ヨハネスブルグに宿泊…2004年夏(現地は冬)(その19)2019/11/30 10:11

マーグリート・ポーランド作、リー・ヴォイト絵、さくまゆみこ訳
『カマキリと月-南アフリカの八つのお話-』
福音館書店、1988年

<雨の牡牛>
夜になると、冬の嵐がやってきました。

 早い時間にゲートに行って、飛行機を待つ。このアフリカ旅行ではインターネットを利用できなかったが、最後の最後、ヨハネスブルグ空港でネットとかメールを使うことができた。アフリカからメールを出すことができたので、もらった人はびっくりしたようだ。


ヨハネスブルグに宿泊…2004年夏(現地は冬)(その1)2019/07/27 07:42

マーグリート・ポーランド作、リー・ヴォイト絵、さくまゆみこ訳
『カマキリと月-南アフリカの八つのお話-』
福音館書店、1988年

<カマキリと月>
月をつかまえようとしたカマキリがいました。


    ジンバブエのビクトリアの滝、ボツワナのチョベ国立公園を回って、日本から最初に着いた南アフリカに戻ってきた。ここではプレトリアを観光することになっているが、宿泊地であるヨハネスブルグに向かう。ヨハネスブルグ空港を降りてから、市街地へと移動する。ヨハネスブルグは治安も良くないし、見るところもないので、宿泊するだけである。


プレトリア/メルローズ・ハウス(その4)…2004年夏(現地は冬)2013/10/05 17:25

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「本質的な身ぶり 1984」
   しかし、ソヴィエト、南アフリカ、イラン、ヴェトナム、台湾、ラテン・アメリカなどの国々では、これこそ、作家であれば当然引き受けなければならない社会的責任なのです。こうした国々では、作家は二重の要請を受けます。抑圧された人々は自分たちの代弁者になって発言してほしいと作家に迫り、その一方で、国家はその行為に対して作家を処罰しようとします。



   メルローズ・ハウスの裏庭にはお茶用の庭園があり、アンティーク市やバザーなどが開かれているようだ。プレトリアを観光すると、フォールトレッカー開拓記念碑、クルーガー・ハウス、メルローズ・ハウスを3点セットで見ることになる。いずれもボーア人、あるいは英国人対ボーア人の視点での歴史を見ることになるが、アフリカ土着の人々の視点は入ってこない。英国人にしてもボーア人にしても白人の入植者で、昔から住んでいた人たちではない。

プレトリア/メルローズ・ハウス(その1)…2004年夏(現地は冬)2013/09/28 10:39

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「ジョハネスバーグからの手紙 ---- 一九七六年 1976」
   あるチェーンストアの経営者は、たび重なるストライキとチェーン店の一軒が略奪されたために経営不振に陥ったのですが、株主総会の席で突然こんなことを言い出しました。「南アフリカ白人が何十年にわたって身勝手と独善をくりかえししてきたことが、黒人たちのあいだに広範な騒乱を引き起こした主たる原因だ」



   クルーガー・ハウスを見た後は、メルローズ・ハウスに案内される。白亜の邸宅だ。既に書いたように、第1次ボーア戦争ではボーア人は英国軍を撃退したが、第2次ボーア戦争で、戦況は逆転した。
   ここは第2次ボーア戦争で、英国軍が圧倒的な優勢に立ち、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国を追い込み、停戦へと持ち込み、フェリーニヒング条約が調印された建物である。ジョージ・ヘイスという英国人の商人が建てた邸宅である。

プレトリア/クルーガー・ハウス(その4)…2004年夏(現地は冬)2013/09/26 19:46

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「検閲され、禁止され、沈黙を強いられ 1963」
   ペーパーバック版にかんする特別規定は、書店の経営者にとってはいっそパン屋でもやっていればよかったと嘆かせるものだ。たとえば、一冊二シリング六ペンス以下のペーパーバック版を輸入することは禁止されている。この規制の意味はまちがいなくくだらないペーパーバックの流入を規制することにあった。



   このクルーガー・ハウスは友人から贈呈されたもので、 ポール・クルーガーは大統領としてこの家に住んだ。写真を見るとわかるが、それほどの大豪邸でもないし、調度品も贅沢の限りの尽くしているわけではない。ベッドルームやキッチンなども質素そのものだ。なおトランスヴァール共和国以外に、オレンジ自由国、ナタール共和国という国もあった。すべて英国領のケープ植民地に併合されることになる。


プレトリア/クルーガー・ハウス(その1)…2004年夏(現地は冬)2013/09/19 20:27

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「チーフ・ツルーリ 1959」
   ツルーリの先祖の土地はグラウトヴィル・ミッションと呼ばれる土地である。ナタール州ダーバンの近く、インド洋を臨ウムヴォティ・ミッション居留地が彼の故郷である。彼の人格はアフリカの片隅にあるこの小さな土地にどっかりと腰を下ろしている。アフリカの部族社会といえば草葺き屋根と土壁の住居があたりまえだけれども、ツルーリは子ども時代も含めて一度もそういう暮らしをしたことがない。



   プレトリアをガイドさんに案内してもらう。旅行者一人に対して、ガイドさん一人と贅沢だが、治安の悪い所も多いから、当然のことだろう。プレトリアは南アフリカ共和国の首都である。ただ、南アフリカの場合は変則的である。プレトリアは行政の首都、ケープタウンは立法の首都、ブルームフォンテーンは司法の首都と機能分担が行われている。かつてはヨハネスブルグを観光するのが定番だったようだが、あまりにも治安が悪く、プレトリア見物が観光コースになった。


   こちらはクルーガー・ハウスの対面にあるポール・クルーガー教会。なかなか重みのある建築だ。クルーガーの奥さんが埋されている。オランダ風の教会らしい。

ヨハネスブルグ空港でステーキ…2004年夏(現地は冬)2012/10/23 21:58

シドニィ・シェルダン著、天馬龍行訳
『新超訳 ゲームの達人(上)』
2010年、アカデミー出版

   バンダは白人を憎んでいる。ここは黒人の土地のはずだ。白人はよそ者にすぎない。南アフリカにはたくさんの部族が住んでいる。バスト、ズールー、ベチュアナ、マタベレ。これらの部族のすべてはバンツー族に属している。


 アフリカの南部の旅行を終えて、日本に帰ることになった。南アフリカ共和国のヨハネスブルグ。空港の敷地内にあるレストラン街のステーキ屋。メニューがあまりにも細かくて、よく分からない。写真はあまりきれいに写っていないが、美味しそうな感じだった。現地のガイドさんが最後に案内してくれた店。
 帰りはすっかりくつろいでいたが、日本を発ってこの空港に初めて到着した時は緊張していた。ヨハネスブルグは世界で最も治安の悪い都市で、空港で両替したら、後をついてこられて、襲われるなんて話もよく出ていた。大げさに語られていた面はあったが。帰国時はすっかり安心して、食事をすることができた。ステーキはとてもおいしくて、満足した。

フォールトレッカー開拓記念碑…2004年夏2010/09/07 19:48

『鉄の時代』
J・M.クッツェー著、くぼたのぞみ訳
2008年、河出書房新社

 ともに還って、血の海となる----この世が終わればそうなるのだろうか。万人の血----青いシベリアの冬空の下で、暗い緋色に染まるバイカル湖、険しい氷壁がそれを囲み、白い雪におおわれた岸にひたひたと打ち寄せるのは粘つき、淀んだ血。本来の姿にもどった、人類の血。血の総体。あらゆる人間の?いやちがう----別の場所では、有刺鉄線がはりめぐらされたカルーの、太陽がぎらぎらと照りつける、土壁に囲まれた貯水池のなかでは、アフリカーナーとそれに媚びへつらう者たちの血が、淀み、濁っているのだ。



 南アフリカのヨハネスブルグのホテルに滞在していたが、ここはあまりにも治安が悪く、ダウンタウンの観光はコースに入っていない。そこでより安全なプレトリアを観光することになる。
 プレトリアの一つの見どころがフォールトレッカー開拓記念碑だ。小高い丘にある巨大なモニュメントである。オランダ系アフリカ人が欧州大陸を離れ、南アフリカに定住した歴史を示した記念碑である。


 現地人との戦争だけでなく、イギリスとも独立戦争を戦うなどアフリカーナーの歴史は苦難に満ちていた。牛車の絵があるなど、彼らの祖先が農民であったことが理解できる。