虎山長城を歩く…2014年春(その15)2015/04/02 09:24

鮮于煇著、 猪飼野で鮮于煇作品を読む会訳
『火花--鮮于煇翻訳集』
白帝社、2004年

<水豊ダム>
 すでに六十歳を越えていた彼の白髪混じりの頭髪は一夜の苦悩の果てに真っ白になってしまった。


   北朝鮮の農地。畑では牛が使われている。日本ではもう見られなくなった光景だ。良くいえば牧歌的だし、悪くいうと遅れているということになろう。沖縄の島などでは一部農耕牛が残っているようだが、観光という側面もあるだろう。
   そういえば、中国のこのあたりでは農耕馬もちらほら見えた。日本でも1960年代の後半くらいまでは、廃れていたとはいえ農耕馬が街の中でも見られたりした。この北朝鮮の大地では、牛だけではなく、農民も黙々と畑仕事をしている。


虎山長城を歩く…2014年春(その16)2015/04/04 08:27

鮮于煇著、 猪飼野で鮮于煇作品を読む会訳
『火花--鮮于煇翻訳集』
白帝社、2004年

<水豊ダム>
   若い日本人警官は、日本人にもよくある林氏や南氏とは違って、承の字を<うけ>と申告した本意は何であるかと問い質した。


   こんな狭い川が国境になっていることが何とも不思議に思われる。今は脱北者の問題とかがあるから、国境の警備も厳しくなっているだろう。とはいえ、北朝鮮の国境警備兵、軍人みたいな人は見当たらない。中国のこのあたりには朝鮮族もたくさん住んでいるから、お互いに情報はかなり伝え合っていると思われる。世界的にはあちこちの国に散らばっている民族は決して珍しくはない。


虎山長城を歩く…2014年春(その17)2015/04/07 08:55

鮮于煇著、 猪飼野で鮮于煇作品を読む会訳
『火花--鮮于煇翻訳集』
白帝社、2004年

<水豊ダム>
   その次男が技師として携わった最初の仕事が、偶然にもこの水豊ダム工事の測量であった。


   虎山長城を全部見るにはかなりの坂をのぼらないといけない。時間に限りがあるので、最後までいく余裕はないが、頂上を見ているとその高さをあらためて痛感する。残念ながら万里の長城には行ったことがないのだが、一度こちらの方も訪問してみたいと思う。
   最近はゴールデンウィーク、夏の休みに短期に外国を訪問するしかないのだが、この旅行もゴールデンウィークの直前に申し込んだものだった。そして、瀋陽から丹東までは中国の旅行会社にネットで申し込んだ。ちょっと不安だったが、受け入れもしっかりしていたし、ガイドさんは日本に留学して日本語を話せる人だった。


虎山長城を歩く…2014年春(その18)2015/04/09 09:01

鮮于煇著、 猪飼野で鮮于煇作品を読む会訳
『火花--鮮于煇翻訳集』
白帝社、2004年

<水豊ダム>
   ある日突然、長男に補償金と蓄えをそっくり取り出し、すぐに京畿道楊州の両水里へ行って、この金で買えるだけの田畑を買えと命じた。


 北朝鮮の農民の家だろうか。このあたりの畑を耕している人が住んでいるのだろうか。冬はかなり寒くなるのだろうか。そもそも北京にしてもソウルにしても、冬は東京よりもかなり寒い。訪問した時はゴールデンウィークだったので快適な陽気だったが、冬の”一歩跨ぎ”も見てみたいと思う。北朝鮮ではエネルギー事情も悪いから、冷房はおろか暖房も十分ではないと思う。これらの家の中がどうなっているのか、人々がどんな生活をしているのか見てみたい。


虎山長城を歩く…2014年春(その19)2015/04/11 08:21

鮮于煇著、 猪飼野で鮮于煇作品を読む会訳
『火花--鮮于煇翻訳集』
白帝社、2004年

<水豊ダム>
 二人は鴨緑江を堰き止めたダムの土手を避けて、少しさかのぼって行った。


   牛が畑仕事をしていたが、トラクターも使われていた。見た目には、しっかりした機械に見える。ただ、北朝鮮では燃料はかなり貴重な資源だから、無理して動かしているのかもしれない。ここでは、ほとんど人海戦術で耕しているようだ。対岸に観光客がこれだけ来ているのだから、トラクターを使っていることを見せているのかもしれない。


虎山長城を歩く…2014年春(その20)2015/04/14 06:08

鮮于煇著、 猪飼野で鮮于煇作品を読む会訳
『火花--鮮于煇翻訳集』
白帝社、2004年

<水豊ダム>
   ところで近ごろ、私はこんな夢をみる。
   長い長い歳月が流れて、いつの日にか、科学の発達が水力発電さえ必要としなくなり、淀みない江流の原始的姿を人間が取り戻そうとする時、水夢ダムは鴨緑江から撤去されるに違いないと。


   虎山長城のメインは北朝鮮側を見ることになる。実質的に陸地の国境を持たない日本に住む人間にとっては、国境というのは独特の印象を受ける。北朝鮮側の農地、山、まちが見える。江戸時代の浮世絵などを見ると禿山が多いが、今の北朝鮮でも木を切って、使い果たしてしまうのか、それと似たような状況にあるのだろう。木を切ったら、森林の保水能力もそがれてしまうので、その分だけ水害も起こりやすくなるだろう。人気があまり感じられず、ひっそりとした光景ばかりが目の前に展開されている。


虎山長城を歩く…2014年春(その21)2015/04/16 06:01

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   六月二八日人民軍に占領されたソウルの街は、悪霊にとりつかれたように陰惨としていた。


   さて、こんな看板がある。遊泳禁止、釣り禁止とかはわかるが、物を投げてはいけないとか物の取引をしてはならないという表示にはびっくりする。やはり中国と北朝鮮の経済事情、両国の関係などを反映したものと言える。鉄柵のない時代もあったようで、その頃にはのんびり遊泳やら釣りができたのだろうか。


虎山長城を歩く…2014年春(その22)2015/04/18 06:42

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   多くの国会議員と政党・社会団体の著名人士は情報要員と協力者によって強制的に連行された。


   北朝鮮の農民が何人かいる。前に見かけた女性たちだ。そういえば、これだけ多くの農地が見えるのだが、水田は見当たらない。中国側もそうだった。このあたりの農業は、米よりはコーリャンなどの穀物が中心なのだろうか。緑というよりは茶色の農地だ。大きな声で叫べば、お互いに連絡もつきそうな距離だ。


虎山長城を歩く…2014年春(その23)2015/04/21 12:13

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

   九月一五日米軍の仁川上陸作戦を契機に、韓国軍も洛東江戦線で大々的に反撃作戦を開始し、津波のように人民軍を追撃した。


   ”一歩跨ぎ”のところ。川だけでなく階段もある。鉄線があるので入れないのだが、階段があるということはここに自由に入れることが前提だったのだろう。せっかくなら、この階段のところに腰かけてゆっくりしたいと思う。対岸の北朝鮮を見ながら、ここで洗濯している人がいるが、地元の人だろうか。
   宿泊地は瀋陽にしたのだが、まさに丹東、”一歩跨ぎ”が旅行の中心だった。あまり時間をとれないので、先ずは瀋陽までの足と宿を確実におさえ、後からオプショナルでこちらのコースを確保した。瀋陽から丹東までは高速道路をぶっ飛ばした。


虎山長城を歩く…2014年春(その24)2015/04/23 09:22

李泰著者、 青柳純一訳
『鴨緑江の冬--「北」に消えた韓国民族指導者』 
社会評論社、1994年

一〇月一〇日金日成の後退命令が下りた後、平壌に対する米軍機の爆撃はひどいものだった。


   さて、虎山長城の観光をしていたが、バイクだかスクーターがポコポコと走って行く。別にどうということはないのだが、思わず写真に撮ってしました。今はデジカメの時代だから、どんな写真でも優劣をつけずに撮ってしまう。しかし、そうやって撮った写真の中に意外といいものが混じっていたりする。ネガプリントの時代だと写真がバラバラになると順番がわからなくなってしまうが、デジカメだとそこは明確だ。