釜山の地下鉄(その2)…2002年夏2014/06/24 20:24

金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年

   夜十時が過ぎて、終着駅の一つ手前の釜山鎮駅に着いた。そこで降り、灯火管制で真っ暗な駅舎を抜け出して、水晶洞にある伯母の家に行った。そこへ来ているはずの手紙が気にかかっていた。



   コモドホテルという朝鮮王宮を再現した素敵な風情のホテルにとまった。地下鉄の釜山駅から歩いて10分くらいの便利なところ。坂があったり、やや道は入り組んでいたが、地下鉄の駅には難なく到着することができた。やたらロシア語の看板があり、この頃からロシア人が世界中に進出していくことになる。その前の年にベルリンの動物園に行った時もロシア語が聞こえてきた。ソ連時代には考えられなかったことだ。
   いずれにしもて、釜山の地下鉄を使いこなして、快適に街を巡ることができた。2002年9月から10月にかけて、釜山でアジア競技大会が開かれたが、その直前だったこともあって、警備が徐々に強化されているのが分かった。アジア競技会を歓迎する看板もあちこちにあった。天気があまり良くなかったので、霧雨が煙る釜山の姿を見ることになった。