ソウルの宮廷料理…2002年春2012/11/02 21:09

ユ・ミンジュ著、秋那訳
『宮廷女官チャングムの誓い (上)』
竹書房、2004年

 次はチャングムの番だった。見ると、饅頭の皮が変わっていて、ひときわ目を引いた。
「具を包んでいるこの野菜は何だ?」
「スン菜(白菜)でございます」
「スン菜?」
「明国から種をとりよせ、茶菜軒で栽培している薬科でございます。炒めたり、蒸したりしたところ味がよかったので使ってみました」


   仕事でソウルに来た時の話。韓国側から宮廷料理を用意していただく機会があった。焼肉中心のがっつりしたものをイメージしていたが、ちょっと変わった料理が多かった。韓国料理といういと、どうしてもステレオタイプの発想で焼肉に結びつけてしまう。
   韓国料理は意外と魚や野菜が多いようだ。料理についてはきちんと説明してもらえば良かったのだが。何の料理かわからないまま、箸を運んでいた。韓国側も忙しかったようで、空席も多かった。しかし、韓国の本場の料理を味わえて、いい雰囲気だった。

ソウルの冷麺…2001年春2012/11/06 23:35

ユ・ミンジュ著、秋那訳
『宮廷女官チャングムの誓い (中)』
竹書房、2005年

   チャングムは陽のあたる場所を探して野菜や山菜、野草を干して、干し椎茸、カタクチイワシ、昆布を挽いた。それらの材料を使って、初日は味噌鍋とナムルを作った。正使は最初の一匙を口に運ぶと眉間にしわを寄せた。膳が下げられるまで表情を和らげることはなかった。



   韓国へは初めての訪問だ。これまでロシアやアメリカを訪問したことはあったが、近くの国である韓国を訪問したことはなかった。飛行時間も短いので、身体が楽だ。欧州やアメリカの滞在につきまとう時差ボケがない。ソウルのエコノミーホテルに宿泊した。この頃はHISも格安を一番の売り物にしていたので、そんなホテルを選んでしまう。ゴールデンウィークは全体的に料金も高めだし。
   ハングル文字と人が左/車が右側通行なのが日本の街との違いを感じさせる。それにしても、アジアの都市は大きくなる。欧米の大都市は意外と中心市街地が狭いが、東京やソウルは街が大きい。地下鉄の路線もかなり複雑だ。せっかく韓国に来たのだからと、冷麺はどうかなとレストラン街を歩いていた。そこで注文したのがこの冷麺。冷麺の本場は平壌という感じもするが、ソウルで食べる冷麺もなかなかのものだった。

ソウルでサムゲダン…2002年春2012/11/09 19:50

ユ・ミンジュ著、秋那訳
『宮廷女官チャングムの誓い (下)』
竹書房、2005年

「あんたらも食べたのか?」
「俺はもともと肉は食べないです」
「じゃあ、村人たちはほとんど口にしたわけだな?」
「もちろんです。田畑を耕す人間に牛肉なんて夢の夢ですよ。そういう機会でもなきゃ一生食べられないような食べ物なんですからね」



   ソウルに出張で来ていた時のこと。ある人が犬の料理はどうかと提案したが、他のメンバーから却下された。それで良かった。韓国らしい料理はなんだということになったが、現地でお世話してくれた方がサムゲダンのおいしい店があると案内してくれた。
   サムゲダンは鶏肉の中にいろいろな具をいれた鍋料理である。もち米、朝鮮人参なども入っている。けっこうくせのある食べ物かなと警戒していた。しかし、そんなに刺激もなく、おいしくいただくことができた。忙しい日程が終わった後の夕食だったので、満足感も大きかった。

北京の牛肉野菜麺…2009年春2012/11/13 21:52

野口一雄著
『中国の四季 漢詩歳時記』
講談社選書メチエ、1995年

<韓偓 手を詠める>
腕白く膚は紅なり 玉筍の芽
琴を調え線を抽きては 尖斜を露す
人に背きては細かに撚る 垂胭の鬢
鏡に向いて軽く勻のう 襯臉の霞



  ゴールデンウィークを利用して、北京にやってきた。オリンピックの翌年で少しは余韻も残っていた。ホテルはちょっと都心から離れていたので、タクシーでやってきた。天安門広場を出て、王府井のショッピングセンターに行ってみた。近代的な店が多く、あか抜けている。当然のごとく、レストラン街がある。
 そこで、麺類を注文する。「牛肉野菜麺」とメニューに書いてあった。牛肉と野菜がいっぱい入っていた。ボリュームたっぷりの麺である。昼食としてはこれで十分である。そんなにくせもなく、おいしく食べることができた。すでにこのブログに掲載したが、一緒に食べたデザートも巨大だった。ちょっと食べ過ぎである。

ドバイでレバノン料理…2006年夏2012/11/16 23:51

栗山誠著
『東京ディール協奏曲』
2007年、集英社

   アラブ首長国連邦(UAE)・ドバイ市。
「何度来ても衝撃だな。絵に描いたようなエマージング・マーケットだ」
   高層階の窓からリゾート開発の進むアラビア湾の湾岸線を見ながら霧谷が呟いた。ドバイの開発は近年、凄まじい勢いで行われている。椰子の木を模した人工島で有名な「パーム・ジュメイラ」の海底トンネルやモノレールなど日本企業の多くのプロジェクトの発注を受けている。遠く離れた中東のオイルマネーが日本企業をも潤しているのだ。



 中東を訪問するのは初めてだ。アラブ首長国連邦のドバイ。きれいなショッピングセンターも多いし、フードコートやカフェもいろいろあって、のんびり過ごすにはいいい。真夏だから外に出ると玉のような汗が止まらないが、建物の中にいると快適だ。ショッピングセンターでレバノン料理を軽くつまむ。シシカバブのような料理だっただろうか。味はまあまあだった。
 何だかよく分からない料理だったとも言えるが。一緒に飲んだドリンクが実にカラフルだった。写真の通りだ。三色のドリンク。とても甘くて、デザートに近いだろうか。カフェでも食堂でも長居をしている人が多い。コーヒー一杯で三時間も四時間も過ごす人も少なくない。外はあまりにも暑く、数分歩くのも大冒険になる。

ドバイでチャーハン…2006年夏2012/11/20 23:18

栗山誠著
『東京ディール協奏曲』
2007年、集英社

   アル・ムンタハの内装は天井や赤や黄色の虹のような色使いで覆われていた。
「アラブ人はこういうのが落ち着くのか。謎だ」
   霧谷の呟きは続いた。その時、霧谷は背中で中国語を聞いた。
「中国人はどこにでもいるな、さすがだ」



  ドバイのショッピングセンター。和食はあまりなかったので、中華に手が出てしまう。チャーハンを食べる。ホテルに泊ると、バイキングスタイルの朝食でけっこうお腹いっぱいになることが多い。海外で滞在すると、だいたいこんなパターンになる。だから昼とか夜は軽くなってしまうことが多い。
   だいたいドバイは外国人が多い街だから、純粋にドバイ料理と言えるものは何なのかよく分からない。チャーハンを食べて、また別のカフェに入ったり、いろんな店をふらついたりする。ゆったりと過ごすにはいい街だ。

大連の吉野家、王将…2007年春2012/11/23 21:33

茂木 信太郎著
『吉野家』
生活情報センター、2006年

   東京地方裁判所は、1987年(昭和63)年3月、吉野家の会社更生手続きを終結を決定した。
(中略)
   倒産の原因は、何であったのか。
   つぶさに明らかにされている。それは、安くもない、うまくもない、牛丼を売ったからだと。では、いったいなぜ、安くもない、うまくもない、牛丼となってしまったのか。
   急激な店舗増設による牛肉需要の急増化に、牛肉の供給が追いつかなくなったからである。



  中国東北地方の大連。この街は歩いて回れるので、効率的に観光することができる。繁華街は賑わっている。外食産業も勢いがある。吉野家があった。わざわざ中国まで来て日本の牛丼とは思ったが、食べたくなってしまう。日本の牛丼と同じで大変おいしい。価格も日本と変わらない。ということは大連の人にとってはかなり贅沢な食事になるだろう。



 王将もあった。こちらには入らなかったが、日本の外食産業の意気込みをかんじることができた。経済が豊かになるにしたがって、食生活も変化する。特にアジア諸国は変化を簡単に受け入れる。インドなどはもう少し食生活に対して保守的なようだが。

北京の吉野家…2009年春2012/11/27 21:48

茂木 信太郎著
『吉野家』
生活情報センター、2006年

   吉野家にはファンが多いのか、多いとするとなぜなのか私が見るところ、吉野家のサービスの基本は、常連客対応である。この常連客に焦点を当てたサービスのあり方が、吉野家の居心地の良さを作り出すもとになっているというのが、私の見解である。



   今度は北京。ショッピングセンターの食堂街は大賑わい。生活水準がかなり高くなったので、外食も増えたのだろう。学生時代、中国からの留学生が増えていたが、彼らはよく自炊をしていた。大学の食堂で食べるとお金がかかったからだろう。
   さて、ここでも日本食はかなり普及していた。日本風のラーメン屋があったし、吉野家もあった。勿論、吉野家も大変な人気だった。若干日本と違うメニューもある。マクドナルドなんかもその国にしかないメニューがあるし、吉野家が外国用のメニューを考えてもおかしくない。

ローマで立ち食いピザ…2001年夏2012/11/30 21:29

ゲーテ著、高木久雄 訳
『ゲーテ全集 第11巻』
潮出版社、1979年

<イタリア紀行>
   体の具合がじつにいい。天候は、ローマ人の言い方にしたがえば、不良である。毎日、多少とも雨をともなうシロッコが吹く。しかしこの天候をぼくは不愉快とは思わぬ。ドイツの夏の雨もようの日々とはちがって、暖かだからだ。



    ローマにやってきた。パリ、ベルリン、モスクワなど欧州の大都市に比べると道が狭くて、こじんまりしている。帝政ローマ時代の遺跡や街並みを保存しているから、こうなるのだろうか。ローマには夜に入ったが、幻想的な雰囲気が良かった。タクシーの運転手は乱暴で、携帯電話でずっと話していて、怖かったが。カフェもパリに比べるとゆったりした感じがない。ある日の昼は立ち食いピザで済ます。車でお店を出している。こうしたピザやジェラートだけでお腹いっぱいになる。