ルーブル美術館(その3)<モナリザ>…1998年夏2013/04/02 20:51

ダン・ブラウン著、越前敏弥訳
『ダ・ヴィンチ・コード(上)』
角川書店、2004年

    ソフィーはまだその絵が好きになれなかった。「この女の人は何かを知ってるみたい…学校の子たちが隠し事をしてるときもこんなふうよ」
    祖父は笑った。「それこそが、この絵が有名な理由のひとつなんだよ。モナ・リザがなぜ微笑んでいるかをあれこれ考えるのが好きな人がおおぜいいるんだ」



    やはりルーブルに来たら、真っ先に行くのはこの絵のところ。世界で最も有名な美術品の一つであるモナリザ。1974年に日本で公開された時は大変な騒ぎだった。残念ながら、首都圏に住んでいなかったので、見ることはできなかった。
   それから24年後、やっと本物を見ることができた。モナリザは予想以上に小さい。多くの人が集まっていて、賑わっていた。じっくり見ることもできなっかったが、モナリザを鑑賞できて満足だった。

ルーブル美術館(その4)<ミロのビーナス>…1998年夏2013/04/05 20:16

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

    彼の昂奮は高まるばかりだった。それは、女の肉体にたいする彼の清純そのものの情熱だった。つまり、渇望し、求めても、決して得られない女性の裸像にたいする狂おしい恋情といえるものだった。両腕で抱きしめたくなるほどの肉体の創造を熱望しても、決して満足の得られない無力感だった。



    ルーブル美術館にある有名な展示物の一つ。ミロのビーナスである。このミロのビーナスは古代ギリシャの彫刻で、作者は不明。目の前でしっかり見られるのはありがたい。日本だとガラスの向こうだったりする。世界的な芸術作品がこうして直に見られるのだから最高だ。
   ルーブル美術館は世界最高峰の美術館だ。その前に、ロシアのエルミタージュ美術館、ロンドンの大英博物館を訪問したこともあったが、それにも並ぶ美術館と言える。

オルセー美術館(その1)<入口>…1998年夏2013/04/09 22:18

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

    クロードは身をふるわせてさけんだ。
「ああ、このパリ……パリはおれたちのものだ。征服せずにおくものか!」
    四人とも、情熱に燃え、欲望に輝く目をかっと見開いていた。大通りの高みより全市に吹きおりるもの、それは栄光にほかならない。パリは眼前にある。彼らはそれをわがものにするのを熱望していた。



    パリのオルセー美術館。ルーブル美術館を後にして、この美術館にやってきた。ルーブルとオルセーはセーヌ川をはさんで向かい合っている。実際に、ルーブルは宗教画とか歴史画とかキリスト教など欧州を舞台とする知識に通じていないと理解しにくい作品が少なくない。
    それに比べると、日本人に大人気の印象派の絵画が多いオルセーは敷居も高くなく、十分に楽しめる。このオルセー美術館もともとは駅だったようで、外から見た感じもルーブルとはかなり異なる。

オルセー美術館(その2)<ジャン=レオン・ジェロームの彫刻>…1998年夏2013/04/12 22:41

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

    一行は、クリシー大通りを下ってから、ショセ・ダンタン街、つづいてリシュリュー街のコースをとり、セーヌ川に出るや、学士院を侮蔑するために芸術橋を渡ったあと、セーヌ街を通ってリュクサンブール公園にたどり着いた。そのとき、三色で彩ったどぎつい広告が目にとまり、彼らは喝采をあげた。巡業サーカスの広告だった。



    オルセー美術館は印象派を中心とした絵画で定評があるが、こうした彫刻もある。作者はジャン=レオン・ジェロームという人。青銅の渋い彫刻である。ドンキホーテを彷彿させるような彫刻だが、別の題材を扱っているようだ。『剣闘士』という作品だ。
    絵画にしろ彫刻にしろ、間近に見ることができるので迫力ある印象を受ける。立体的な彫刻は作成した経験がないので、どうやって創られたか想像がつかない。

オルセー美術館(その3)<ジュール・クータンの彫刻>…1998年夏2013/04/16 21:32

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

   サン・ルイ橋(サン・ルイ島とシテ島を結ぶ橋)まで来たとき、クロードは、彼女の気づいていないようすのノートルダム寺院のうしろ姿を指さし示した。両脇を梁にに支えられ、うずくまり休息している巨大な怪物のうしろ姿である。その長い背の先端には、一対の、まさしく双頭の塔が、あたりを制圧するようにそびえているのが見える。

   絵画にしろ彫刻にしろ、ギリシャ神話やキリスト教の物語と関係している場合が多いので、日本人にはわかりにくいものもある。欧米の美術作品を鑑賞する際には、背景となる知識をできるだけ身につけておくことが望ましい。書物で読むのが大変なら、そうした映画を何本か観ておくのも良いだろう。
   これはジュール・クータン による"Chasseurs d'aigles"という作品。『イーグルハンター』とか『鷲を狩る人』という意味になるのだろうか。鷲とたたかっている場面のようだ。なかなか興味深い作品だ。


オルセー美術館(その4)<ロートレックの『ムーラン・ルージュの踊り』>…1998年夏2013/04/19 20:13

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

   笑ってない者は怒りくるっていた。絵の青みがかった色調、光の効果の新しい表現性も、彼らには侮辱としか思えなかった。このような芸術の侮辱をだまって見過ごしていいのか?数人の老人などは、ステッキをふりまわしていた。

    オルセー美術館にはロートレックの絵画がけっこうある。ロートレックは健康に恵まれず、障害を持って生きたためか、その絵画には独特の趣がある。この『ムーラン・ルージュの踊り』にしても、ドガのものとは異なる。ロートレックの絵にはある種の毒といえるような作風が感じられる。
    当時としては、踊り子は大変身分が低く、かなり苦労していたようである。そうした弱い者への視点もあるのだろうか。川端康成の『伊豆の踊り子』にしても、書生から見たら身分の卑しい存在だった踊り子を題材としたものであり、単なる純愛で総括できるようなものではない。ロートレックの絵画にはつい見入ってしまうような魅力がある。

 

オルセー美術館(その5)<ルノワールの『大きな裸婦』>…1998年夏2013/04/23 21:08

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

   クロードは、ただ呆然と、歓喜に身じろぎ一つせず、彼女が衣服を脱いでいくのを見つめていた。彼女がふたたびあらわれた。
!あの瞬時に見せた幻影、いま眼前に姿を見せている!

   ルノワールの絵画の一つである。実際にモデルがそうだったのかもしれないが、ルノアールの絵に出てくる女性はたいがいふっくらしている。スレンダーな女性を描いたものはあまりないのだろうか。印象派の画家として知られているが、晩年は作風を変えているようだ。ルノワールは日本でも人気があるので、誰でもその絵風に親しんでいて、すぐにルノワール作だとわかってしまう。ここまで浸透している画家は他にはあまりないと思う。


オルセー美術館(その6)<ルノワールの『浴女たち』>…1998年夏2013/04/26 20:24

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(上)』
岩波文庫、1999年

   三時間、彼は全力を集中して、いっきに彼女の全身裸像を描き上げた。これほどまでに女性の肉体が彼を陶酔させたことは、いまだかつてなかった。彼の心臓は、聖なる女神の裸像を前にしたごとく、はげしく動悸していた。彼は近づこうともしなかった。



  左側の絵は、これもルノワールの作品。今度は女性が2人いる。こちらもふっくらとして、同じような趣を呈している。ルノアールは優しく、豊満な女性を描くことに長けている。話がそれるが、ふっくらした女性と言うと棟方志功の版画を思い浮かべる。
    ルノワールにしても、モデルとなる女性はあえて、ふっくらした人を選んでいたのだろうか。それとも絵を描いていると、作風として自然にそうなってしまうのだろうか。いずれにしても、ルノワールによる裸婦の絵は見ごたえがある。

オルセー美術館(その7)<ゴーギャンの"And the Gold of Their Bodies">…1998年夏2013/04/30 20:04

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(下)』
岩波文庫、1999年


   そこで、やむをえず妥協しては、少しごまかしをするなど芸術家としての良心を傷つけることをすることもあったが、心の中ではいつも、次に描くものこそ、すばらしい、雄大な、非の打ちどころのない、不滅の傑作になるのだと、夢想しつづけるのであった。



   タヒチにはまって、そこに住み着いたゴーギャンの絵である。"And the Gold of Their Bodies"という作品だ。ゴーギャンの絵は特徴があるから、素人が初めて見ても、彼の絵と理解できる。南の島のゆったりとした時間の流れ。
   誰もが忙しい日本とは対照的である。おおらかな風土、ふくよかな女性をここまでうまく描けるのもゴーギャンならではだろう。忙しいサラリーマンはこうした絵をたまに見るだけでも息抜きになるだろうか。