広州・西漢南越王博物館(その1)…1999年春 ― 2013/09/14 07:48
青木五郎著
『史記 十二(列伝五) 新釈漢文大系 92』
明治書院、2007年
「南越列傳第五十三 史記卷一百一十三」
南越王尉佗は、眞定の人なり。姓は趙氏。秦の時に已に天下を并せ、楊越を略定して、桂林・南海・象郡を置き、謫を以って民を徙し、越と雜處せしむること十三歳。
香港から列車で広州にやってきた。当時は短い滞在でもビザが必要だったし、香港が中国に返還されてはいたが、実質上は別な国に入るのと同じだった。まだ中国に返還される前の香港にも来たことがあるが、その時とそんなに違いはなかった。
さて、広州の見どころの一つである西漢南越王博物館に入る。とてもわかりやすい場所にあって、すぐに見つかる。南越国の王の墓が見つかって、これをもとに博物館がつくられた。1993年に完成しているから、比較的新しい博物館といえる。
『史記 十二(列伝五) 新釈漢文大系 92』
明治書院、2007年
「南越列傳第五十三 史記卷一百一十三」
南越王尉佗は、眞定の人なり。姓は趙氏。秦の時に已に天下を并せ、楊越を略定して、桂林・南海・象郡を置き、謫を以って民を徙し、越と雜處せしむること十三歳。
香港から列車で広州にやってきた。当時は短い滞在でもビザが必要だったし、香港が中国に返還されてはいたが、実質上は別な国に入るのと同じだった。まだ中国に返還される前の香港にも来たことがあるが、その時とそんなに違いはなかった。
さて、広州の見どころの一つである西漢南越王博物館に入る。とてもわかりやすい場所にあって、すぐに見つかる。南越国の王の墓が見つかって、これをもとに博物館がつくられた。1993年に完成しているから、比較的新しい博物館といえる。


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