三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その41)2017/11/01 08:47

吉川永青著
『我が糸は誰を操る』
講談社、2011年

   劉備は舌打ちして、涙を落とす張飛から顔を背けた。


   これは文字通り、斧を持った武士ということだろう。日本では武士が斧を持っているというのはイメージがわかない。ところが中国では斧が戦闘でけっこう疲れたようだ。こんな斧の直撃を受けたことを想像するだけで、空恐ろしくなる。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その42)2017/11/02 08:52

吉川永青著
『我が糸は誰を操る』
講談社、2011年

   日が暮れる頃になって、民はようやく落ち着きを取り戻し始めた。


 斧を持った武士以外に、剣を持った武士もいる。武士が件を持っているというのは自然に受け入れられる。この時代、宋の時代と書かれているが、三国志よりもはるかに時間が経っているから、この展示の位置づけはよく分からない。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その43)2017/11/03 07:13

吉川永青著
『我が糸は誰を操る』
講談社、2011年

曹操は瞑目して溜息をつく。


   最初は悪魔かなんかに見えてしまった。これも龍だろうか。麒麟にしては胴が長すぎる。既に書いたように、龍は皇帝とも縁の深い高貴な存在である。日本でも辰は十二支のひとつである。辰だけが想像上の生き物だが、龍とまったくイコールということでもないらしい。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その44)2017/11/04 06:25

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

   城郭は、どこの地方都市も大体同じ造りになっていた。


   足元の風景を撮ったもの。どうということはない写真だが、念のために撮っておいたものだ。ヨーロッパに出かけるとつい石畳を撮影してしまうが、同じようなノリで撮ったものだ。成都らしく、一日中天気は曇りだった。歩くところも濡れていなくて、快適に過ごすことができた。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その45)2017/11/05 07:14

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

   孫晋は起き上がり、大の字になったままの程晋を見下ろした。


   小さな橋がある。孔明と書いてある。孔明が書いた文なのか、孔明のことを他の人が書いたのかよく分からない。後ろにあるのが作者なのか。「三顧」という文字があるから、劉備が三顧の礼で諸葛孔明を迎えて、孔明が仕えることになったことが書かれているのではないか。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その46)2017/11/06 08:44

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

「たわけッ。孫子の光胤を騙るなど言語道断だ!」


   ここには池もあるし、こうした小川のようなところもある。池につながっている小川だっただろうか。成都では水は十分足りているのだろうか。成都は総人口1400万人もいるというから、相当な水需要があるだろう。先進国では日本、カナダが豊かな水資源を持っている国として知られていて、中国もかなり関心を持っている。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その47)2017/11/07 08:44

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

漢寿攻めは、呆気なく片付いた。


   二重の塔があった。本来、ここは鐘だか、太鼓だかがある塔だと思ったが、どちらも写ってないようだ。たまたまはずしていたのだろうか。似たような建物が他にもあるかもしれないから、よくわからない。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その48)2017/11/08 08:49

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

   呂布が、これを追って赤兎馬を馳せる


   何やら石碑がある。ちょっとピントがずれているので、よく分からない。観光客がいるが、よそから来た人だろうか。京都のある人が「地元・京都の寺なんてまったく関心がない」と言っていたが、意外と他から来る人の方が関心が高かったりする。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その49)2017/11/09 10:34

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

「玉璽を、お手にとられましたな」
「いかんのか?」


   不思議なものが展示されている。お土産屋の入口だったのではないかと記憶している。お土産を売っているところでは、当然のことながら三国志にちなんだものが多い。中国はどこに行ってもパンダのものがあるが、ここ四川省はまさにパンダの故郷だから、そういうものがあって当然だろう。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その50)2017/11/10 08:52

吉川永青著
『我が槍は覇道の翼』
講談社、2011年

   悲壮な決意を胸に、程晋は馬を駆った。


   ここは三義廟。三義とは、劉備、関羽、張飛の三人が仲間となったことを指した言葉だ。だからこの廟には三人が祀られている。義兄弟の契りを結んだと言われている。この三人の名前は日本でもけっこう知られている。きちんと説明文を読むと、清の時代につくられたとある。文化革命の時代に壊されてしまって、復元されたようだ。