フィリップスコレクション(その1)…2007年秋~冬2013/06/05 01:36

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(下)』
岩波文庫、1999年

   画家の家族もたくさん来ていた。おしゃれな服を着せた子供の手を引いている若くきれいな奥さん、黒い服を着た醜い二人の娘に付き添われている痩せぎすで気むずかしそうなブルジョワ女、幾人もの洟をたらした餓鬼たちがまとわりつくなか、小椅子にへたばりこんでいるお腹の大きい母親と、種々雑多である。



   アメリカで研修を受けていた時の話。先ずはワシントンDCに着いた。着いたのが週末だったので、公式日程は青空市場の視察くらいで、自由な時間があった。滞在していたホテルがデュポンサークルに近かったので、その界隈にあるフィリップスコレクションという美術館に入った。
   このあたり、ハイソな建物が多くて、美術館もそれにふさわしいものだった。この街の付近は、東洋の人物像も多く、変わった雰囲気があった。時差ボケがまだ残っていたが、少しずつ意識もはっきりしてきた時期だった。

フィリップスコレクション(その2)…2007年秋~冬2013/06/07 21:34

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(下)』
岩波文庫、1999年

   さて、クロードは自分の絵を探しはじめた。アルファベット順に進もうと思い、左につづく部屋をたどることにしたが、それがそもそものまちがいだったのだ。すべてのドアが開け放たれていて、部屋の連なりがはるか奥まで一直線に見通せた。



   このフィリップスコレクションでは印象派展をやっていた。オルセー美術館でもみたような絵も多かった。写真を撮ることは禁止されていたので、残念ながら残せない。まだ時差ボケをひきずりながらも広い会場をかけめぐった。
   ポスターや看板に使われていたのがこのモネの絵。”The Beach at Trouville”という作品だ。このトゥルーヴィルを舞台に描いた絵は非常に多い。フランス北部にある、お金持ちが過ごす海のあるリゾート地なので、題材には事欠かなかったようだ。

フィリップスコレクション(その3)…2007年秋~冬2013/06/11 22:39

エミール・ゾラ著、清水正和訳
『制作(下)』
岩波文庫、1999年

   そして彼の眼前にあるのは、もはや冷たくなった息子の姿ではなく、一個のモデル、情熱をかき立ててやまない一つの画題と化していた。巨大な頭の輪郭、鑞のような肌の色調、虚空を見つめる穴のような目、それらのすべてが彼を昂奮させ、燃え立たせていた。彼は、後ろにさがったり、じっと見つめたり、ときには作品を見て、かすかに微笑を浮かべさえしていた。



   絵画そのものから話がそれるが、このフィリップスコレクションに行ったとき、まさにアメリカらしい出来事に遭遇した。日本ではあまりないことだ。美術館に入る前に荷物を預けることになるので、そこに並んでいたが、なかなか列が進まない。荷物を取りに来た人がいたのだが、係りの人がどの荷物がわからなくなってしまい、その対応だけに追われていた。
   自分も含めて、これから荷物を預けて、美術館に入る人は待ちぼうけをくらった。美しい美術館という高尚な世界、あまりレベルの高くない労働者。こうしたギャップがなんとなく面白く思えてしまう。社会全体としては健全な気がする。何でもきっちり物事が運ぶ日本は素晴らしい社会だが、ある種の息苦しさが付きまとうこと事実だ。

大英博物館…1997年夏2013/06/14 23:21

ルパート・ブルック、「兵士」
平井正穂編、『イギリス名詩選』
1990 年、岩波文庫

もし僕が死んだら、これだけは忘れないでほしい、--
      それは、そこだけは永久にイギリスだという、ある一隅が異国の戦場にあるということだ。豊かな大地のその一隅には、
      さらに豊かな一握りの土が隠されているということだ。



  直行便がとれなくて、香港経由でロンドンにやってきた。ロンドンの最大の見所の一つ。大英博物館に行く。入場料はいくらか。箱の中にお金が入っている。ここに入れるのか。よく分からない。なんと入場料は無料。箱に入っているのは寄付金。
   エジプト関係の展示物も多い。メソポタミア、ローマ、インド関係のものも充実している。大英帝国は世界から宝物を手に入れた。この博物館はあまりにも広いので、気に入ったところを集中的に見る。それにしても、素晴らしいコレクションだ。

モスクワ・国民経済達成博覧会…1980年夏(その1)2013/06/18 22:01

ゲルツェン著、金子幸彦訳
『ロシアにおける革命思想の発達について』
岩波文庫、1950年

   ビザンツ的、モスクワ的制度の復活によってのみロシヤを救いうるものと期待していたスラヴ主義はロシアを解放することなく、ただ束縛したのみであった。前方に進んだのではなく、後退したのである。


   滞在していたモスクワのホテルの前がВДНХだった。"Выставка Достижений  Народного Хозяйства"の略で、国民経済達成博覧会という常設の展示場である。どちらかというと公園みたいなところでもあり、散歩するのは楽しかった。
 ソ連経済の業績を宣伝するため場所だが、ロケットや航空技術に関するものも多いので、けっこう面白かった。入り口の像はよく見慣れていたものである。ソ連映画の始まりに出てくる、あのモスフィルムのマークと同じである。


モスクワ・国民経済達成博覧会…1980年夏(その2)2013/06/21 21:37

グラーニン著、川上 洸訳
『新しいソビエトの文学4 雷雲への挑戦』
1968年、けいそう書房

   魔法使がモスクワに飛来したのは、五月六日の午前八時。その男は、まっさきに揺れるタラップをつたって空港のコンクリートの上に降り立った。出迎えの人びとの視線は、一時この男に集中したが、すぐにわきにそれてしまった。流行のけば立った生地の上着を着たこのスマートな、日焼けした青年には、だれが見ても、とくべつ変わったところはなかった。



   ソ連は軍用機でも先を行っていたが、旅客機も自前で生産していた。この博覧会では、イリューシン、ツポレフなどの旅客機も展示されていた。二重のプロペラ機などソ連の飛行機は、恐竜みたいで迫力がある。
   さて、1975年、アメリカのアポロとソ連のソユーズとが宇宙でドッキングするという大イベントがあった。米ソ両国が融和ムードを演出するという政治舞台でもあった。これは、その米ソ宇宙船に関する展示物である。

モスクワ・国民経済達成博覧会…1980年夏(その3)2013/06/25 21:43

グラーニン著、川上 洸訳
『新しいソビエトの文学4 雷雲への挑戦』
1968年、けいそう書房

   近年ゴリツィンは、自分自身の考えの臆病さを、ますます痛感するようになった。年をとってしまったというような問題ではない。二〇回党大会ののち国内に生じた変化は研究所にもおよんだ。研究テーマの範囲を広げ、新しいスタッフを引き入れ、隣接部門の研究を自由に討論することができるようになった。


   この宇宙船にはサリュート6と書いてある。宇宙ステーション計画の一環として1977年に打ち上げられた宇宙船のようだ。宇宙に行ったことはないのでわからないが、長いこと宇宙ステーションに滞在することは相当ストレスがたまるだろう。
   サリュート6号は、当時はまだ宇宙に飛んでいたから、ここにあるのは当然模型だろう。ソ連では、「宇宙飛行士のお父さんは宇宙に行ってしばらく戻ってこない。お母さんも買い物に行って(品不足で長い行列に並んで)しばらく戻ってこない」という類のアネクドート(小咄)がよくささやかれていた。

アメリカ航空宇宙博物館…1997年秋(その1)2013/06/28 22:29

ディヴィッド・スコット/アレクセイ・レオーノフ著
鈴木律子/奥沢駿訳
『アポロとソユーズ』
2005年、ソニーマガジンズ

(アレクセイ・レオーノフ)
   打ち上げから一時間四八分後に、ユーリがボストーク宇宙船から脱出して、パラシュートでボルガ川ほとりのサラトフ付近に無事帰還したというニュースが飛び込んできた。同時に私の任務も終わった。その日のうちにテレックスで、「すぐにモスクワにもどるように」との指示が来た。でも、わたしはもう一日そこにと留まることにした。「火と氷の国」として知られているカムチャッカ半島は、火山、溶岩、間欠泉、温泉などで有名だった。まえから訪れてみたいと思っていたので、翌日は観光をして過ごした。



   ワシントンDCを二回目に訪問した時の話。この時は商業振興、街づくりを調査する目的でアメリカ東部にやってきた。まずはワシントンDC入り。多少時間があったので、アーリントン墓地を見た。航空宇宙博物館も訪問した。
   この間まで紹介したモスクワの国民経済達成博覧会にもあった米ソ両国の宇宙関係の展示もあって面白い。歴史をつづっった航空機もたくさんあり、とても楽しい時間を過ごせる博物館だ。米ロ両国は航空・宇宙技術では先を行っているので、スケールの大きな博物館がつくれるのだと思う。