LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その28)2018/10/10 08:38

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
   しかし、李相和の中期の詩では、このような「革命的ロマン主義」や「革命的楽観主義」を見ることはできない。


   このホテルは教会もあって、結婚式場にもなっている。電気がついてなくて、暗かったが。なんだか変わったホテルだ。意外と本格的な施設があるようだ。ここのホテルのレストランは結局利用することはなかった。上の方にあるから、行くのが面倒だった。


LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その27)2018/10/09 08:38

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
   朝鮮が根源的な生命力を持たなくてはならないと力説する。


   ロビーに花が置いてある。空港内ホテルにしてはロビーも広々としている。市街地のホテルにしても良かったが、夕方に着いて、朝に出発するから、こういうエアポートホテルは本当に便利だ。空港内には飲食店も必ずあるから、食事するにも困らない。ただ、ちょっとお店が少ない。


LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その26)2018/10/08 06:20

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
この時期は彼の創作意欲が最も旺盛な時期だった。


   ロビーはこぎれいで、いい感じである。バウチャーを見せて、すぐにチェックインすることができた。最近やたらとデポジットと称してクレジットカードを登録ささられることが多いが、ここではそういうことはなかった。


LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その25)2018/10/07 06:42

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
この詩には図式的な形式がない。


   別の都市でエアポートホテルに泊まったことがあるが、シャワーだけだった。ここも値段からして、そうではないかと思ったが、ちゃんと浴槽もついていた。これで十分に快適に過ごすことができる。


LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その24)2018/10/06 06:18

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
私は全身に草の香りをさせて


   エアポートホテル内の様子。ミネラルウォーターがサービスでついてくる。窓の目の前には飛行機があって、乗客もぞろぞろ歩いていたので、びっくりした。部屋はゆったりしていて、十分な広さである。


LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その23)2018/10/05 08:37

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
川辺に出た子供のように


   部屋の番号が111。なかなかいい番号である。ロビーからもすぐのところで、あまりにも便利すぎて、びっくりしてしまった。ただ大邱空港はあまり大きくなく、お店も少ないので、食事をしたりするところがそれほど充実していない。


LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その22)2018/10/04 08:39

金應教著
『韓国現代詩の魅惑』
新幹社、2007年

〈批判的ロマン主義の詩人、李相和〉
チョウよツバメよ、得意になるな


   面倒なので、空港内ホテルにした。空港は軍と共用で撮影は禁止とのことで、到着した際の写真は撮っていない。空港内ホテルというとやたら部屋がやたら狭かったり、値段が高かったりするが、ここはゆったりして、値段も安い。大変便利なホテルである。


バンクーバーへ到着…2017年夏(その15)2017/09/12 08:42

ジョイ・コガワ作、浅海道子訳、こさかしげる絵
『ナオミの道 --ある日系カナダ人少女の記録』
小学館、1988年

ケンジは、めがねをかけています。


   ホテルで荷物を預かってもらった。飛行機の到着が9時、空港の駅を出発したのが10時、ホテルに着いたのが11時。ここから観光に出かける。ホリデーインは世界中にその系列のホテルがあるし、これまでもアメリカ、香港などで利用したことがある。超高級ではないが、そこそこのホテルである。ここのホテルは駅前だから、本当にわかりやすかった。それもこのホテルを選んだ理由の一つである。ダウンタウンで駅から少し離れてもいいか、ちょっと郊外でも駅前がいいかと考えて、後者の選択をすることにした。


シアトルは大騒ぎ(その16)…1999年秋から冬2016/01/12 08:59

吉村達也著
『「シアトルの魔神」殺人事件--ワンナイトミステリー--』
2001年、角川文庫

   なお、ぼくは当地で「シアトルの魔人」と呼ばれている。


   これもウェスティン・ホテルの写真。以前に一度紹介した写真とだいたい同じ場面である。ホテルの入口の真ん前にバスを盾代わりに並べるというのも面白い。泊まっていたウェスティン・ホテルでは大きな騒動があった。自動小銃を持った警備兵があっちこっちに配置され、しばらく部屋から出るなという放送が流れた。公然とは明らかにされなかったが、クリントン大統領が到着したのではないかとの情報が広がっていた。しかし、新ラウンドの立ち上げには失敗し、クリントン大統領の晴れ舞台はつくられなかった。


シアトルは大騒ぎ(その14)…1999年秋から冬2016/01/10 08:01

吉村達也著
『「シアトルの魔神」殺人事件--ワンナイトミステリー--』
2001年、角川文庫

   スタンドのマリナーズ・ファンは総立ちになっていた。


   ウェスティン・ホテルにリムジン車が到着した。最も重要な局面となる世界貿易機関閣僚会議は別の会場だったが、このウェスティンも含めてところどころで関係の会議が開かれていた。WTOとなれば、世界の大半の国が参加しているわけだから、その関係者というのも膨大な数になる。