ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その3)2022/01/05 11:03

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<生存のよろこび>
おれは並木路で
茂みに下に寝ている。

列車はとても力強い感じがした。東ドイツ製だったと聞いた。真夜中に、機関車の入れ替えがあったのか、大きな音がして、放送の声とかして、なかなか眠れなかった。シベリアという土地柄、ちょっと怖い感情もわいてきた。これはどこかの駅にでも止まった時に撮影したのだろうか。考えてみたら、当時は駅とか空港は撮影禁止ではなかっただろうか。話はそれるが、このソ連の食べで食事をほとんど撮影していなかったことが残念だ。わらじのようなステーキをホテルでけっこう食べたのだが、その写真がなかった。食事の時にカメラを持っていくべきだった。


ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その4)2022/01/12 13:31

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<呑み友達について>
多くはいらぬ、わずかな食べものさえあれば。
呑んだくれが周囲にいてさすれればいい。

朝起きると、白樺の林が延々と続く。まさにロシアの大地、シベリアの大地を走行しているということで感慨は大きかった。寝台車だったので、朝があけると風景が一変する。本当に何もない光景が続く。昔のカメラにしては、しかもスピードを出している列車から撮ったにしては、よく撮れている写真だ。北海道の光景にも似ている。北海道はこの10年後に札幌から稚内まで寝台列車に乗ったが、同じような光景に出会った。ここでも白樺林が続いていた。いずれにしても寂寥とした地だ。住んでいる人はかなり少ないだろう。


ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その5)2022/01/19 14:48

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<この世の煩い>
さあ、へべれけに呑もうじゃないか。

これは何だろうか。農業施設か何かだろうか。さっぱりわからない。途中戦車を乗せた車両とすれ違った、たまたまカメラを持っていた人がばっちり撮影していたので、すごくうらやましいと思った。そういうものは撮影は禁止なのだろうが、そこまで乗客が監視されているわけではない。おんぼろで、あまり立派な建物ではないが、電気は通じているようだ。電線らしきものが見えるからだ。ロシア革命では「電化」がかなり重視されてきた。遅れて発展していたロシアには電力の普及が至上命題だった。


ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その6)2022/01/25 11:09

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<酔いどれ讃歌>
マルクスから編みだされた作り話で。
くだらぬものは百年でも続けさせるがいい。

レーニンの肖像画が書いてあり、政治的スローガンが出ている。直訳すれば、「共産主義の勝利は避けられない」という意味になる。最後の形容詞は、長語尾ではなくて、短語尾という用法で使われている。なかなかこの使い分けはロシア語でも難しい部類に入る。しかし、あまり立派とは言えない建物にここまで力強いスローガンが書かれているアンバランスさが面白い。レーニンが持っているのはソ連共産機関誌のプラウダである。ちなみにイズベスチヤはソ連の政府機関紙である。ソ連にいた時に、日本の近海でソ連の原潜が事故を起こして日本国内では大騒ぎだったのに、この情報が入らなかった。情報統制はかなりきびしく行われいた証左である。