桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その42)2024/06/11 14:56

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「久しぶりに鶏をつぶすか」

 木と十字架が入った写真になった。もうそろそろ、この教会の観光も終わりである。大邱は韓国でも暑いところだそうで、日本も最近は夏はどこでも暑いのでそんなに差がないが、やはり外にいてだんだんお昼が近づいてくると、つらくなってくる。この教会を見終わったら、周辺を少し歩いてみたいと思う。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その41)2024/06/04 17:39

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
客が帰ってから私は鮎の礼をのべた。

 これはペットを連れた人に対する注意喚起の文章か何かだろうか。アルファベットの言語だと、その文字をネットの翻訳サイトに打ち込めば、だいたいの訳はわかるのだが、ハングルはできないこともないが、面倒なので、そこまではやらない。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その40)2024/05/25 21:23

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「ずいぶん灼けましたのね」

 教会の敷地内に木が植えられている。それほど広い敷地ではないが、効率的に建物などが建てられている。韓国で暮らしたことがないので一年を通じでどんな気候かはわからない。大陸の国なので、日本と植物も異なるのだろうか。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その39)2024/05/13 15:00

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
私は般若心経を読んだ。

 これは誰かの葬儀だろうか。当然、この教会の関係者ということになるだろう。聖職者の関係かもしれない。かなり盛大な規模になっている。大勢の参加者がいるので、信者もかなり増えてきたのだろう。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その38)2024/05/02 16:49

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
私はつよい言葉で引導をわたした。

 朴正煕大統領がこの教会で結婚式をあげたらしい。カトリックだからというわけでもなかったようだ。日本でもクリスチャンでない人が教会で結婚式を挙げる例はいくらでもある。大統領、夫人ともに暗殺されているので、まさに悲劇というしかない。その娘の朴槿恵大統領まで弾劾で罷免されてしまって、さらに悲劇が重なってしまった。といっても、韓国の大統領経験者で晩年まで無事に過ごせる人は少ない。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その37)2024/04/03 16:38

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「いえ、あきません。蕎麦は好きですから」

 1929年と出ている。時代とともに建物も拡張されていったのだろう。どんな建物であっても、そういうことはよくある。信者が増えていけば、拡張する意味もあるだろう。教会に限らず、組織が大きくなっていけば、そういうこともある。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その36)2024/03/27 14:27

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「畑仕事はこたえませんか」

 これも教会が改修されたり、発展していた時代なのだろう。初期の頃であるが、この大邱に地に根をおろして、教会として大きくなっていく過程だと言えるだろうか。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その35)2024/03/20 15:34

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
袋をさげて表にでたら、西陽で長い谷戸のまちに影ができていた。

 1918年と出ている。鼓笛隊か吹奏楽団だろうか。教会がつくったものだろうか。カトリック教会と鼓笛隊、吹奏楽団があまり結びつかないが、当然に関係のあるものが出ているのだろう。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その34)2024/03/01 16:15

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「そういうことにするか」

 1906年とある。小さい女の子が相撲をとっているようにも見える。なんかよくわからない写真だ。教会は既にできている時代だ。信者を増やしたり、教会を改修していた時代かもしれない。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その33)2024/02/20 16:40

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「銭湯に行ってくるよ」

"Paul Robert Achille"と書かれているから、この人の銅像なのだろう。どうやらフランス人らしい。1877年に韓国に来ているようだが、この教会との関係はよく分からない。大邱で布教活動を行って、この教会の建設につながったのかどうかもわからない。ただ、日本について言えば、明治でキリスト教が解禁になり、カトリックの司祭で来日したのはフラン人が圧倒的に多い。自分の全人生、全財産を日本での宣教に捧げた司祭のことを考えると、感慨深いものがある。多くの子供たちが、自分のお小遣いの中から、そうした司祭へ喜んで寄付をしていることも付言しておきたい。