サンディエゴのクルーズ…1983年夏(その4)2014/11/11 21:49

アラン・ラッセル著、匝瑳玲子訳
『傷痕』
ハヤカワ文庫、2004年

   当時もサンディエゴ空港新設の噂があり、これもちっとも変わっていない。政治家たちは七〇年代、国境地域の下水処理を改善する必要はないと強硬に反対していたが、九〇年代になっても相変わらずその問題で議論を繰り広げていた。



   以前、このブログでサンディエゴ港に停泊する軍艦を紹介した。当然、写真もアップしたので既に見てくれている人もいるだろうか。サンディエゴは海軍の街だから当然だろう。こうしたクルーズ船をはじめいろんな船舶が行き来しているのは趣があって良い。
   サンディエゴはメキシコとの国境の街でもある。そちらにも行って見たい気もしたが、そこまでの時間もなかった。こうしたクルーズ船での航行も含めて、楽しいサンディエゴの観光はあっという間に過ぎた。子供連れの家族の姿も見られた。



サンディエゴのクルーズ…1983年夏(その1)2014/11/04 21:26

アラン・ラッセル著、匝瑳玲子訳
『傷痕』
ハヤカワ文庫、2004年

   ポニー・ギルが殺されたのは、彼女が経営する画廊〈サンディ・エゴ・エクスプレッションズ〉でのことだった。



   カリフォルニア州のクレアモントを拠点に研修に参加していた時、サンディエゴにも連れて行ってもらった。動物園にも行ったし、港の中のクルーズにも行った。実はこの数年前にサンディエゴにホームステイした友人がいて、この街は素晴らしいところだとさんざん聞かされていた。絵葉書も来たと思うし、とにかく何度も何度も話を聞かされた。
   サンディエゴは風光明媚な街。ロスアンジェルスのかげに隠れてちょっと目立たないところもあるが、観光するにもいいところだ。そういえば、この研修の時にはロスアンジェルスのダウンタウンに行くという旅程はなかった。ドジャーズスタジアム、ディズニーワールドは行ったが、それはロスの中心街ではない。

ニューヨークのクルーズ…1997年秋(その4)2014/11/01 06:42

佐野洋子著
『そうはいかない』
小学舘、2010年

〈ニューヨーク・ニューヨーク〉
   この間息子が言っていた。
「母さん、日本人って外国に行くと馬鹿にされてると思わない?」
「思う」



   この時も酔い止めの薬を飲んでいた。飲むとすぐに、睡魔がやってくるという効果がある。ボルチモア船上視察の時も飲んだが、その後でメモを取るのがつらかった。眠くて眠くて仕方がなかった。
   このクルーズは仕事から離れたプライベートという位置づけだったので、気兼ねなく酔い止めの薬を飲むことができた。テーブルに座ったまま、眠ってしまった。その調査の仕事の疲れがあったことも主な原因だ。翌朝起きると、船の揺れが猛烈に襲ってきた。


ニューヨークのクルーズ…1997年秋(その1)2014/10/25 06:42

佐野洋子著
『そうはいかない』
小学舘、2010年

〈ニューヨーク・ニューヨーク〉
   分厚い楕円形の白い皿に小型のパンケーキが十二、三枚山盛りになっている。その下にばかでかいハムが二枚敷いてある。



   アメリカの中心市街地活性化策の調査に来ていた。最後に訪問したのはニューヨーク。14年ぶり、2回目の訪問である。1983年に来た時に比べると、タクシーもピカピカ、治安もだいぶ良くなっていた。せっかくニューヨークに来たのだからと、自腹で1日だけ延泊した。過密なスケジュールをこなした後だったので、疲れ切っていた。
   そんな中、ニューヨークのナイトクルーズに出かけることにした。最初はミュージカル観劇という予定になっていたが、都合によりナイトクルーズになった。確かに、ストーリをよく知らないミュージカルよりは、こちらの方が良かっただろう。


ボルチモアの船上視察…1997年秋2014/10/23 20:16

ディケンズ著、伊藤弘之・下笠徳治次・隈元貞広訳
 『アメリカ紀行(上)』
2005年、岩波文庫

   メリーランド州のこの首府はさまざまな種類の多くの交通手段--特に水路による運輸--を持った、活気のある、ざわめきに満ちた町である。実際、この都市がもっとも力を入れているその区域は、決して清潔な所とは言えない。



   アメリカの中心市街地の活性化の調査の一環として、メリーランド州のボルチモアにやってきた。他には、ワシントンDC、ニューヨーク、ニュージャージーのレッドバンクなどを訪問した。日本でも商店街をはじめ、中心市街地が衰退していて、いかに都市を再生させることが重要かということが認識されていた時代だった。
   ボルチモアはインナーハーバーを中心に見事な再生が行われた街だが、船から街を見るのが一番ということになり、船上視察となった。ボルチモアはワシントンからちょっと離れたところにある。十分日帰りできるくらいの距離である。船から見たボルチモアはなかなかきれいだった。



サンフランシスコのバート…2007年秋~冬2014/06/17 20:37

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

雅川滉「ハリウッドまで」
   畑も果樹園も見捨てられた。故郷も、パパも、ママも瞬時に忘却されて行った。しかしそれがアイ子の機会の針路である。疲労などあってはならない。アイ子は用箋を拡げると、ジュリアへの手紙を書きはじめた。 
 


   カリフォルニア州のサンフランシスコ。多くの人が知っているように、ケーブルカーは街のシンボル。料金は高く、観光客用という感じ。そのほか、バスやトロリーバスなどの公共機関が発達している。空港も含めて、サンフランシスコ市街ではバートという鉄道が走っている。昼間は20分に1本くらいの運行だっただろうか。
   アメリカに住んでいる人に「本数が少ないね」と言ったら、「アメリカではこれだけの頻度で動いていたら立派なもんだ」と反論されてしまった。確かに、東京の地下鉄はひっきりなしに発着している。新幹線だって、東京と大阪の間などはすごい本数だ。ワイナリーのあるナパ・ソノマに行くために、空港からバスを使った。帰りは、バスに乗って空港にいったん行って、サンフランシスコの都心に戻るのにバートを利用した。

セントルイスのメトロ…2007年秋~冬2014/06/14 06:38

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ<メビウスという名の地下鉄>
「教授、あなたは頭がおかしい。今夜半から明日の午前六時までの間に、わが社は車輛を地下から引き上げます。我々は三百人の人間を送って、線路を隅から隅まで、一八三マイルを、片っ端から調べるつもりです。きっと電車を見つけます。ではおひきとり下さい。」
 彼は、タペロをにらみつけた。



   ここは初めての訪問。ミズーリ州のセントルイス。行くまではどこにあるのかもよく知らなかった。それほど大きな街ではない。ど田舎ではないが、ちょっとした中小都市という感じ。ワシントンDCから来ただけに、ちょっとさびしい感じはした。車中心社会で、さすがに巨大な地下鉄網はない。
   ただし、メトロとは呼ばれている鉄道が走っている。とてもこじんまりとした車両でかわいらしい。セントルイスはそれほど安全な街ではないと言われていた。夜遅くメトロに乗ったが、それほど危険な感じもしなかった。こうした情報はおおげさに伝えられることも少なくない。車内ではアフリカ系の青年が音楽を聞いていた。のんびりした雰囲気だった。

ワシントンDC地下鉄(その7)…2007年秋~冬2014/06/12 19:37

クリフトマン・ファディマン著、三浦朱門訳
『第四次元の小説』
荒地出版社、1959年

A・J・ドイッチュ<メビウスという名の地下鉄>
「私が昨晩網ノ目構造の接続点の性質について話したことを覚えておられますか。」
 タペロはおだやかに答えた、
「私たちが作ったメビウスの輪、面が一つで縁が一つのものを覚えていますか。」
 彼はポケットから、小さなガラスのクラインの壷をとり出した。


 前回に引き続き、デュポンサークル駅のあたりを撮影したもの。この駅は本当によく利用した。他の線との接続もいいので、便利なことこの上ない。ペンシルベニア通りに面したホテルからデュポンサークルに行こうとして一度方向を間違って歩いたこともあった。反対側にはワシントンサークルという同じような円形の公園があった。
   休日には青空市場が開かれ、歩いていろんなレストランに行けたこともこの地の魅力である。ブルッキング研究所、カーネギー平和財団など有名なシンクタンクもこのあたりにある。アメリカの知性を感じることができる地でもある。町並みもとても綺麗だし、整然としている。とてもおしゃれな住宅もたくさんあって、散策するのも楽しい。


ワシントンDC地下鉄(その1)…1983年夏2014/05/29 23:13

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

谷譲次「みぞれの街----めりけんじゃっぷ商売往来 六」
 巡査と郵便脚夫と車掌と消防夫は愛蘭土人が多いせいか、銀の頭髪に赤ら顔をしていたりして、実に堂々たるおじいさんが少なくない。あめりかでは交通機関などの人命に対する責任の重い部分の仕事には、経験のある老人を使う場合が多い。


 カリフォルニアのクレアモントからワシントンDCへ。同じアメリカと言っても、環境も町並みもまったく違う。クレアモントも暑かったが、蒸すことはなかった。日陰はとても涼しかったし。しかし、ワシントンはとても蒸し暑い。
   クレアモントも素敵な場所なのだが、ちいさな街で車社会なので、自由にどこへでも行けるわけではない。それに比べるとワシントンDCは地下鉄も発達してて、好きなところに行ける。これはDCの地下鉄の車両。なかなか渋いタイプの車両だ。ここはアーリントン墓地駅。

ニューヨーク地下鉄(その2)…1983年夏2014/05/27 20:21

亀井俊介、 川本 皓嗣編
『アメリカ名詩選』
1993年、岩波文庫

ハート・クレイン
「ブッルクリン橋に」
どこかの地下鉄の昇降口か独房か屋根裏部屋から
ひとりの狂人がお前の欄干に駆け寄っていく。
そこで一瞬身を傾けて、甲高いシャツを膨らませたかと思うと、押し黙った隊列から、ひとつの冗談が落ちていく。

マーク・レスリー、チャールズ・シャットルワース著
赤井照久訳
『サブウェイ・ガンマン』
JICC出版局、1990年

   地下鉄訪問は、クワーク証言の初日が終わった金曜日、その週の公判審理終了後に実施された。評決後に私たちを家まで送ってくれたミニバスで数ブロック走った。そしてBMTのJ線のチェンバース街駅にあるプラットホームまで階段で降りた。そのプラットホームは長い間、閉鎖されていた。私たちが乗りこんだ電車は八両編成だったが、うち六両は事件が起こったのと同じR一二二型だった。



   やはりニューヨークの地下鉄はちょっと怖かった。このように落書きだらけだし、異様な雰囲気だった。しかし、実際に乗ってみると快適。アメリカはチップが面倒なので、タクシーを利用した場合でもチップが欠かせない。だから、チップの要らない地下鉄が煩わしくなくていい。
   マンハッタンがこんなに小さな地域だとは思わなかった。東京の都心と比べると、手狭ではある。カリフォルニアから来ただけに、ニューヨークはよけい集積地であることが理解できた。歩きだけでも、ニューヨークのかなりの地域を見ることはできるが、やはり地下鉄を使うと移動が楽だ。
   ただ、さすがに夜は怖いので、地下鉄は昼間だけに乗ることにした。行きは明るかったので地下鉄を使ったと思うが、ブロードウェイでミュージカルを見た後はかなり暗くなっていた。とにかく地下鉄に乗るのはやめた。夜は犯罪も多いと聞いた。むしろ歩いたほうが安全だ。劇場からホテルまでは徒歩で帰った。