DCの日本人経営の寿司屋…2007年秋~冬2010/12/03 23:00

ブリア=サヴァラン著、関根秀雄・戸部松実訳
『美味礼賛』(下)
 2005年、ワイド版 岩波文庫


  それにわれらの遠い祖先が食物を生のまま食べたとしても、われわれもその習慣を全く失っていないのである。最も口のおごった人も、アルルのソーセージとかモルタデルとかハンブルグの牛肉燻製とかアンチョビーとか塩鰊とかいうものをうまいと言う。これらはいずれも火をくぐっていないのだが、十分われわれの食欲をそそるに足りる。
 


 この時のアメリカ研修では、度々寿司を食べた。年々、寿司の国際的地位は高くなっている。83年にDCに来た時は、韓国人が日本人のふりをしてやっている寿司屋に何度か通った。味は本格的だったが。
 プログラムを運営するNPOの本部に行った後、ランチタイムに近くの寿司屋に入る。外国に行っていきなり日本料理というのはちょっと抵抗があるが、この日は滞在3日目。経営者は日本人だ。カリフォルニアロールもうまい。当然、みそ汁も本物。

上流客が通うオーガニックレストラン…2007年秋~冬2010/12/07 21:30

エリック・マーカス著、酒井泰介訳
『もう肉も牛乳もいらない!ー完全菜食主義「ヴィーガニズム」のすすめ』
2004年、早川書房


  豆類は、すべて食物繊維、蛋白質、鉄、カルシウム、亜鉛、そしてビタミンB群などの良い栄養源です。この食品群にはヒヨコマメ、ベイクト・ビーンズ、フリホーレス(乾燥豆を煮て潰し、炒めたもの)、豆乳、テンペ、そして加工した植物性蛋白質などが含まれます。

 

 ワシントンDC。「ASIA NORA」というオーガニック(有機農産物・食品)のメニューが多いレストランに入る。かなり高級な店で、照明はうす暗く、シックな雰囲気。おしゃれで上品そうな客層ばかり。
 豆腐ステーキの料理を注文する。豆腐はまあまあだが、付け合わせの野菜がいま一つ。他の店や料理でもそうだが、アメリカでは野菜の味付けがいまひとつ。肉は荒っぽい料理でも、素材の味があるからまずくは感じない。
 値段はやはり高めだった。このアメリカ研修では一番の出費だった。それでも、日本の超高級レストランに比べると遥かに安い。
  ちなみに、この店はこの後すぐに閉鎖されてしまったようだ。もう一軒ある 「NORA」という店は残っているようだし、その他のオーガニックレストランは順調に営業を続けているらしい。

クリントンも通ったイタリアン・レストラン…2007年秋~冬2010/12/10 20:52

ビル・クリントン著、楡井浩一訳
『マイライフ  クリントンの回想・下巻』
2004年、朝日新聞社

  食堂は鏡版張りの部屋で、海軍の料理人がいい料理を作って出してくれる。私はほとんど毎日ここから昼食を届けてもらい、ときには足を運んで、厨房で働く若い人たちと言葉をかわすのを楽しみにしていた。週に一度は、大好物のメキシコ料理が出た。私の任期終了後、食堂はふたたび高官以外に閉ざされてしまった。わたしたちのやりかたは、士気を上げるうえでも生産性向上を図るうえでも効果的だったと思うのだが。



  ワシントンDC滞在の終盤の夜、バスに乗ってジョージタウンに繰り出す。フィロメナという有名なイタリアレストランに入る。メグ・ライアンをはじめとしてセレブお気に入りの店。

 アラカルトでつまみを注文する。その後、クリントン大統領が好きだったパスタも注文する。クリントンはジャンクフードも好きで、食生活の乱れで体調を崩したこともある。そのパスタはやはりちょっとヘビー。それでもおいしかった。

   クリスマスが近づいている。店の外も中もサンタクロースをはじめクリスマス関係の飾り付けでいっぱい。夢の世界にいるような気分にしてくれる。ジョージタウンの街は夜になると、特にきれいになる。建物の高さも統一されて、景観もきれいだった。




駅ナカで牛丼…2007年秋~冬2010/12/14 20:10

マーヴィン・ハリス著、板橋作美訳
『食と文化の謎』
2001年、岩波現代文庫

   コーンベルトがひろがると、農民は豚のほかに肉牛も飼うようになった。牛は大草原の草と干し草を食べてそだち、仕上げにトウモロコシでふとらされてから、山を超えて東部の諸都市までひかれていった。



 ボルチモアに小旅行をし、アムトラックでワシントンDCに戻る。ユニオンスクェア駅のフードコートでその日の夕食をとる。
 ビーフボウル。牛丼を注文する。肉は少々荒っぽい調理法でも、肉独自の味が出て、なんとかなる。この牛丼もまあまあ。しかし、アジア・ノラのところでも書いたように、付け合わせのキャベツがいまいち。量も多い。やはり日本の牛丼には及ばない。
 そこからタクシーでホテルに帰る。ユニオンスクェア駅の構内は安全だが、外に出るとちょっと不穏な雰囲気。ある人がわめきながら、警察に連れて行かれた。

アメリカ農務省の食堂で…2007年秋~冬2010/12/17 20:48

マーヴィン・ハリス著、板橋作美訳
『食と文化の謎』
2001年、岩波現代文庫

  オハイオ盆地の豚と牛はいっしょに追われていくことがよくあった。そういうとき、牛は途中で売られているトウモロコシを食べ、豚はそのあとをついていき、未消化のトウモロコシかすがたっぷりとふくまれた牛の糞を食べていたものだ。



 アメリカ農務省を二度目に訪れた時の話。せっかく農務省に来たのだからと省内の食堂に行き、ランチを食べる。
 サンクスギビングで人もまばらなので、簡単にOKがでる。アメリカによくある計り売りのシステム。いろんなものをとってしまう。スペアリブもとったので、骨の部分の重さも加わって、けっこうな値段になる。フルーツにドーナツもとってしまった。
 日本も霞ヶ関では農水省の食堂が一番人気なように、この食堂も最高。連休の期間だけに、家族連れの姿も目立つ。

七面鳥料理の前でお祈り…2007年秋~冬2010/12/21 20:17

ブリア-サウ゛アラン著、関根秀雄・戸部松実訳
『美味礼賛(上)』
2005年、ワイド版 岩波文庫

  また高度に口のおごったわれわれ美食家仲間で、政治だろうと何だろうとけっきょくは味覚談義にならないとおさまらぬ食通ぞろいの集会で、人は何を期待し何を欲望するか。何を食べたがるか。それは第二コースに出るトリュフを詰めた七面鳥だ。トリュフ詰め七面鳥!
いやわたしの秘密の日記には、七面鳥の滋養ゆたかな汁が最も高位の外交官たちのいかめしい顔を一再ならずほころばせたことが記録されている。



  アメリカでの研修、その中でもワシントンDCでの滞在がサンクスギビングの時期と重なっていた。このプログラムに関わっているNPO団体の人の家に招かれた。シルバースプリングという郊外の都市。広い一戸建ての家が多く、ワシントンDCに勤めるホワイトカラーの人が多そうな地域だ。
 ちょうど家に着くと、停電で電気が通じていないという状況になっていた。アメリカでは停電や電力不足の場面に出くわすことが多い。暗い照明の中で、サンクスギビングのパーティが始まった。先ずはお祈りがある。出席者はアメリカ市民が多かったが、そのルーツは様々だった。インド、パキスタン、レバノン、中国などから移民した人もいた。
 サンクスギビングにつきものの七面鳥の料理もあった。日本と違って、アメリカでは脂の少ない肉が好まれるので、あっさりした部分の肉が出されていた。クランベリーソースをつけて食べるとおいしい。この写真だと、ちょうどまん中にあるのが七面鳥。この後も、別の場所で七面鳥のサンドイッチを食べたりした。アメリカでは七面鳥は日常的な食材でもある。

並ばずに入れたクリスピー…2007年秋~冬2010/12/24 21:27

レベッカボンド著、さくまゆみこ訳
『ドーナツだいこうしん』
偕成社、2009年

ドーナツ・パレード どんどん すすめ。
     もっと もっと にぎやかに
        もっと もっと けいきよく。
           だいこうしんは さいこうちょう。



 サンクスギビングでホテルの朝食が休みの日があったので、近くのドーナツ屋に行く。日本では4時間も並ぶこともある、超人気のクリスピードーナツ。
 ホテルのすぐそばにクリスピードーナツがあると聞き、行ってみることにした。ここでは普通のドーナツ屋。勿論、並ばずに、苦労もせずに、買うことができた。
 今ではクリスピーは4時間も並ぶことはないが、当時としては日本で異常な人気だったので、ワシントンDCに滞在中にこんな経験ができたことが嬉しかった。

ボルチモアの寿司…2007年秋~冬2010/12/28 08:21

ローラ・リップマン著、吉澤康子訳
『スタンド・アローン』
2000年、ハヤカワ・ミステリ文庫

 ルーサー・ビールは、ボルチモアの昔なつかしい定番、大理石の階段を磨いていた。たとえ彼が自宅の玄関に出ていなかったとしても、テスには彼の住んでいるところがたちどどころにわかっただろう。ほかの煉瓦造りの連続住宅がしょぼくれて大事にされてないように見える地区のなかにあって、ビールの家は柔らかな黄色に塗られ、白い縁取りがしてあった。



 ボルチモアは日帰り。2回目の訪問。ちょうど10年ぶりだ。最初に訪問した時も、都市再生に成功した街に着目してのことだったので、インナーハーバーの美しさには変わりがなかった。
 お昼はフードコートでとる。お寿司の弁当をついつい買ってしまう。ボルチモアはチェサピーク湾の奥部にある街だけに、新鮮な海産物も手に入りやすいのだろうか。
 やたらピンク、オレンジの色が目立つ寿司弁当である。味はいまいちかなという感じもしたが、食べてみるとうまい。カリフォルニアロールもなかなかいける。調理していた人は日本人ではなかった。

サンフランシスコのチャイナタウン…2007年秋~冬2010/12/30 18:18

ダシェル・ハメット著、砧一郎訳
『探偵コンティネンタル・オプ』
1975年、早川書房

「シナ人の死」
 サン・フランシスコのチャイナタウンは、カリフォルニア・ストリートの商店のかたまっているあたりから北にのびて、ラテン・クォーターに達する、幅二ブロック、長さ六ブロックの細長い区域である。大火の前には、その十二のブロックに、二万五千にちかいシナ人が、住んでいた。今は、その三分の一の人口もあるまい。

 

 サンフランシスコといえばチャイナタウンである。何年か前に、ミスタードーナツが宣伝で流していた「サンフランシスコのチャイナタウンの飲茶♪」という曲が今でも耳にこびりついている。
 ここではチャイナタウンも人気ある観光の名所。とっても便利な場所にあるし、その規模も大きい。
 さすがに中国系の人でにぎわっている。父親は白人で、母親は中国系、当然その子供は白人と中国系とのハーフみたいな家族もけっこういる。
 いろいろと注文する。写真にあるように、チャーハン、北京ダック、エビなどを注文した。
 やはり本場だけあって、うまい。にぎやかに中国語が飛び交う中、本格中華に舌鼓を打つ。