桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その43) ― 2024/06/21 16:45
桂山聖堂(大邱)を見学する…2018年夏(その1) ― 2023/06/06 10:01
LCCで大邱(テグ)に到着…2018年夏(その34) ― 2018/10/16 08:37
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水原 華城行宮を歩く…2014年夏(その29) ― 2016/11/17 10:47
水原 華城行宮を歩く…2014年夏(その1) ― 2016/10/20 09:18
京畿道 水原を歩く…2014年夏(その21) ― 2015/12/22 08:55
京畿道 水原を歩く…2014年夏(その1) ― 2015/11/19 09:05
釜山の地下鉄(その2)…2002年夏 ― 2014/06/24 20:24
金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年
夜十時が過ぎて、終着駅の一つ手前の釜山鎮駅に着いた。そこで降り、灯火管制で真っ暗な駅舎を抜け出して、水晶洞にある伯母の家に行った。そこへ来ているはずの手紙が気にかかっていた。
コモドホテルという朝鮮王宮を再現した素敵な風情のホテルにとまった。地下鉄の釜山駅から歩いて10分くらいの便利なところ。坂があったり、やや道は入り組んでいたが、地下鉄の駅には難なく到着することができた。やたらロシア語の看板があり、この頃からロシア人が世界中に進出していくことになる。その前の年にベルリンの動物園に行った時もロシア語が聞こえてきた。ソ連時代には考えられなかったことだ。
いずれにしもて、釜山の地下鉄を使いこなして、快適に街を巡ることができた。2002年9月から10月にかけて、釜山でアジア競技大会が開かれたが、その直前だったこともあって、警備が徐々に強化されているのが分かった。アジア競技会を歓迎する看板もあちこちにあった。天気があまり良くなかったので、霧雨が煙る釜山の姿を見ることになった。
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年
夜十時が過ぎて、終着駅の一つ手前の釜山鎮駅に着いた。そこで降り、灯火管制で真っ暗な駅舎を抜け出して、水晶洞にある伯母の家に行った。そこへ来ているはずの手紙が気にかかっていた。
コモドホテルという朝鮮王宮を再現した素敵な風情のホテルにとまった。地下鉄の釜山駅から歩いて10分くらいの便利なところ。坂があったり、やや道は入り組んでいたが、地下鉄の駅には難なく到着することができた。やたらロシア語の看板があり、この頃からロシア人が世界中に進出していくことになる。その前の年にベルリンの動物園に行った時もロシア語が聞こえてきた。ソ連時代には考えられなかったことだ。
いずれにしもて、釜山の地下鉄を使いこなして、快適に街を巡ることができた。2002年9月から10月にかけて、釜山でアジア競技大会が開かれたが、その直前だったこともあって、警備が徐々に強化されているのが分かった。アジア競技会を歓迎する看板もあちこちにあった。天気があまり良くなかったので、霧雨が煙る釜山の姿を見ることになった。
釜山の地下鉄(その1)…2002年夏 ― 2014/06/21 07:51
金素雲著、崔博光訳、上垣外憲一訳
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年
渡船で釜山の市街に着くと、そこに相生館という映画館がある。(当時は「映画」などという言葉はなく、専ら「活動写真館」といったが、)その相生館の前で晴れた日は大抵大道易者が干支を大きく描いた布切れを地面にひろげて、運命鑑定の講釈をしていた。
釜山は地下鉄で巡る。東京、ソウルほど大きな街ではないので、路線もそんなに大規模ではない。それがゆえに、とってもわかりやすい。夜遅く、雨が降っている時に到着したので、街の様子がわからなかった。ホテルもユニークな建物だったが、あらためてそのことを確認することになる。着いた時はどしゃぶりだった。
翌朝起きて、街に繰り出す。着いた時のような大雨ではないが、始終小雨模様だった。だからこそ地下鉄はありがたかった。霧雨の中の釜山を観光した。釜山は日本から近いので、当然、時差ボケはない。身体も楽だ。釜山から近いので、慶州にも行くことにした。いずれにしても、地下鉄を使って、釜山の主な観光地はだいたい回ることができた。
『天の涯に生くるとも』
新潮社、1983年
渡船で釜山の市街に着くと、そこに相生館という映画館がある。(当時は「映画」などという言葉はなく、専ら「活動写真館」といったが、)その相生館の前で晴れた日は大抵大道易者が干支を大きく描いた布切れを地面にひろげて、運命鑑定の講釈をしていた。
釜山は地下鉄で巡る。東京、ソウルほど大きな街ではないので、路線もそんなに大規模ではない。それがゆえに、とってもわかりやすい。夜遅く、雨が降っている時に到着したので、街の様子がわからなかった。ホテルもユニークな建物だったが、あらためてそのことを確認することになる。着いた時はどしゃぶりだった。
翌朝起きて、街に繰り出す。着いた時のような大雨ではないが、始終小雨模様だった。だからこそ地下鉄はありがたかった。霧雨の中の釜山を観光した。釜山は日本から近いので、当然、時差ボケはない。身体も楽だ。釜山から近いので、慶州にも行くことにした。いずれにしても、地下鉄を使って、釜山の主な観光地はだいたい回ることができた。
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