タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その4)2016/02/02 08:52

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   酸っぱいオレンジの味が口にどっと広がり、薬臭いにおいがした。


   さて、港から市街地へ向かう道路には数々の写真が展示されていた。この写真は、1989年8月23日に撮影されたもの。モロトフ=リーベントロップ条約50周年に際し、人々が手をつなぐ”バルトの鎖”がつくられた。200万人が参加し、タリンからビリニュスまで20キロのものになったとのこと。バルト三国はソ連に編入されることになるが、ヒトラーのナチスドイツとスターリンのソ連の間で結ばれたモロトフ=リーベントロップ条約がきっかけとなっている。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その5)2016/02/04 09:00

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   エストニア共和国防衛隊時代に、はじめて出会った頃のハンス、のちに義理の兄になったハンスの声に少し似ていた。


   まだまだ写真の展示は続く。戦車とこれを見守る人々の写真である。1991年8月19日、モスクワでクーデターが発生する。これに乗じて、8月20日、エストニア最高会議は独立を宣言する。これに対応すべきソ連軍が派遣されるが、人々は平和的な姿勢を貫きながら、独立を守ろうとする。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その6)2016/02/06 06:53

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   祖母は泥棒でもファシストでもなかった。ちがうわよね?


   道路沿いの写真はけっこう多い。ソ連によるエストニア占領により、海外に逃亡したエストニア人も多かった。1972年に”国際エストニアデー”が組織され、以後4年ごとに行事が行われたようだ。写真は1975年のニューヨークで、エストニアの自由を訴える子供たちである。民族衣装を着ていて、とてもかわいらしい。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その7)2016/02/07 06:09

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   国内にソ連軍が展開してきてようやく、危険が迫っていることを認識した。

   さらに、写真が展示されていた。エストニアの観光事情について説明がなされている。この写真はエストニアのとある保養地のようだ。外国からもエストニアに観光客が来るし、エストニアから海外に出る人も多かったようだ。1936年には、エストニアを訪問した人は16万人、エストニアから海外に出た人は12・5万人。外国に囲まれた小さな国だから、納得できる話だ。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その8)2016/02/09 08:54

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   男はアリーダのために扉をあけ、椅子を勧め、かけろと促した。

   ロシア革命直後の写真である。1918年2月24日、タリンにおいてエストニアの独立が宣言される。その前日には、パルヌという都市で独立宣言が読み上げられていた。パルヌはエストニアを代表するリゾート地のようだ。ただ、2月の下旬なので、雪が積もっている。寒々とした様子が伝わってくる。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その9)2016/02/11 07:57

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   アリーダは、二つのレーニン像のあいだから彼らを見張ることにした。


   港からちょっと歩いて目についたのが、とある教会。”聖シメオンと預言者ハンナ教会”という名前らしい。ギリシャ正教の教会だと思われる。1752年から1755年にかけて建てられたとのこと。改装されて、きれいになったらしい。ソ連時代はスポーツセンターの一部にされていたようで、宗教活動が圧迫されていたのかもしれない。
   キリスト教には詳しくないので、聖シメオンと預言者ハンナ(アンナ)という名前にも馴染みがない。聖書には出てくる人物らしい。いずれにせよ、タリンは様々な文化や宗教が入り混じっている場所である。いろんなタイプの教会が見られて、面白いなと思う。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その10)2016/02/13 07:49

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年


   町役場までの道のりは、あいかわらず斧の刃の上を歩いているような気分だった。


   港からさらに歩くと、近代的なビルがあった。ここはオフィスが集まっているビルだろうか。港からも近いし、ビジネスをやるには便利な場所だ。この時点では工事中だったのだろうか。2時間フェリーに乗っていたが、ほとんど甲板の上を歩いたりしていたので、あまり座っていない。そして船が港に着くと、すぐに歩き始めたので、ちょっときついかなという感じはあった。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その11)2016/02/14 07:28

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   妻がタリンへ行きたがっているのではないかと思いやってくれたのだ。


   そして煙突のようなものが見えてくる。のようなものでない。煙突に間違いない。かなりの年代物だ。もう使われていないのだろう。ここまで古いものとなると、ソ連時代につくられたものだろうか。ある時期はもくもくと煙を吐いていたのだろう。壊すのも面倒だからほってあるのか、一つのオブジェとして保存されているのかはよくわからない。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その12)2016/02/16 08:56

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

   ザラは静かな寝息をたてて眠っている。ラジオが選挙のことをがなりたてていた。


   トラムが走っている。こうした乗り物は、旧ソ連・東欧圏に多い。モスクワやレニングラード(当時)に行った時も、たまに利用していた。運転手のほとんどは女性だった。かつて東ドイツに属していたポツダムにもトラムが走っていた。ベルリンでも東側ではトラムが発達していた。トラムは趣があるし、街にフィットする。日本でも路面電車が走っていると、街がいい感じに見えてくる。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その13)2016/02/18 08:49

ソフィ・オクサネン著、上野元美訳
『粛清』
早川書房、2012年

「つまり、モスクワは、彼らを帰還させるつもりだ。タリンでその話が出ている」


   街中は緑も多いし、渋い建物が多い。中世風の建物と街路樹の組み合わせが街に落ち着いた雰囲気を醸し出している。そんなに暑さは感じないが、北国の太陽には注意が必要だ。知らない間に体中の水分が蒸発したり、紫外線もけっこうきついからだ。海外に行った時は、できるだけ歩けるところは歩くようにしている。そうでないと、街が身体に馴染んだ感じがしないからだ。勿論、徒歩での移動は限度があるから、必要に応じて公共交通機関やタクシーを使うこともある。