シアトルは大騒ぎ(その24)…1999年秋から冬2016/01/26 08:54

吉村達也著
『「シアトルの魔神」殺人事件--ワンナイトミステリー--』
2001年、角川文庫

   実際、シアトルでの夏時間の「夜」八時は、日本では正午になる。


   これもWTO反対のデモの一場面。彼らが求めているのは”FAIR TRADE”で、”FREE TRADE”でないというメッセージが強調されていた。デモも先鋭化し、過激な参加者には放水や催涙弾が撃たれるなど、混乱が広がった。日本からは外務大臣、農林水産大臣、通商産業大臣が閣僚会議に参加したようだが、会議自体は成果を結ばないまま閉会した。その後、2001年にドーハラウンドが立ちあがったが、FTAやTPPなどの動きが先行していることもあり、ラウンドは妥結に至っていない。


シアトルは大騒ぎ(その1)…1999年秋から冬2015/12/23 07:41

アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター著、冬川亘訳
『過ぎ去りし日々の光(上)』
2000年、ハヤカワ文庫SF

   シアトルの繁華街へでも、オーストラリアのブリスベーンへでも、あるいはケンタウルス座α星のとある惑星へでも。


   アメリカ合衆国のワシントン州・シアトルに出張で来ていた。ウルグアイ・ラウンドに次ぐ新しいラウンドの立ち上げに向けて国際会議が開催されていた。2、3日前に出張を命じられていたので、あまり状況も把握できないままに、現地に来ることになった。
   早い時間にホテルに着いたので、部屋でちょっと休んでいた。大規模なデモが予定されていると聞いていた。窓から外を眺めていると、デモ隊が路上に繰り出していた。かなりの人数が集まっている。


ラスベガスを歩く(その30)…1996年夏2015/10/17 06:20

ジョン・リドリー著、渡辺佐智江訳
『ネヴァダの犬たち』
早川書房、1997年

   地獄でもおかしくないくらい暑い。そして、地獄のように痛い。


   夜のラスベガスもけっこうきれいだし、活気がある。ネオンがこんなに似合う街も他にはない。MGMでは有名なミュージカルが上演されている。
   ラスベガスは治安もいいので、外を出歩いても問題はない。その点がアメリカの他の都市と違う。ニューヨークに行った時は、夜は出歩くなと言われた。夜遅く、ブロードウェイからホテルに歩いて帰るのも緊張した。



ラスベガスを歩く(その1)…1996年夏2015/08/18 08:55

ジョン・リドリー著、渡辺佐智江訳
『ネヴァダの犬たち』
早川書房、1997年

   野ウサギが一匹、道に飛び出した。

   ネバダ州のラスベガスにやってきた。この時は直行便もなく、サンフランシスコで乗り換えた。アメリカの国内線の乗り換えはけっこう面倒で、アメリカ人でさえも間違ったり、乗り遅れることも多いと聞く。荷物もきちんと乗継便に運んでくれたかどうかも不安だった。サンフランシスコ空港で、荷物担当の人が「さっき日本からの荷物を取り扱った。あなたたちの荷物は間違いなく国内線に運んだ」と教えてくれて、安心した。
   ようやくラスベガスに到着。マッカラン国際空港に着いた時から、スロットマシーンだらけである。さすがラスベガスという雰囲気。入国審査官が「スロットマシーンは1回だけやれば十分」とユーモアたっぷりにアドバイスをしてくれた。勿論、空港だけではなく各ホテルにもスロットマシーンはたくさんある。



カリフォルニアのワイナリー(ソノマ・ナパ)…2007年秋~冬(その17)2015/07/09 08:59

ヒュー・ジョンソン著、小林章夫訳
『ワイン物語(下)ー芳醇な味と香りの世界史ー』
平凡社ライブラリー、2008年

   ナパ渓谷の地歩を固めたのはドイツ人によるところが大だった。一八五〇年代から、かなりの人数のドイツ人が移住してきた。


   ここもCIA(世界最高水準の料理学校)あたりの風景。CIAはわざわざ私の名前まで表示して、日の丸まで掲揚して、歓迎してくれた。いずれにしても、のんびした雰囲気は変わらない。実は、CIAの中にあるレストランで食事をしたかったのだが、日程が立て込んでいて、車の中でハンバーガーを食べることになってしまった。ハンバーガーといっても、手作りのお店だったけど。またサンフランシスコに戻らないといけない。ここでは1泊だけしたが、もっと長く滞在したかった。ナパのワイナリーはメインではなかったが、少し見学することができた。



カリフォルニアのワイナリー(ソノマ・ナパ)…2007年秋~冬(その1)2015/06/02 08:58

ジャネット・デイリー著者、矢倉尚子訳
『愛は危ないワインの香り』
集英社文庫、1998年

   ぶどう畑は八月の太陽に焼きつけられ、整然と列をなしながら、ごつごつした山肌に蔓を這わせていた。


   ワシントンDC、セントルイスでの日程を終え、その後サンフランシスコでいったん泊まって、それからカリフォルニアの有数のワイナリーのあるところに行く。サンフランシスコ空港まで行って、そこからリムジンバスに乗った。サンタローザに到着する。そこに住んでいる人が案内してくれる。サンタローザは典型的な中流階級が多く住む都市で、カリフォルニア州ソノマ郡にある。



レッドバンク(ニュージャージー州)旅情(その4)…1997年秋2015/02/26 11:18

ロバート・シルヴァーバーグ編、酒井昭伸他 
『SFの殿堂 遥かなる地平(2)』 
ハヤカワSF文庫、2000年 
 
〈フレデリック・ポール/ゲイトウェイ〉 
    ヒーチーの五人乗りは、三人乗りよりはるかの大きいはずだった。


   これは街の中心にある時計台。レッドバンクの市街地のシンボルにもなっている。アメリカは地方分権の国だけに、地方の創意工夫が尊重されるところだが、逆に人口が減ったり、税収が落ちたりすると、たちどころに街は衰退する。1980年代には、「デッドバンク」と揶揄されたこともある。NPOに課税権を与えて、街づくりを図るなど先進的な取り組みについても聞くことができた。


レッドバンク(ニュージャージー州)旅情(その1)…1997年秋2015/02/19 11:24

ロバート・シルヴァーバーグ編、酒井昭伸他 
『SFの殿堂 遥かなる地平(2)』 
ハヤカワSF文庫、2000年 
 
〈フレデリック・ポール(レッドバンク在住の経歴あり)/ゲイトウェイ〉 
   スタンが十七歳を迎えた誕生日に、〈神の怒り〉がまたやってきた。 


   当時は日本で大店法の廃止の議論があり、同時に中心市街地活性化という課題も浮上していた。アメリカで中心市街地の再開発に成功した事例に着目して、いくつかの都市について調査を行っていた。
   日本でも名前が知られているワシントンDC、ニューヨーク、ピッツバーグ、ボルチモアを訪問したが、それまでは聞いたことがなかったニュージャージー州のレッドバンクという街にもやってきた。レッドバンクが中心市街地の再活性化に成功した事例を調査することが目的だった。


コーンベルトのリッチフィールド(その17)…2007年秋~冬2015/02/17 08:23

アーシュラ・K. ル=グウィン著、 谷垣 暁美訳
『なつかしく謎めいて』
河出書房新社、2005年
<玉蜀黍の髪の女>

   あんなに優しいほほえみと、あんなに見事な金色の髪を目にするためなら。そして自分自身が玉蜀黍である女性と一緒に玉蜀黍のお粥を食べるためなら。


   リッチフィールドの滞在は短時間だったが、実り多い訪問となった。アメリカの戦略物資であるトウモロコシを扱うグレイン・エレベーターを見られたことに満足した。また、ミズーリ州からミシシッピ川を渡ってイリノイ州にまで来られたことも良かった。また、ミズーリ州に戻ることになる。
   本当はリッチフィールにある由緒あるカフェでランチくらいしたかったが、研修の日程は過密だ。車の中でハンバーガーのランチになったことも何度かあった。今回、さすがにそれはなかったが、お昼はセントルイスで食べることになる。


コーンベルトのリッチフィールド(その1)…2007年秋~冬2015/01/10 07:31

エブリン・フォックス ケラー著、石館 三枝子・石館 康平訳
『動く遺伝子ートウモロコシとノーベル賞ー』
晶文社、1987年

 バーバラ・マクリントックが初めて遺伝の科学に出会ったのは、それがまだ生まれて間もない学問で、彼女よりわずかに年長であるにすぎなかった頃である。


 ミズーリ州のセントルイスに宿泊して、トウモロコシビジネスに携わる人たちと意見交換を行っていた。最初に滞在したのはワシントンDCで、そこからやってきたので、のんびりしている中西部はまったく別の国に感じられる。アメリカをちょっとずつ移動すると時差もあってか、疲れはたまってくる。
 セントルイスのホテルの部屋も信じられないくらい広くて、かえって不安になってしまった。このあたりには大きな教会もたくさんある。信仰心が篤い人が多いのだろう。さて、お隣のイリノイ州に出かける日程も入った。行き先はリッチフィールドという小さな街だ。