ヴィリニュス(リトアニア)旅情(その12)…1980年夏2015/08/06 09:11

チュスワフ・ミウォシュ著、工藤幸雄訳
『囚われの魂』
共同通信社、1996年

   今はバルト諸国に話をしぼる。かの諸国民は無思慮な残酷さで扱われているわけではない。


   ビルの建設現場だろうか。当時はソ連時代だったから、こんな工事ものんびりとやっていたのだろう。何をつくっているかよく分からないが。ソ連時代はやたら「レモント」”ремонт”という看板が出てて、「修理中」の建物も多かった。建物の基礎が悪いのか、無理に仕事をつくっているのか、いろんな事情があったのだろう。チェブラーシカでも建設労働者が「レモント」の看板を掲げて、トランプに興じている場面がある。
   この時も雲が多い時間帯はあったが、雨は降らなかった。到着直前は雨が降っていたようだ。レニングラード(現在サンクトペテルブルグ)では、ピョートル宮殿に行った時は雨が降っていた。ただ、日本のような土砂降りは少ない。