エジンバラ城(その1)…2008年夏 ― 2012/04/03 20:49
T.G.E. パウエル著、笹田公明訳
『ケルト人の世界』
1990年、東京書籍
スコットランド人の王の最後の伝統的な即位式は1249年に挙行されたが、この時教会の内部で戴冠にいたる教会の儀式を経たアレキサンダーⅢ世は、戸外に導かれて即位の記念碑にいたり、そこで臣従の礼を受け、ゲール語で吟唱される彼の系図を聴いた。
忙しい仕事を調整して、何とかイングランド、スコットランドで夏休みを過ごすことにした。原油が高騰していた時期でサーチャージもたくさんとられた。さらにポンドも高い時期だった。ロンドンに滞在してから、じっくり下調べをする暇もなく、あわただしくスコットランドにやってきた。ロンドンからエジンバラへは列車で行く選択肢もあったが、飛行機にした。アメリカに比べると、英国の方が飛行機での移動は楽である。アメリカの空港は馬鹿でかくて、一部の空港関係者の対応が悪かったりする。日本ほどではないが、事務的にもイギリスの方がしっかりしている。それはさておき、ロンドンからの短いフライトで、ようやくエジンバラに着く。ホテルもとても便利なところに位置している。先ずはエジンバラ城に向かう。エジンバラ城から下方に目をやると、美しい街並みが見える。
お城の入り口の前にある広場はCastle Esplanadeと呼ばれる。地元の軍隊がパレードする場所として、1753年に建てられた。現在はミリタリー・タトゥーという軍事パレードのお祭りが開催される。滞在したのは、このタトゥーのちょっと前だったが、準備する兵士の姿も見られた。その他コンサートも開催されたりして、世界的に有名なアーチストもやってくる。入り口にある建物がGatehouse。よく見ると二つのブロンズ像がある。自由のために戦ったスコットランドの英雄で、ウィリアム・ウォレス (William Wallace) と ロバート・ブルース(Robert the Bruce)である。ブロンズは1929年に設置された。
『ケルト人の世界』
1990年、東京書籍
スコットランド人の王の最後の伝統的な即位式は1249年に挙行されたが、この時教会の内部で戴冠にいたる教会の儀式を経たアレキサンダーⅢ世は、戸外に導かれて即位の記念碑にいたり、そこで臣従の礼を受け、ゲール語で吟唱される彼の系図を聴いた。
忙しい仕事を調整して、何とかイングランド、スコットランドで夏休みを過ごすことにした。原油が高騰していた時期でサーチャージもたくさんとられた。さらにポンドも高い時期だった。ロンドンに滞在してから、じっくり下調べをする暇もなく、あわただしくスコットランドにやってきた。ロンドンからエジンバラへは列車で行く選択肢もあったが、飛行機にした。アメリカに比べると、英国の方が飛行機での移動は楽である。アメリカの空港は馬鹿でかくて、一部の空港関係者の対応が悪かったりする。日本ほどではないが、事務的にもイギリスの方がしっかりしている。それはさておき、ロンドンからの短いフライトで、ようやくエジンバラに着く。ホテルもとても便利なところに位置している。先ずはエジンバラ城に向かう。エジンバラ城から下方に目をやると、美しい街並みが見える。
お城の入り口の前にある広場はCastle Esplanadeと呼ばれる。地元の軍隊がパレードする場所として、1753年に建てられた。現在はミリタリー・タトゥーという軍事パレードのお祭りが開催される。滞在したのは、このタトゥーのちょっと前だったが、準備する兵士の姿も見られた。その他コンサートも開催されたりして、世界的に有名なアーチストもやってくる。入り口にある建物がGatehouse。よく見ると二つのブロンズ像がある。自由のために戦ったスコットランドの英雄で、ウィリアム・ウォレス (William Wallace) と ロバート・ブルース(Robert the Bruce)である。ブロンズは1929年に設置された。
エジンバラ城(その2)…2008年夏 ― 2012/04/06 21:49
T.G.E. パウエル著、笹田公明訳
『ケルト人の世界』
1990年、東京書籍
しかし最終的には、北方におけるこのケルト支配は完全に忘れ去られる結果となった。つまり一方ではゲール語をはなすスコットランド人によって、他方ではノーサンブリアから拡張してきたイングランド人によって吸収されてしまったのである。かくして現存するスコットランド人の相続遺産の二重性、すなわち高地=ゲール語、低地=英語という二重性が生じた。
だけど、エジンバラはそうではない。品格や重みが街中に漂っている。エジンバラ城に行くまでは短い道のりだが、急な坂のある通りには、お洒落なお土産屋やレストランなどがある。目の前には、美しい紋章が。スコットランド王家の紋章で、 赤いライオン。スコットランド人の独立心や闘争心を感じる。
『ケルト人の世界』
1990年、東京書籍
しかし最終的には、北方におけるこのケルト支配は完全に忘れ去られる結果となった。つまり一方ではゲール語をはなすスコットランド人によって、他方ではノーサンブリアから拡張してきたイングランド人によって吸収されてしまったのである。かくして現存するスコットランド人の相続遺産の二重性、すなわち高地=ゲール語、低地=英語という二重性が生じた。
ホテルがグラスマーケットという大変ロケーションのいいところだった。エジンバラ城もすぐ近く。最高の見どころに歩いて数分で行けるなんて、夢のようだ。全く迷うこともなく、石畳の坂道を上がっていく。それにしても街中が中世の趣を残しており、すぐにこの街を気に入ってしまった。日本の観光地だと一部は素晴らしいのだが、全体で昔の趣を残しているところはほとんどない。
だけど、エジンバラはそうではない。品格や重みが街中に漂っている。エジンバラ城に行くまでは短い道のりだが、急な坂のある通りには、お洒落なお土産屋やレストランなどがある。目の前には、美しい紋章が。スコットランド王家の紋章で、 赤いライオン。スコットランド人の独立心や闘争心を感じる。
エジンバラ城(その3)…2008年夏 ― 2012/04/10 21:03
T.G.E. パウエル著、笹田公明訳
『ケルト人の世界』
1990年、東京書籍
マルヌ人は、古くからの定住者を追い出したというよりも、彼らが占領した地域で宗主権を形成したか、あるいは独立の少数集団を形成したと見られる。北方ではヨークシャー高原に定着し、おそらくはスコットランドの南西部まで広がった。
エジンバラ城には渋い建物が多数存在している。建物によっては建設された時代や目的が異なる。個々の建物だけを見ても美しいし、お城全体を俯瞰しても趣ある風情がある。ミクロ的にも、マクロ的にもエジンバラ城を見て楽しむことができる。スコットランドの風土や時代の重みを感じることのできる世界的な遺産だ。
『ケルト人の世界』
1990年、東京書籍
マルヌ人は、古くからの定住者を追い出したというよりも、彼らが占領した地域で宗主権を形成したか、あるいは独立の少数集団を形成したと見られる。北方ではヨークシャー高原に定着し、おそらくはスコットランドの南西部まで広がった。
まだ夕方ではないが、時間は午後になっており、間に合うかどうか心配だった。何とかエジン バラ城を見る時間はありそうだ。夏のエジンバラは観光客が多い。ただ、ミリタリータトゥーのちょっと前だったので、まだこれからという感じだった。ロンドンに比べると、そんな に日本人も多くない。
ロンドンでは時差ボケに悩まされ、意識もぼんやりしていて、苦しい旅程だったが、スコットランドに入ってだんだん身体も楽になってくる。アメリカや欧州に旅行に行く場合は、どうしても時差ボケとの戦いになる。ロンドンに比べると、小さな街なので大都会特有のストレスも感じない。
これはアーガイル伯という人物を描いた絵。アーガイル伯は、ジェームズ2世に対して反乱を起こすため、スコットランドへやってきた。しかし、反乱は失敗に終わり、エディンバラで処刑された。つかまった時の様子らしい。ロンドンでは時差ボケに悩まされ、意識もぼんやりしていて、苦しい旅程だったが、スコットランドに入ってだんだん身体も楽になってくる。アメリカや欧州に旅行に行く場合は、どうしても時差ボケとの戦いになる。ロンドンに比べると、小さな街なので大都会特有のストレスも感じない。
エジンバラ城には渋い建物が多数存在している。建物によっては建設された時代や目的が異なる。個々の建物だけを見ても美しいし、お城全体を俯瞰しても趣ある風情がある。ミクロ的にも、マクロ的にもエジンバラ城を見て楽しむことができる。スコットランドの風土や時代の重みを感じることのできる世界的な遺産だ。
エジンバラ城(その4)…2008年夏 ― 2012/04/13 20:14
森 護著
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
ブリタニア島のほぼ三分の一、その北部を占めるスコットランドの歴史は、紀元一世紀のローマ人の進出から説かれるのが一般である。しかしそれ以前のこの地は、紀元前2500年ごろ、地中海系イベリア人を初めとして、アルプス系の新石器時代の移住民主体とする地域であった。
エジンバラ城は小高い丘の上につくられている。中世のたたずまいをそのまま残した荘厳な建物であり、眺望もいいし、最高の見所と言える。中学で初めて英語を履修した時、イングランドは英国とかイギリスという意味で教わったが、それは正しくなかったといえる。英国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合王国だ。サッカーの国際チームだってそれぞれにある。もっとも古い記録としては、西暦600年にエジンバラ城が史実としてとりあげられている。スコットランド王たちの住まいとして定着したようだ。スコットランドのメアリー女王の息子が誕生し、スコットランドとイングランドの王となった。
これは何かの歴史的事実を伝えるものだろうか。左側には戦士たちと思われる人たちがたくさんいる。右側にいる人たちは聖職者だろうか。スコットランドに関わるモニュメントにおいては、こうした闘争や独立を巡るシーンがよく見られる。
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
ブリタニア島のほぼ三分の一、その北部を占めるスコットランドの歴史は、紀元一世紀のローマ人の進出から説かれるのが一般である。しかしそれ以前のこの地は、紀元前2500年ごろ、地中海系イベリア人を初めとして、アルプス系の新石器時代の移住民主体とする地域であった。
エジンバラ城は小高い丘の上につくられている。中世のたたずまいをそのまま残した荘厳な建物であり、眺望もいいし、最高の見所と言える。中学で初めて英語を履修した時、イングランドは英国とかイギリスという意味で教わったが、それは正しくなかったといえる。英国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合王国だ。サッカーの国際チームだってそれぞれにある。もっとも古い記録としては、西暦600年にエジンバラ城が史実としてとりあげられている。スコットランド王たちの住まいとして定着したようだ。スコットランドのメアリー女王の息子が誕生し、スコットランドとイングランドの王となった。
これは何かの歴史的事実を伝えるものだろうか。左側には戦士たちと思われる人たちがたくさんいる。右側にいる人たちは聖職者だろうか。スコットランドに関わるモニュメントにおいては、こうした闘争や独立を巡るシーンがよく見られる。
入り口にウィリアム・ウォレス(William Wallace) と ロバート・ブルース(Robert the Bruce)のブロンズ像があったことには触れた。この二人はスコットランドの戦士である。これはそのうちの一人である。ロバート・ブルース(Robert the Bruce)の名前を読み取ることができる。その後、ロバート1世としてスコットランド国王となり、イングランドの影響力を排除し、スコットランドを完全に独立させた人物である。
エジンバラ城(その5)…2008年夏 ― 2012/04/17 21:36
森 護著
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
スコットランド王の紋章については、ウイリアム一世のものといわれるライオン以前にはドラゴンをシンボルにしていたともいわれ、それを片脚立ちのライオン(lion rampant)にしたのがウイリアム一世という。
日本のお城も含めて、お城はいわば要塞であり、攻めにくいものでなければならない。このお城には紀元前の古い時代から人が住んでいたという説があるが、中世、近世を通じて、いろんな建物が追加的に建てられ、発展してきたようである。だからエジンバラ城はスコットランドの歴史そのものを背負った歴史的建築物ともいえる。この地域の人々の苦しみやイングランドとの抗争、スコットランド独自の文化や歴史などいろんなものを伝えるお城でもある。この人形たちは、ジェームズ6世の戴冠の様子を示している。
こちらは美しい絵。よく見ると、名前の書かれた人物もいる。一人はJoan Beaufortというスコットランド王ジェームズ1世の后で、15世紀前半に位にあった。もう一人はAnabella Drummond というスコットランド王ロバート3世の后だった人。14世紀後半に生きた人。一番左の女性はMureという文字が見える。Elizabeth Mureだろう。後にスコットランド王ロバート2世となった人の妻で、14世紀後半より前に亡くなっている。この絵をさらに眺めてみると、男たちが旗を持っている。旗には、スコットランド王室の紋章の赤いライオンが描かれている。
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
スコットランド王の紋章については、ウイリアム一世のものといわれるライオン以前にはドラゴンをシンボルにしていたともいわれ、それを片脚立ちのライオン(lion rampant)にしたのがウイリアム一世という。
日本のお城も含めて、お城はいわば要塞であり、攻めにくいものでなければならない。このお城には紀元前の古い時代から人が住んでいたという説があるが、中世、近世を通じて、いろんな建物が追加的に建てられ、発展してきたようである。だからエジンバラ城はスコットランドの歴史そのものを背負った歴史的建築物ともいえる。この地域の人々の苦しみやイングランドとの抗争、スコットランド独自の文化や歴史などいろんなものを伝えるお城でもある。この人形たちは、ジェームズ6世の戴冠の様子を示している。
こちらは美しい絵。よく見ると、名前の書かれた人物もいる。一人はJoan Beaufortというスコットランド王ジェームズ1世の后で、15世紀前半に位にあった。もう一人はAnabella Drummond というスコットランド王ロバート3世の后だった人。14世紀後半に生きた人。一番左の女性はMureという文字が見える。Elizabeth Mureだろう。後にスコットランド王ロバート2世となった人の妻で、14世紀後半より前に亡くなっている。この絵をさらに眺めてみると、男たちが旗を持っている。旗には、スコットランド王室の紋章の赤いライオンが描かれている。
エジンバラ城(その6)…2008年夏 ― 2012/04/20 20:50
森 護著
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
戦いは一方的なジェイムズ二世軍の勝利であった。それは彼が導入した大砲の威力であった。マリ伯は戦死し、オーモンド伯も捕らえられて後処刑された。
デビッド1世の母を記念してつくられたマーガレット教会(St Margaret's Chapel)。このお城にはいろんなものが時代ごとに建てられてきたが、この教会は12世紀に建築されたようだ。教会らしい厳かな雰囲気がある。ロンドン、オックスフォードを訪問して、そこでも美しい教会を見てきたから、お城の中の教会というちょっと趣の異なる教会をスコットランドで見られたことには感激した。
エジンバラ城を見学しながら、時おり市街を見おろすこともできる。どこから見るかによって、その風景も異なってくる。それぞれの風景は違うが、落ち着き、典雅な雰囲気については共通している。エジンバラの中心街は旧市街と新市街にわかれている。緑地もきれいに整理されていて、心をなごまさせてくれる。
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
戦いは一方的なジェイムズ二世軍の勝利であった。それは彼が導入した大砲の威力であった。マリ伯は戦死し、オーモンド伯も捕らえられて後処刑された。
デビッド1世の母を記念してつくられたマーガレット教会(St Margaret's Chapel)。このお城にはいろんなものが時代ごとに建てられてきたが、この教会は12世紀に建築されたようだ。教会らしい厳かな雰囲気がある。ロンドン、オックスフォードを訪問して、そこでも美しい教会を見てきたから、お城の中の教会というちょっと趣の異なる教会をスコットランドで見られたことには感激した。
エジンバラ城を見学しながら、時おり市街を見おろすこともできる。どこから見るかによって、その風景も異なってくる。それぞれの風景は違うが、落ち着き、典雅な雰囲気については共通している。エジンバラの中心街は旧市街と新市街にわかれている。緑地もきれいに整理されていて、心をなごまさせてくれる。
エジンバラ城(その7)…2008年夏 ― 2012/04/24 21:22
森 護著
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
乱世の統治は全くの不向きの国王ではあったが、ジェイムズ三世の文化面に残した業績は極めて高い。風に吹かれるようにゆれ動きながらも、見るべき文化的業績を残したのであるから、その在位を全うすれば、まさにスコットランドの咲き誇るルネッサンス時代の国王と特記される人物になっていただろう。
このお城も他の例と同様に、要塞であり、軍事的行動の中心地であった。ここに「兵士の犬のお墓」というのがあった。お花も植えられている小さなお墓が目をひく。この犬は軍事的な任務をお手伝いする犬だったのだろうか。警察犬のような存在だったのだろうか。あるいは日頃の軍事的な勤めを癒してくれる愛玩用のペットだったのだろうか。どうやらペットとして飼われていたようだ。ここもエジンバラ城におけるちょっとした見所である。
ロイヤル・パレスという名の宮殿。ここはスコットランドの王族が住んでいた王宮である。この宮殿は王や女王の住居だった。スコットランドのメアリー女王の部屋もあり、ここで国王ジェームズ6 世(イングランド1世)を出産している。庭の部分は、クラウン・スクエアと呼ばれている。15世紀を起源としており、もともとはお城のメインの中庭だった。エジンバラ上で最も美しい建物の一つだ。ここにある時計は4時45分を指している。夕方にさしかかる時間だが、緯度が高いので、まだまだ明るい。
そういえばカクテルに、ブラッドリー・メアリーというのがあるのをご存じだろうか。これはまさに、血まみれのメアリーという意味であり、彼女が関わった英国史、スコットランド史を象徴している。欧州の王族の歴史は血で血を洗うような権力争い、殺し合いが珍しくない。最後は処刑されたメアリー・スチュアートの生涯をかえりみても、なかなか陰惨なもの がある。
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
乱世の統治は全くの不向きの国王ではあったが、ジェイムズ三世の文化面に残した業績は極めて高い。風に吹かれるようにゆれ動きながらも、見るべき文化的業績を残したのであるから、その在位を全うすれば、まさにスコットランドの咲き誇るルネッサンス時代の国王と特記される人物になっていただろう。
このお城も他の例と同様に、要塞であり、軍事的行動の中心地であった。ここに「兵士の犬のお墓」というのがあった。お花も植えられている小さなお墓が目をひく。この犬は軍事的な任務をお手伝いする犬だったのだろうか。警察犬のような存在だったのだろうか。あるいは日頃の軍事的な勤めを癒してくれる愛玩用のペットだったのだろうか。どうやらペットとして飼われていたようだ。ここもエジンバラ城におけるちょっとした見所である。
ロイヤル・パレスという名の宮殿。ここはスコットランドの王族が住んでいた王宮である。この宮殿は王や女王の住居だった。スコットランドのメアリー女王の部屋もあり、ここで国王ジェームズ6 世(イングランド1世)を出産している。庭の部分は、クラウン・スクエアと呼ばれている。15世紀を起源としており、もともとはお城のメインの中庭だった。エジンバラ上で最も美しい建物の一つだ。ここにある時計は4時45分を指している。夕方にさしかかる時間だが、緯度が高いので、まだまだ明るい。
そういえばカクテルに、ブラッドリー・メアリーというのがあるのをご存じだろうか。これはまさに、血まみれのメアリーという意味であり、彼女が関わった英国史、スコットランド史を象徴している。欧州の王族の歴史は血で血を洗うような権力争い、殺し合いが珍しくない。最後は処刑されたメアリー・スチュアートの生涯をかえりみても、なかなか陰惨なもの がある。
エジンバラ城(その8)…2008年夏 ― 2012/04/27 23:12
森 護著
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
メアリーは母方の祖母であるギーズ公夫人アントワネットに預けられてフランス式の教育を受けた。ブルボン家生まれで、宗教心厚く、厳格な彼女は、メアリー に外国語、作詩をはじめ、ダンス、乗馬、音楽、刺繍と、当時の高貴な女性の必須とするものすべてを教育し、スコットランドでは到底望めないフランス風のレ ディーに仕立てあげた。
これは鍛冶屋が働いている様子。"Andrew Leys" "1536"という文字が読める。Andrew Leysはスコットランドの優秀な鍛冶屋だった人らしい。ローマ法王からスコットランド王に与えられた王冠に磨きをかけて改良したとのこと。日本でも「村の鍛冶屋」という歌があるが、鍛冶屋というのは働き者の代表のように思われる。しっかりとした技術を身につけた職業人である。仕事に誇りを持って取り組んでいるイメージがある。何が専門なのかよく分からない日本の多くのサラリーマンとは比較しようがないのだろうか。
そして何やら不気味な空間に入っていく。戦争の監獄(The Prisons of War)。18世紀末の囚人たちの悲惨の生活を物語っている。このエジンバラ城には王族がいたり、牢獄があったり、今一つイメージがつかめない。しかし、牢獄というと何のためにあるのか分かりやすいので、日本人には馴染みのない歴史上の人物や史実に関係するものより面白い。冬は特にそうなのだろうが、エジンバラそのものの天候も悪そうだし、日当たりも悪そうなので、この牢獄は最悪の環境だろう。こんなところに閉じ込められたら、気がおかしくなること間違いなしであ る。
『スコットランド王国史話』
1998年、大修館書店
メアリーは母方の祖母であるギーズ公夫人アントワネットに預けられてフランス式の教育を受けた。ブルボン家生まれで、宗教心厚く、厳格な彼女は、メアリー に外国語、作詩をはじめ、ダンス、乗馬、音楽、刺繍と、当時の高貴な女性の必須とするものすべてを教育し、スコットランドでは到底望めないフランス風のレ ディーに仕立てあげた。
これは鍛冶屋が働いている様子。"Andrew Leys" "1536"という文字が読める。Andrew Leysはスコットランドの優秀な鍛冶屋だった人らしい。ローマ法王からスコットランド王に与えられた王冠に磨きをかけて改良したとのこと。日本でも「村の鍛冶屋」という歌があるが、鍛冶屋というのは働き者の代表のように思われる。しっかりとした技術を身につけた職業人である。仕事に誇りを持って取り組んでいるイメージがある。何が専門なのかよく分からない日本の多くのサラリーマンとは比較しようがないのだろうか。
そして何やら不気味な空間に入っていく。戦争の監獄(The Prisons of War)。18世紀末の囚人たちの悲惨の生活を物語っている。このエジンバラ城には王族がいたり、牢獄があったり、今一つイメージがつかめない。しかし、牢獄というと何のためにあるのか分かりやすいので、日本人には馴染みのない歴史上の人物や史実に関係するものより面白い。冬は特にそうなのだろうが、エジンバラそのものの天候も悪そうだし、日当たりも悪そうなので、この牢獄は最悪の環境だろう。こんなところに閉じ込められたら、気がおかしくなること間違いなしであ る。
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