カザン寺院…1980年夏2010/02/19 22:26

 ゴーゴリ作、平井  肇訳
 「外套」
 『外套・鼻』
 2006年、岩波文庫

 翌日になるとひどい熱が出た。ペテルブルグの気候の仮借なき援助によって、病勢が予想外に早く昂進したため、医者は来たけれども、脈をとって見ただけで、如何とも手の施しようがなく、ただ医術の恩恵に浴せしめずして患者を見殺しにしたといわれないだけの申し訳に、彼は湿布の処方箋を書いただけであった。



 レニングラード(現在はサンクトペテルブルク)のカザン寺院が一つの目印、拠点となった。繁華街のあるネフスキー大通りの近くで、利便性も高く、散歩やショッピングをするにも最適の場所だ。
 知り合いになったロシア人、ウクライナ人との待ち合わせ場所としても利用した。「明日はカザン寺院に午後3時に」などというせりふをお互いよく使っていた。彼らは時間にルーズで、遅れることも珍しくなかった。それでも、敷地内は公園にもなっていて、ベンチもたくさんあって、待ち時間をゆったりと過ごすこともできた。何よりも人間の生活リズムがのんびりとしていた。
 日本語の新聞を読んでいると物珍しそうに近寄ってきて、話かけてくる人もいた。当時、ソ連のホテルで買えたのが『毎日新聞』と『赤旗』。インターネットもないし、たまに古い記事を読めるだけだから、直近のニュースが分らない。
 カザン寺院に限らず、どこにいても闇の両替屋さん(といっても普通の市民だが)がよく現れた。「ドル、ドル」と叫んで、近づいてくる。

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