桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その37)2024/04/03 16:38

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「いえ、あきません。蕎麦は好きですから」

 1929年と出ている。時代とともに建物も拡張されていったのだろう。どんな建物であっても、そういうことはよくある。信者が増えていけば、拡張する意味もあるだろう。教会に限らず、組織が大きくなっていけば、そういうこともある。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その36)2024/03/27 14:27

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「畑仕事はこたえませんか」

 これも教会が改修されたり、発展していた時代なのだろう。初期の頃であるが、この大邱に地に根をおろして、教会として大きくなっていく過程だと言えるだろうか。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その35)2024/03/20 15:34

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
袋をさげて表にでたら、西陽で長い谷戸のまちに影ができていた。

 1918年と出ている。鼓笛隊か吹奏楽団だろうか。教会がつくったものだろうか。カトリック教会と鼓笛隊、吹奏楽団があまり結びつかないが、当然に関係のあるものが出ているのだろう。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その34)2024/03/01 16:15

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「そういうことにするか」

 1906年とある。小さい女の子が相撲をとっているようにも見える。なんかよくわからない写真だ。教会は既にできている時代だ。信者を増やしたり、教会を改修していた時代かもしれない。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その33)2024/02/20 16:40

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「銭湯に行ってくるよ」

"Paul Robert Achille"と書かれているから、この人の銅像なのだろう。どうやらフランス人らしい。1877年に韓国に来ているようだが、この教会との関係はよく分からない。大邱で布教活動を行って、この教会の建設につながったのかどうかもわからない。ただ、日本について言えば、明治でキリスト教が解禁になり、カトリックの司祭で来日したのはフラン人が圧倒的に多い。自分の全人生、全財産を日本での宣教に捧げた司祭のことを考えると、感慨深いものがある。多くの子供たちが、自分のお小遣いの中から、そうした司祭へ喜んで寄付をしていることも付言しておきたい。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その32)2024/02/08 14:30

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
妻は庭で七輪に鍋をかけていた。

1984年に教皇のヨハネパウロ二世が訪問されたことを示す写真だ。ポーランド人の教皇としても注目を浴びていた。労組「連帯」のことを思い出したが、教皇の存在がそうしたポーランドの民主化に向けた精神的な支えとなったこともよく言われていた。「空飛ぶ教皇」とも呼ばれ、世界中を飛び回っていらしたから、キリスト教信者の多い韓国を訪問されていたことも不思議ではない。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その31)2024/01/23 16:00

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
この日から私はまた<徒然草>の仕事をはじめた。

 これは教会が建てられた直後、あるいはそのすぐに改修していたことを示す写真だろうか。みんな屋根の上に座っているので、ちょっとユーモラスな写真になっている。落ちたりしたら、危ないのではないかと思ってしまうが。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その30)2024/01/16 18:05

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
私はまっすぐ妻の生家に行った。

 これは教会のいろんな行事についての掲示板だろうか。ちょっと意味が分からないが、多分そうなのだろう。カトリック教会の場合は、ミサが行われ、様々な行事があるし、求道者のための聖書勉強会などが行われている。信徒でなければ聖体は拝領できないが、そうでない人でもミサに参加して司祭から祝福をいただくことができる。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その29)2024/01/09 17:26

原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
おばあさんは釜に湯をわかしているところだった。


  大きな蟻がいた。撮影しようと思うが、ちょこちょこ動くので、なかなかピントが合わなかった。前年に行ったバンクーバー郊外の公園ではリスの写真を撮っていたが、こちらもよく動くので大変だった。ただ、こちらはそこそこ大きいのでうまく撮ることができた。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その28)2023/12/26 13:35

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「葱ですって」

これも第一教会も入った写真となった。当たり前のことだが、二つの教会の位置関係が逆になったりして、変化する。もう一つの教会は巨大なので、二つの教会がうまくカメラにおさまることになる。