広州・西漢南越王博物館(その2)…1999年春2013/09/17 20:21

青木五郎著
『史記 十二(列伝五) 新釈漢文大系 92』
明治書院、2007年

「南越列傳第五十三 史記卷一百一十三」
   戈船・下厲將軍の兵、及び馳義侯の發する所の夜郎の兵、未だ下らずして南越已に平らぐ。遂に九郡と爲す。伏波將軍益封せらる。樓船將軍(兵)は堅きを陷るるを以って、將梁侯と爲る。尉佗初めて王たりしより後、五世九十三歳にして國亡ぶ。



   これが一番有名な展示物。思わずぎょっとするような衣装だ。玉片とシルク糸で作られた絲縷玉衣という衣装。南越国というのは、紀元前200年頃から紀元前100年くらいまで約300年以上続いた王国でベトナム北部から中国南部までの領土を保有していた。
   秦の始皇帝が没し、各地が混乱したのに乗じて、この地域に南越国がつくられた。ベトナムと中国の南部、どんな国だったかあまり想像がつかない。いずれにしても広東語そのものも北京語とはかなり違うらしいし、広東あたりはベトナム的な風土もあるのだろうか。

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