01/25 20:38

司馬遼太郎著
『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
2009年、朝日文庫

   『台湾獄門島』の著者は、当時、台北市の師範学校に在学していて、故郷の高雄のことを心配していた。
   台北に端を発した暴動は、一時期、政府側を圧迫した。やがて大陸から軍隊が送られてきて、政府側は鎮圧に出た。


   高雄を中心に台湾を回った。帰国のために、空港に着いて、出発ゲートでゆっくりしていた。突然名前を呼ばれたのでびっくりした。「あなたの席はとれていません」と言われ、衝撃を受けた。でも、その後に、「代わりにビジネスクラスの席を用意しました」と言われて、災い転じて福となったことが理解できた。
   日本アジア航空のビジネスクラス席に座る。食事も格上げとなり、気分が良かった。たまにエコノミーなのに、ビジネスクラスに格上げしてくれることがある。ノーマルチケットで買っていて、空いている時などはそういうことがある。高雄から成田のビジネスクラスで和食の機内食をおいしく食べた。ゆったりと過ごすことができて、快適だった。食後のフルーツもこれまた美味かった。

高雄でパイコー麺…2007年夏2013/01/22 20:34

司馬遼太郎著
『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
2009年、朝日文庫

   高雄のホテルで、柯旗化氏の『台湾監獄島』を読んだ。柯旗化氏は、英語学者であり、高雄で出版社を経営している。
   5年前(1988)、蔣経国が死に、憲法の規定によって李登輝さんが副総統から総統に昇格した。その前後から、台湾の言論は自由になった。



   台湾の高雄でパイコー麺(パーコー麺とも言う)を食べた。このパイコー麺には親しみがある。ずいぶん前から、日本国内でもよく食べていた。ただのラーメンだと食事としては寂しいが、パイコー麺なら満足感も大きい。台湾は日本から近いので時差ボケも移動疲れも少なく、体調を崩さす旅行できるのが利点だ。
   この年は秋から冬にかけてアメリカに研修に行くことになっていたので、夏の旅行は近場の台湾にすることにした。台北には行ったことがあるので、高雄中心の旅行にした。台北に比べると高雄はちょっとスケールが小さいが、楽しめる街だ。この高雄のパイコー麺はとてもおいしかった。

台南の雨…2007年夏2012/06/29 23:02

王恵君/二村悟著、後藤治監修
『図説台湾都市物語 台北・台中・台南・高雄』 (ふくろうの本)
河出書房新社、2010年

  台南は、もともと平埔族のシラヤ族台湾社と赤崁社が居住する区域であった。漢人が台南に移住するようになったのは明(1368~1644)の時代に閩南・広東地区の人々が、漁業や飢饉から逃れる目的で移住を始めてからである。



   旅行をしていて、難儀なものの一つに悪天候がある。旅行を準備している時は大雨なんか想定していない。ガイドブックも天気に良い時に撮影した写真ばかりが載っている。高雄から列車に乗って台南に向かう。駅に着いたら、孔子廟までは歩いてみようと考えていた。曇り空だが何とかなりそう。しかし、台南の駅に着いたら、どしゃぶりの雨。半端じゃない。これはスコールと言えるのか。
   雨季にあたり、1日に1回はこんな雨が降るのだそうだ。あまりにも激しい雨で、孔子廟に行くことは無理だった。例によって歩道にはバイクがたくさん止まっているし、歩くのもおっくうになる。そこでまた駅に戻り、台中に向かう。電車が動き出す頃には雨がやんできた。きまぐれな南国の空模様に振り回される。

慈鳳宮…2007年夏2010/04/09 22:42

 司馬遼太郎著書
 『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
 2009年、朝日文庫

 地球は、自転している。それも、わずかながら傾いているらしい。
 この傾きのため、太陽光線が垂直に照りつける地帯は、一年周期でわずかに変化するそうである。春分の日の正午には赤道付近に垂直に照りつける。夏至のときは北回帰線の上に太陽が来る。赤道をはさみ北回帰線と南回帰線の間が熱帯だという。
 嘉義市の南郊に、その北回帰線が通っていて、路傍に、大きな碑が立っている。



 台湾の高雄から電車で東方向に30分ほど行くと、屏東という街に着く。もっと田舎かと思っていたが、列車の本数も多いし、けっこう賑わっている。屏東は高雄よりやや北側だが、屏東県そのものは台湾本島の最南端まで突き出ている。日本へ輸出されるパイナップルも生産されている。正真正銘、熱帯の県である。
 この街の見所は慈鳳宮だが、駅のすぐそばで簡単に見つかる。かなり派手な廟。海の女神である媽祖が祀られている廟。


 慈鳳宮を出て、繁華街、旧日本軍人宿舎エリアを歩いてみる。バイクが路上にたくさん止めてあり、ちょっと歩きにくい。

寶覺寺…2007年夏2010/04/02 20:47

 司馬遼太郎著書
 『街道をゆく 40<新装版>台湾紀行』
 2009年、朝日文庫

 彭士晃青年は、台中のうまれである。
「果子狸なんて、知りません」
    といった。
 
 台湾の高雄から北上すると、台南、台中、台北となる。台中は文字通り、真ん中あたりにある。ガイドブックを見ると、ふっくら、にっこりの黄金色した弥勒大仏が目に付く。不思議な大仏だ。寶覺寺というお寺にあるらしい。
 駅前の路線バス乗り場に行くと、寶覺寺を通過する系統が見つかった。しかし、なかなか目的にたどり着かない。バスを間違ったようだ。
 これほど有名(?)な黄金大仏ならと他の乗客に聞いてみる。英語は全然通じない。それならとガイドブックにのっている黄金大仏の写真を示したが、全く反応がない。そんな大仏のある寺など知らない様子。
 バスの運転手に尋ねると、やはり間違ったバスだった。途中で降ろしてもらう。タクシーを拾って、大仏の写真を指して、目的にやっと着く。かなり遠回りになってしまった。

 何やら工事中。せっかくの仏像が見られないか。いや、あった。巨大な黄金色の弥勒大仏。どっしりと腰をおろして、微笑んでいる。


 日本軍人として戦死した台湾人兵士を祀った碑もある。日本人遺骨安置所、日本人墓地もあるお寺。この題字の「霊安故郷」は李登輝・元総統によるもの。