聖ワシリー寺院…1980年夏2010/02/12 23:28

 トルストイ著、工藤精一郎訳
 『戦争と平和(四)』
 2006年、新潮文庫


 クレムリンの強化は、そのために回教寺院 (ナポレオンはワシーリイ・ブラジェンヌイ寺院をこう呼んでいた)を取りこわさねばならぬほどの工事だったが、まったく無益な工事であることがわかった。クレムリンの下に地雷をしかけたことも、モスクワを去るときにクレムリンを破壊しようという皇帝の希望の実現を助けただけで、まるで子供が床にころんで、八つ当たりして床をなぐりつけるようなものだった。


 モスクワにて。クレムリン、赤の広場の近くに、この葱坊主の形をした寺院がある。正確にいえば、赤の広場の敷地内にこの寺院がある。この界隈に来れば、日本人がステレオタイプでロシアやモスクワの象徴だと思っているものがほとんど見られてしまう。当時のソ連では神様のように思われていたレーニンの廟もある。
 さて、赤の広場、クレムリンというと、革命、権力と直結し、ものものしい雰囲気が漂っているが、それに比べると、この寺院はユーモラスなところもあり、ある種の親しみを持つことができる。単にとんがっているだけではなくて、葱坊主の丸々とした形状は見るものの心を落ち着かせる。
 ところが、この聖ワシリー寺院にも恐ろしい逸話が残っている。あまりにも美しい寺院に感動したイワン雷帝は二度と同じような建物が造られないようにと、設計者の目玉をくりぬいたということだ。ロシア・ソ連の指導者については、こんな話に事欠かない。

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