ヴィリニュス(リトアニア)旅情(その16)…1980年夏2015/08/15 06:17

チュスワフ・ミウォシュ著、工藤幸雄訳
『囚われの魂』
共同通信社、1996年

   バルトの運命は、重苦しい心の負担となった。


   少し高い建物から旧市街をのぞむ。歩いて街を見ている時とは違って、あるいはそれ以上にビリニュスが美しく見えてくる。余計な看板とかのぼりとかないから、街並みが一層素晴らしく感じられる。リトアニアはソ連の共和国で一番先に独立を宣言したところだ。
   この時には、それから11年ちょっと後にソ連が解体するとは想像できなかった。人々の生活はそんなに豊かに見えなかったことは事実だが。ただ、このソ連訪問の直後だろうか、『ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく 』『崩壊した帝国――ソ連における諸民族の反乱』などという本が出て、しっかり読んだものだ。こうした未来を予見した書籍もけっこうあったと言える。


ヴィリニュス(リトアニア)旅情(その1)…1980年夏2015/07/11 06:12

チュスワフ・ミウォシュ著、工藤幸雄訳
『囚われの魂』
共同通信社、1996年

   なるほど、いまだに私はバルト諸国にこだわることがやめられないのは事実だ。


   この時はソビエト連邦があり、リトアニア共和国もその一員だった。レニングラード(現在サンクトペテルブルグ)に滞在中、オプショナルツアーがあるのを知って、リトアニアのヴィリニュスへの小旅行を申し込んだ。寝台列車で行って、また同じ電車で戻ってくる行程だ。
   行きの列車で朝食にパンと紅茶が出たことについては、既に写真も含めてアップした。見てくれている人もいるだろう。到着前、森と湖に恵まれた大地が開けてくる。当初は予定になかっただけに、リトアニアを訪問するに胸が高鳴ってくる。列車は片道10時間はかかっただろうか。




ビリニュス行き列車で朝食…1980年夏2012/10/30 21:29

クレメンス・マイヤー著、杵渕博樹訳
『夜と灯りと』
2010年、新潮クレスト・ブックス

<君の髪はきれいだ>
 彼は町中リトアニア人を探し回った。数えきれないほどのロシア人に会って、リトアニア人はいないか尋ねた。
 カク・ジェラ?元気?リトアニア語話せる?ニェト?誰かリトアニア語話す人知らない?



   レニングラード(現在はサンクトペテルブルグ)に滞在していた時、オプショナルツアーでビリニュスに出かけた。現在はリトアニアは独立しているが、当時はソビエト連邦の一共和国だった。寝台列車に乗って、ビリニュスに向かった。列車の中で朝食のパンを食べた。コーヒーか紅茶かたずねられたので、紅茶にした。ドイツ語で聞かれたような気もする。
 後悔してもしょうがないが、このロシア・リトアニアの旅行では食事の写真がほとんど撮れていない。草鞋のようなステーキが何度も出てきたし、料理の写真はきちんと撮っておくべきだった。泊まっているホテルでの食事がほとんどの旅行だったので、カメラを置いて食事をすることが多かったからだ。ビリニュスはロシアと文化圏も違うのか、垢抜けた印象が強かった。街並みもきれいで、西欧的な印象を受けた。