エジンバラ城(その9)…2008年夏2012/05/01 21:49

森    護著
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店

    1707年の連合も、スコットランドにすれば対等の連合であり、先進経済国との連合による経済基盤の向上をねらったものであったが、イングランドは連合によるスコットランドからの税収と徴兵が、最大の目的であったなど、現在でもスコットランド民のイングランド憎しの理由の一つになっている。



 そして前回紹介した戦争の監獄(The Prisons of War)の続きである。こんな不潔なハンモックに寝ていたら、すぐに病気になってしまうかもしれない。大量の捕虜がいたのであろう。ハンモックに寝る人、下のベッドに寝る人。ぎゅうぎゅう詰めに人間を閉じ込めた捕虜収容所である。エジンバラ城は人間の美しいところも汚いところも包み込んでいる不思議なお城である。


 こちらは食事だろうか。捕虜には粗末な食事しか与えられなかったのだろう。アメリカ独立戦争でとらえられた捕虜が多かったようだ。アメリカの独立というと、ワシントンDC郊外にあるマウント・バーノンを訪れたりして、ジョージ・ワシントンなど華やかな面ばかりに接していたが、独立戦争で捕まった人のことは考えたことはなかった。新大陸から連れて来られ、こんな牢に閉じ込められた人たちの余生を考えると、暗澹たる気持ちにかられる。

エジンバラ城(その10)…2008年夏2012/05/04 08:30

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

   そして、彼がこの事件についてどう考えようと、軍隊で働いたことのある人間なら誰でも、彼の言葉に自分の国と歴史が侮辱されたと感じずにはいられないのだ。私は言った。「ぼくらが話題にしているのは、スコットランドだよ。イングランドではない」



 城の中の敷地をどんどん登っていくと、クラウン・スクエアという砦がある。さらに第一次世界大戦の戦死者を慰霊する国立戦争記念館(The Scottish National War Memorial)、スコットランド国立戦争博物館(The National War Museum of Scotland)がある。仲間を助けた人の勲章とかがある。日本ではこうした展示はあまり見たことがない。短銃などの武器も展示されている。
   同じエジンバラのエリート学校であるフェティス・カレッジでも戦争に参加して命を落とした卒業生を慰霊する記念碑があった。このエジンバラ城は歴史的な人物に関係するものもあるし、こうした博物館もあるし、スコットランドの歴史を伝える建物の総合体ともいえる。


  この絵は、1850年代に勃発したクリミア戦争での一場面を描いている。「バラクラバの戦い」において、勇敢に戦ったスコットランド兵の活躍が題材となっている。クリミア戦争は、フランス、オスマントルコ、英国などがロシアなどと戦った戦争。看護師ナイチンゲールが活躍したのもこの戦争だ。真っ赤な軍服をまとったスコットランドの兵士がロシア軍を撃退した出来事。これは「シン・レッド・ライン」と呼ばれる。

エジンバラ城(その11)…2008年夏2012/05/08 20:39

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

   スコットランド王国の継承者として、若いカトリック教徒のメアリは、エリザベスが君臨するイングランドについても正当な権利があると教えられて育った。 チューダー家の直系は処女王とともに終わりそうなのに対し、王朝の創始者であるヘンリー七世のひ孫のメアリは若く、多産そうだと思われていた。



 この建物は水の貯蔵タンクとして使われた。エジンバラ城が包囲された時は、水の保全と使用は必須だったようだ。水は人間が生きていくために最低限必要なものだから、こうしたタンクはライフラインと言えるだろう。


 こちらの方は、駐屯地に食糧を輸送するための車を50台ほど収容するために使われていた建物。いざ戦争ともなれば、武器は勿論のこと、兵士や銃後のための食糧も重要になる。いつの時代もこうした備えがしっかりできているかどうか問われることになる。エジンバラ城は建物だけでもバラエティに富むから、見ていて面白い。

エジンバラ城(その12)…2008年夏2012/05/11 20:18

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

   メアリの祖国の国民の大半は、彼女の勇気に温かく反応した。彼女の企てが、スコットランド人の願いに大いに敬意を払っていることを意味していたからだ。



 既に紹介したように、エジンバラ城の敷地内を上へ上へと昇っていくと、戦争に関した建物の一群に辿り着く。それほど広くはない敷地に立体的にいろんな建物が入っており、効率的に見学することができる。これはスコットランド戦没者記念堂。第一次世界大戦以降の戦没者を祈念する建物である。


 もう一つはスコットランド博物館の一部である戦争博物館。その関連の展示物がある。勲章らしきものがある。バラクラバの戦いについて触れたが、スコットランド兵の勇敢さには定評がある。そして、エジンバラは夏に世界各国から観光客が訪れる。特に、ミリタリー・タトゥーは最も人気のある催し物である。これはエジンバラ城の入り口にある広場で行われる軍隊の音楽隊によるものである。

エジンバラ城(その13)…2008年夏2012/05/15 20:13

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

   ほどなくして、メアリとダーンリーとの結婚生活は、両者にとって一過性の情熱以上のものではないということがわかった。そして、彼女が夫に失望し冷淡に なったせいで、この頭の鈍い若者は、自分は堂々とした夫で、力のある政治家になれることを妻に証明しようという決意を抱いてしまった。



  これはモンス・メグ(Mons Meg)という大きな大砲。巨大な砲丸が使われていたようだ。当時としては大量破壊兵器などだろうか。対外的に大きな意味を持ったのだろうか。祝砲としても使われたようだ。武器ではあるが、まん丸の砲丸というのはユーモラスな雰囲気を持っている。


   ボルチモアのフェデラルヒルズの砲台も紹介したが、このモンス・メグもなかなか迫力があっていい。エジンバラ城にはワン・オクロック・ガン  (The One o'Clock Gun)という砲台もあり、毎日午後1時に号砲が発射されるのだが、残念ながらその時間を過ぎていた。

エジンバラ城(その14)…2008年夏2012/05/18 20:36

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

   三月のスコットランドの寒々とした夜だ。メアリーは妊娠六か月。お腹の子は、未来のスコットランド王で、それよりもはるかに貴重な権利、すなわち、イングランド王国の正当な世継ぎになる権利を持っていた。



 エジンバラ城には王家の王冠や宝物を納めたクラウン・ルームがある。何しろ豪華な宝石類がわんさとある。イングランドで保管されていたのだが、ようやく1996年にスコットランドに返されたらしい。イングランドとスコットランドの関係なんて、日本人にはよくわからないが、複雑なものがあるのだろうか。エジンバラ城は中にいても楽しめるが、外から見ても素晴らしい。


 季節や時間によって、エジンバラ城は様々な姿を見せる。時間に余裕のない滞在でも、太陽の当たり具合によって、お城は別の姿を見せてくれる。エジンバラ市街にいるといろんな方向からお城が見えるので、いろんな楽しみ方ができる。訪問したのは夏だから陽が沈むのも遅くて、長い時間にわたってエジンバラ市内を見ることができた。

エジンバラ城(その15)…2008年夏2012/05/22 20:31

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

  突然、ホームズと私は、コンパートメントの前方の壁に投げつけられた。そして、キーッという大きな音、遠い昔に死んだスコットランド女王が、私のように ホームズの話に夢中になって、叫び声を上げたのではないかと思えるような音が、嵐の夜をつんざくように鳴り響いた。



 グレート・ホールと呼ばれる建物の中には武器類がたくさんある。このエジンバラ城内の各建物は何度も改築されたり、用途や名称が変わっているので、簡単に整理するのが難しい。この建物の中にある剣の種類と数がとても多い。ぴかぴかに磨かれて、今でも切れ味が鋭そうだ。


 日本と違って、西欧では武器や拷問器具がものすごく発達している。日本のような温和な社会では武器はそんなに発達していない。騎馬民族ではないからだろうか。日本民族が騎馬民族とする説もあるが、蹄鉄が発達していない日本ではあり得ないのではないか。一時期、乗馬をやっていたので、蹄鉄というものが舶来のものであることを痛感した。

エジンバラ城(その16)…2008年夏2012/05/25 20:46

ケイレブ・カー著、山川美千枝訳
『シャーロック・ホームズ    メアリ女王の個人秘書殺人事件』
2006年、学習研究社

「ゲール語」私は走りながら、ひとりごとをつぶやいた。「ゲール語かもしれない……」
   確かに、耳にしたのはゲール語だった。私が知っていたのは、それは古い言語であり、一般的に都会のエディンバラというよりも、スコットランドの辺鄙な地域で話されるということだけであった。



 これも外から見たエジンバラ城の外観である。もうかなり遅い時間。この人物オブジェとの組み合わせがとても素敵で、いい写真が撮れた。右側に見えるのは、17世紀から18世紀のスコットランドの詩人アラン・ラムゼイの像である。夕陽がエジンバラ城を優しく照らして、橙色の空と茶色のお城が不思議な世界をつくっている。お城の中にいても楽しい時間を過ごせるが、いろんな場所から見えるエジンバラ城もまた魅力的だ。


 エジンバラ城はどこから見るかによって全く姿や趣が違う。 エジンバラ城をいったん出ても、市街地からはお城が見えるので趣がある。エジンバラの繁華街はそれほど広くないだけに却ってお城の魅力が高まる。一般にアジアの都市はあまりに広くなりすぎて、興ざめのところがある。コンパクトな市街地の方が観光客にとってもありがたい。

バッキンガム宮殿(その1)…1997年夏2012/05/29 20:32

C・C・ベニスン著、宮脇裕子訳
『バッキンガム宮殿の殺人』
1998年、ハヤカワ文庫

   すべては十月のある金曜日に始まった。女王は、スコットランドのバルモラル城で夏の休暇を過ごされて、数週間前にバッキンガム宮殿に戻った。ふたたび以前の活気を取り戻した宮殿は、まるで要求多い夫婦が滞在する巨大ホテルのようだった。



  バッキンガム宮殿。ロンドンを訪問したら、絶対に見逃せない名所である。ロンドンへの直行便がとれず、香港経由。しかも、この後にアイルランドのダブリンまで訪問する旅程だったので、かなりきついスケジュール。ロンドンは地下鉄が発達しているので、行きたい所にも確実に行ける。


 英国は日本と同様に立憲君主制の国なので、こうした王宮の存在が社会に落ちついた雰囲気をもたらしている。この年は春にニュージーランドを訪れて(現地は秋)、さらに夏に香港、英国、アイルランドを訪問するという年になった。英国・ロンドンは初めてだったので、当然のことながらバッキンガム宮殿に向かった。やはり世界の観光地だけに、見物客は多い。