クレアモントで日本料理…1983年夏 ― 2011/02/22 21:45
ピーター・F・ドラッカー著、牧野洋訳・解説
『知の巨人 ドラッカー自伝』
2009年、日経ビジネス人文庫
ただ仕事はいつも通りだ。カリフォルニア州南部のクレアモントの自宅にはファックスとタイプライターがあり、これが私の仕事道具だ。秘書はいないけれども、スケジュール管理はいつだって自分でやってきた。いまも手帳は数カ月先まで仕事のスケジュールで埋まっている。
カリフォルニア州のクレアモントに滞在していた時、一度だけ日本料理屋に連れて行ってもらった。その後、ワシントンDCを訪れた際は、日本料理を何度も食べたのだが、最初にクレアモントに長めの滞在をしたので、日本料理はその1回だけだったと思う。夜、車で出かけたので、どの場所に行ったかはよく分からなかった。そんなに遠くなかったと思う。クレアモントとは別の街だったかもしれない。
天麩羅や肉料理などが出てきた。料理はまあまあだった。ただ、お吸い物だと思ったら、コショーで味付けしたスープがあったり、本物の日本料理かと問われれば、必ずしも本物ではなかった。当時としては上出来だったのかもしれない。
『知の巨人 ドラッカー自伝』
2009年、日経ビジネス人文庫
ただ仕事はいつも通りだ。カリフォルニア州南部のクレアモントの自宅にはファックスとタイプライターがあり、これが私の仕事道具だ。秘書はいないけれども、スケジュール管理はいつだって自分でやってきた。いまも手帳は数カ月先まで仕事のスケジュールで埋まっている。
カリフォルニア州のクレアモントに滞在していた時、一度だけ日本料理屋に連れて行ってもらった。その後、ワシントンDCを訪れた際は、日本料理を何度も食べたのだが、最初にクレアモントに長めの滞在をしたので、日本料理はその1回だけだったと思う。夜、車で出かけたので、どの場所に行ったかはよく分からなかった。そんなに遠くなかったと思う。クレアモントとは別の街だったかもしれない。
天麩羅や肉料理などが出てきた。料理はまあまあだった。ただ、お吸い物だと思ったら、コショーで味付けしたスープがあったり、本物の日本料理かと問われれば、必ずしも本物ではなかった。当時としては上出来だったのかもしれない。

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