桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その5)2023/07/04 13:30

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
前年の秋、私は母につれられてこの町から汽車に乗り大邱に行ったことがあったので、この町はこんどで二度目であった。

こちらは十字架も入れた教会の建物。また趣が違って、なかなかいい感じだ。この建物はもともと木造だったようだが、その後、建て替えられたのこと。1902年というから、100年以上も経っており、歴史的、文化的な価値もある建物である。カトリック教会なので、十字架にイエス・キリストがつけられている。そこは多くのプロテスタント諸派とは異なるところだ。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その6)2023/07/13 09:58

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「よろしい。勉学に励め」

 ハングル文字を見て、「ミサ」という意味ではないかと理解した。「ミサ中だから部外者は入ってくるなとか、静かに」という意味の文章が書いてあったのだろうか。シスターと思われる方が座っているのが見える。こうした信仰心はどこから来るのだろうか。と、当時は思っていたが、今はカトリックの洗礼を受けて、ミサに通っている。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その7)2023/07/19 14:23

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「鏡台、割ってしまったよ」

 これは聖母マリア祈りの肖像画。ジョバンニ・バティスタ・サルヴィの作品のようである。なかなかきれいなステンドグラスである。大邱にやってきたわけだが、どんな街かわからないままに、来てしまった。韓国で3つめか、4つめに大きな都市らしい。このカトリック教会も由緒あるものらしい。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その8)2023/07/25 10:19

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
ところが山をおりる日にこの靴下も消えていた。

 これもきれいなステンドグラスである。使徒、教父の誰かだろうか。子供の時に、セロハンを使って、ステンドグラスの作品をつくらされたような記憶がある。これはすぐ誰かわからない。使徒か聖人か。カトリックの聖人はたくさんいるので、こんなにもという印象を持つことがある。そして、毎年のように列福者、列聖者が決められている。マザーテレサの列聖もとてもはやかったことを思い出す。