桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その9)2023/08/01 14:37

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
ある日の午後、私は本院に行った。

 こちらは「第一教会」という別の教会である。長老派の教会らしい。こちらの方が建物が立派に見えるから、最初は勘違いしてしまった。こんなにも立派な教会がいくつあるから、韓国は熱心なクリスチャンが多いことがわかる。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その8)2023/07/25 10:19

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
ところが山をおりる日にこの靴下も消えていた。

 これもきれいなステンドグラスである。使徒、教父の誰かだろうか。子供の時に、セロハンを使って、ステンドグラスの作品をつくらされたような記憶がある。これはすぐ誰かわからない。使徒か聖人か。カトリックの聖人はたくさんいるので、こんなにもという印象を持つことがある。そして、毎年のように列福者、列聖者が決められている。マザーテレサの列聖もとてもはやかったことを思い出す。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その7)2023/07/19 14:23

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「鏡台、割ってしまったよ」

 これは聖母マリア祈りの肖像画。ジョバンニ・バティスタ・サルヴィの作品のようである。なかなかきれいなステンドグラスである。大邱にやってきたわけだが、どんな街かわからないままに、来てしまった。韓国で3つめか、4つめに大きな都市らしい。このカトリック教会も由緒あるものらしい。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その6)2023/07/13 09:58

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「よろしい。勉学に励め」

 ハングル文字を見て、「ミサ」という意味ではないかと理解した。「ミサ中だから部外者は入ってくるなとか、静かに」という意味の文章が書いてあったのだろうか。シスターと思われる方が座っているのが見える。こうした信仰心はどこから来るのだろうか。と、当時は思っていたが、今はカトリックの洗礼を受けて、ミサに通っている。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その5)2023/07/04 13:30

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
前年の秋、私は母につれられてこの町から汽車に乗り大邱に行ったことがあったので、この町はこんどで二度目であった。

こちらは十字架も入れた教会の建物。また趣が違って、なかなかいい感じだ。この建物はもともと木造だったようだが、その後、建て替えられたのこと。1902年というから、100年以上も経っており、歴史的、文化的な価値もある建物である。カトリック教会なので、十字架にイエス・キリストがつけられている。そこは多くのプロテスタント諸派とは異なるところだ。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その4)2023/06/27 10:09

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
「鐘台、こわかったよ」

 別の教会の巨大な建物が最初に目に入ってしまったので、この桂山聖堂の建物がちょっと小さく見える。実際に、それほど巨大な大きさを誇る建物ではない。でも、なかなか落ち着いた感じで、色合いなどもいい。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その3)2023/06/20 10:08

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
私は、どこか遠い国の物語を聞いたような気がした。

 ここが桂山聖堂であることを示す石碑のようである。カトリック教会である。日本に比べて、韓国はクリスチャンの比率が格段に高い。プロテスタントの方が多いようだが、それでもカトリックもそこそこいる。最近は外国人の信徒も目立っている。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その2)2023/06/13 14:35

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
老師は寒山・拾得の話をした。

 このあたりの地図だろうか。何とかハングル文字は地名の大雑把な判読くらいはできるのだが、きちんと韓国語をマスターしてないので、ぱっと見て意味も分からないし、判読できないこともある。逆に、漢語も多いので、類推が聞く場合もある。


桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その1)2023/06/06 10:01

立原正秋著
『新潮現代文学  61  冬のかたみに・帰路』
新潮社、1980年

<冬のかたみに>
 父が無量寺から十日ぶりに下山してきた早春のある日の夕食のときだった。

 大邱の桂山聖堂に行くつもりだったが、この教会があまりに立派なので、最初はこれがそうかと思ってしまった。半月堂という地下鉄の駅で降りて、場所を探していたのだが、ちょっと分かりにくいところだった。


午後のヘルシンキを歩く…2013年夏(その61)2023/05/30 10:26

森本覚丹訳
『カレワラ-フィンランド国民的叙事詩(上)』
講談社学術文庫、1983年

 さて、だいたいの観光を終えて、空港に戻ろうと思う。飛行機にいきなり乗るのではなく、泊っているヒルトンホテルが空港と隣接した敷地内にあるので、宿に戻るということである。リムジンバスで30分ほどの距離なので、そんなに遠くには感じない。夜遅い到着、朝早い出発だから、こういう空港内ホテルはとても便利である。