ベリョースカ(その1)…1980年夏2010/05/25 20:48

米原万理著
『オリガ・モリソヴナの反語法』
2005年、集英社文庫

 フルゼンスカヤの駅舎前はごった返していた。老若男女が手に手にさまざまなモノを持って突っ立っている。鍋、ソックス、ピクルス胡瓜の瓶詰め、子供服、レコード盤、本、運動靴、電球……値段交渉する者もいれば、物々交換する者もいる。
 駅を出て人混みをかきわけながら右に進んでいくと、人がまばらになったあたりで大きな通りに出た。建物の壁面にコモスモリスカヤ大通りと青地に白く記したプレートが貼ってあるのを確認してから大通りを横断。大通り沿いに右へ進み、最初の角を左折した。道の突き当たりはパッと明るく開けた感じになっている。川が流れているはずだ。モスクワ川が。その向こうに大きな空間が広がる。ゴーリーキー公園。葉を落とした木々の海の中に針葉樹の緑が点在する。軽く粉砂糖をまぶしたように霜に覆われている。


 ソ連の一般庶民は長い行列に絶えながら、物資を調達していた。贅沢品は勿論のこと日常品の入手にも苦労していた。他方で、人脈やコネを使いながら、意外といろんな物を手に入れているということも言われていた。
 外国人専用の土産屋で「ベリョースカ」(白樺)という店があった。ソ連当時には特別な意味があった。外貨を喉から手が出るほど欲しがっていたソ連政府は外貨専用の店を積極的につくった。こうしたお土産屋だけではなかったと思う。
 当時は、クレジットカードも普及しておらず、ましてや学生がそんなものを持っているはずもない。現金でかなりの部分を持っていくのが常識だった。トラベラーズ・チェックも使った。日本語の名前で決済をしたが、店員どうしが「難しい字を綺麗に書くね」と話していたのを記憶している。当方、字は下手である。しかし、漢字を知らない人の前で、汚い漢字を書くと達人に見えるのだろうか。お釣りの渡し方がめちゃくちゃで、世界中の硬貨が混ざってくる。デンマークのクローネが入っていたこともある。

 このLPレコードそのものに「ベリョースカ」という名前がついている。ロシアの有名な音楽が入っていて、外国の観光客向きのものと言える。

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