セーヌ川の絵描き…1998年夏 ― 2011/04/01 21:15
洪世和著、米津篤八訳
『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』
2002年、みすず書房
こんちくしょう!
私は罪のないセーヌ川に当たり散らした。ソウルに漢江が流れるように、パリにはセーヌ川が流れる。どちらも日が昇る方角から日が沈む方角へと流れ、漢江は西海〔黄海〕に注ぎ、セーヌは英仏海峡の側、大西洋へと注ぎ込む。ところが漢江はソウルを江南と江北に分けて流れるが、セーヌはパリを左岸と右岸に分けて流れるのだ。こんちくしょう!川の水さえも、一方は南北を分けるのに、もう一方は左右を分けるのか!
シンガポール経由でパリにやってきた。パリの象徴といえば、セーヌ川。川のほとりで画家たちの卵が似顔絵屋さんをやっている。パリに行ったことのない人でも、セーヌ川という言葉を聞けば、お洒落なものを想像する。
『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』
2002年、みすず書房
こんちくしょう!
私は罪のないセーヌ川に当たり散らした。ソウルに漢江が流れるように、パリにはセーヌ川が流れる。どちらも日が昇る方角から日が沈む方角へと流れ、漢江は西海〔黄海〕に注ぎ、セーヌは英仏海峡の側、大西洋へと注ぎ込む。ところが漢江はソウルを江南と江北に分けて流れるが、セーヌはパリを左岸と右岸に分けて流れるのだ。こんちくしょう!川の水さえも、一方は南北を分けるのに、もう一方は左右を分けるのか!
シンガポール経由でパリにやってきた。パリの象徴といえば、セーヌ川。川のほとりで画家たちの卵が似顔絵屋さんをやっている。パリに行ったことのない人でも、セーヌ川という言葉を聞けば、お洒落なものを想像する。
英国のテムズとも趣が違う。川だけではなく、街のイメージとも重なるからだろう。川に沿って航行する船が橋の下を通る。この日の川の流れはとても静かだ。
テムズの南にて…1997年夏 ― 2011/04/05 20:42
徳仁親王著
『テムズとともにーー英国の二年間』
1993年、学習院教養新書
議事堂、ビッグ・ベン、セント・ポール寺院といったロンドンを代表する建物を背景として流れるテムズ川と間近に対して、初めてテムズ川がロンドンの景観に 果たしている大きな役割を見たように思えた。テムズ川は、かつて感じた多少汚れた川のイメージから、ロンドンの景観に必要不可欠な存在として、急速に私の 心をとらえ始めた。しかし、この時点ではテムズ川が留学中の研究テーマになろうなどとは思いもしなかったのである。
エレファント&キャッスルという駅で降りてみる。特に見所がある場所ではなさそうだ。日本人の駐在員、旅行者はテムズの北ばかりを徘徊しているようだ。ただ、最近ではエレファント&キャッスルあたりに住む日本人も少なくないらしい。再開発もかなり進んだようだ。特派員の報道にはみっちりロンドンの下町を取材したものがあまりないようだが、大新聞の特派員もこうした下町あたりに住んでみてはどうかと思う。
『テムズとともにーー英国の二年間』
1993年、学習院教養新書
議事堂、ビッグ・ベン、セント・ポール寺院といったロンドンを代表する建物を背景として流れるテムズ川と間近に対して、初めてテムズ川がロンドンの景観に 果たしている大きな役割を見たように思えた。テムズ川は、かつて感じた多少汚れた川のイメージから、ロンドンの景観に必要不可欠な存在として、急速に私の 心をとらえ始めた。しかし、この時点ではテムズ川が留学中の研究テーマになろうなどとは思いもしなかったのである。
テムズ川。ロンドンの象徴とも言える川。有名な橋とイメージも重なって、無限大へと想像力を駆り立てられる。テムズの南はあまり行かない方がいいと言われた。そんなこと言われると行ってみたくなる。地下鉄で少しだけ南に下ってみよう。夕方も近くなっており、あまり遠くへ行くと暗くなってしまうが。
水の都でネバ川クルーズ…1980年夏 ― 2011/04/08 20:25
中野吉宏著
『いつかモイカ河の橋の上で』
2004年、第三書館
エルミタージュの前で、お礼を言って、ホテルに戻ろうと思った時、マリアンナがイリヤと何やら相談を始めた。そして、「うちで夕食にしませんか?」と誘ってきたのだ。私は迷うことなく招きに応じた。彼らのアパートはエルミタージュ前の宮殿橋を渡って少し歩いたところにあった。
食卓には、パン、きゅうり、ソーセージ、そしてソビエトに来て初めてのコーヒーが出た。それもトルコ式だ。
ペトロバブロフスク要塞が目の前に大きく突き出てくる。この要塞の建設からサンクトペテルブルグが始まったという。この要塞の中にはペトロパブロフスク聖堂やドストエフスキーも収監された牢獄もある。
『いつかモイカ河の橋の上で』
2004年、第三書館
エルミタージュの前で、お礼を言って、ホテルに戻ろうと思った時、マリアンナがイリヤと何やら相談を始めた。そして、「うちで夕食にしませんか?」と誘ってきたのだ。私は迷うことなく招きに応じた。彼らのアパートはエルミタージュ前の宮殿橋を渡って少し歩いたところにあった。
食卓には、パン、きゅうり、ソーセージ、そしてソビエトに来て初めてのコーヒーが出た。それもトルコ式だ。
ソ連(現在のロシア連邦)のレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)に長いこと滞在していた。さすがに水の都だけあって、豊かな水をたたえるネバ川を十分に堪能することができた。ここまで大きな都市なのに、ゆったりした川の流れが生活に溶け込んでいる。現地で知り合いになったロシア人に船に乗せてもらって、ネバ川のクルーズを楽しむ。夏だというのに、船上に吹く風はとても冷たい。
ペトロバブロフスク要塞が目の前に大きく突き出てくる。この要塞の建設からサンクトペテルブルグが始まったという。この要塞の中にはペトロパブロフスク聖堂やドストエフスキーも収監された牢獄もある。
モイカ河のほとりにて…1980年夏 ― 2011/04/12 21:28
中野吉宏著
『いつかモイカ河の橋の上で』
2004年、第三書館
思い出の橋の上で記念の写真を撮り、ターニャたちからは住所と電話番号をもらい、エドワルノとは、明日、一緒に美術館に出かける約束をした。北京から断続的に旅を共にしてきたサラとは本当に最後となる挨拶をした。そして4人は地下鉄のエスカレーターへと消えて行った。
『いつかモイカ河の橋の上で』
2004年、第三書館
思い出の橋の上で記念の写真を撮り、ターニャたちからは住所と電話番号をもらい、エドワルノとは、明日、一緒に美術館に出かける約束をした。北京から断続的に旅を共にしてきたサラとは本当に最後となる挨拶をした。そして4人は地下鉄のエスカレーターへと消えて行った。
レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)というとネバ川だが、他にも有名な運河がある。モイカ運河もその一つ。帝政ロシアの時代は運河が重要な交通や運搬の手段だったようだ。街の中を散策すると川の多い美しい都との印象を受ける。水に恵まれたピョートルの都。大阪と姉妹都市ということだが、川の位置付けでも共通点がある。 ここはモイカ運河に沿った通り。静かなところだ。モスクワに比べても、こちらは少しのんびりしている。この界隈の昔からの趣は変わっていないのだろう。ドストエフスキーの小説の一場面にもありそうな一角だ。このあたりは立派な建物が多く、裕福な人たちが住んでいたような雰囲気だ。
ダブリンとリフィー川…1997年夏 ― 2011/04/15 22:37
ジェイムズ・ジョイス著、柳瀬尚紀訳
『ダブリーナーズ』
2009年、新潮文庫
20代後半のこの人物は、柔らかな薄茶色の口髭を生やし、いささか世間知らずのグレーの眸をしている。父親は急進的な国民党員として世に出たが、早くに主義を変えてしまった。キングズタウンで屠牛人をして金を作り、ダブリン市内と郊外に店をいくつか開いて元手をしこたま殖やした。
英国のロンドンを先ず見てから、ダブリンに入った。大都市というよりは、中都市という感じ。のんびりした街にすぐ馴染む。まだ、この頃はアイルランド観光もそれほどメジャーではなく、ちょっと寂しいイメージを持っていたが、観光客は予想以上に多くて、快活な街だった。観光名所のほとんどは徒歩で見られた。
ダブリン市民にとって身近な存在のリフィー川。そこにハーフペニー橋がかかっている。この橋もダブリンの名所のひとつだ。一時は通行料をとっていたとのこと。歩行者のみが渡れる小さな橋である。『ダブリーナーズ』
2009年、新潮文庫
20代後半のこの人物は、柔らかな薄茶色の口髭を生やし、いささか世間知らずのグレーの眸をしている。父親は急進的な国民党員として世に出たが、早くに主義を変えてしまった。キングズタウンで屠牛人をして金を作り、ダブリン市内と郊外に店をいくつか開いて元手をしこたま殖やした。
英国のロンドンを先ず見てから、ダブリンに入った。大都市というよりは、中都市という感じ。のんびりした街にすぐ馴染む。まだ、この頃はアイルランド観光もそれほどメジャーではなく、ちょっと寂しいイメージを持っていたが、観光客は予想以上に多くて、快活な街だった。観光名所のほとんどは徒歩で見られた。
ポトマック川の水面を見つめて…2007年秋~冬 ― 2011/04/19 20:57
メアリー・チャーチ・テレル、「合衆国の首府で黒人であることの意味は何か 1906.10.10」
荒このみ翻訳、『アメリカの黒人演説集--キング・マルコムX・モリスン他--』
2008 年、岩波文庫
15年来、私はワシントンで暮らしておりますが、最初にここへやって参りましたときでも、楽園とはほど遠い場所でした。以来、まったく私たちにとって耐えがたい場所になるように、あらゆる努力がなされているように見えます。黒人女性である私が、ある晩、見知らぬ場所のよそ者としてワシントンに足を踏み入れたとします。私は何マイル歩いても歩いても、体を休める場所を見つけることはできないでしょう。
ジョージ・ワシントンの私邸であり、大統領府でもあったマウント・バーノンを訪れた時のこと。屋敷や農場を見てまわって、アメリカ建国時のことを思い起こす。紅葉が美しく、園内の木々の美しさはこの上もないものだった。
最後に、奴隷記念碑、ワシントンの墓を見て、感傷的な気分になる。それからどんどんと歩いていくと、ポトマック川に面した場所にたどり着いた。
この日は休日で、公的なアポイントメントもなく、くつろいだ時間を過ごすことができた。水面も静かで、穏やかだった。どこから見るかによって、ポトマック川の表情も変わってくる。ここで見たポトマック川は湖のようだった。
荒このみ翻訳、『アメリカの黒人演説集--キング・マルコムX・モリスン他--』
2008 年、岩波文庫
15年来、私はワシントンで暮らしておりますが、最初にここへやって参りましたときでも、楽園とはほど遠い場所でした。以来、まったく私たちにとって耐えがたい場所になるように、あらゆる努力がなされているように見えます。黒人女性である私が、ある晩、見知らぬ場所のよそ者としてワシントンに足を踏み入れたとします。私は何マイル歩いても歩いても、体を休める場所を見つけることはできないでしょう。
ジョージ・ワシントンの私邸であり、大統領府でもあったマウント・バーノンを訪れた時のこと。屋敷や農場を見てまわって、アメリカ建国時のことを思い起こす。紅葉が美しく、園内の木々の美しさはこの上もないものだった。
最後に、奴隷記念碑、ワシントンの墓を見て、感傷的な気分になる。それからどんどんと歩いていくと、ポトマック川に面した場所にたどり着いた。
この日は休日で、公的なアポイントメントもなく、くつろいだ時間を過ごすことができた。水面も静かで、穏やかだった。どこから見るかによって、ポトマック川の表情も変わってくる。ここで見たポトマック川は湖のようだった。
サイゴン川での鬼ごっこ…2004年春 ― 2011/04/22 20:27
近藤紘一著
『サイゴンから来た妻と娘』
1981年、文春文庫
ともかく、メコン・デルタの自然の恵みは圧倒的だった。サイゴンへ赴任した頃、親しくなったベトナム人記者が、
「オレの村では釣らなくてもサカナがとれる。果物も昼寝をしていればしぜんに降ってくる」
としきりに吹聴した。
と思った矢先、どこから来たのか、絵葉書売りの少女がつきまとう。絵葉書くらい買ってもいいのだが、押し付けられるとその気がなくなる。その少女から逃げながら、川沿いを走る。ちょっとした鬼ごっこだ。
『サイゴンから来た妻と娘』
1981年、文春文庫
ともかく、メコン・デルタの自然の恵みは圧倒的だった。サイゴンへ赴任した頃、親しくなったベトナム人記者が、
「オレの村では釣らなくてもサカナがとれる。果物も昼寝をしていればしぜんに降ってくる」
としきりに吹聴した。
ベトナムのホーチミンに滞在。サイゴン川のほとりを歩く。ここは人が少ないし、ホーチミンの街中にあふれるほどいる物売りもいない。街中の喧騒がどっかへ消えてしまった。水はけっこう淀んでいるだし、透き通った感じとは程遠い。ベトナムに来て、はじめて静かな時間を過ごせたようだ。
と思った矢先、どこから来たのか、絵葉書売りの少女がつきまとう。絵葉書くらい買ってもいいのだが、押し付けられるとその気がなくなる。その少女から逃げながら、川沿いを走る。ちょっとした鬼ごっこだ。
ハンガンの河岸を散策…2001年春 ― 2011/04/26 21:25
洪世和著、米津篤八訳
『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』
2002年、みすず書房
セーヌがパリを左右両岸に分かつ理由は、セーヌそのものにある。セーヌはパリを抜けると、あたかも蛇が身をくねらせるように「S」字やハングルの「*リウル」字を描いて流れる。それにともなって南側だった左岸が北側にもなり、北側だった右岸が南側にもなる。 *表示できないが、己に似た字
この漢江(ハンガン)の北と南で住んでいる人の経済社会的な環境が違うということもよく聞く。南の方は新興街なのだが、経済的に成功した人が住んでいて、華麗な雰囲気があって、リッチな住宅街が多いと聞く。日本に比べると、韓国は格差の多い国でもある。それにしても漢江(ハンガン)は大きな川だ。この時期なのでまだいいが、ソウルの冬は凍てつく季節であり、寒々とした漢江(ハンガン)も見てみたい。
『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』
2002年、みすず書房
セーヌがパリを左右両岸に分かつ理由は、セーヌそのものにある。セーヌはパリを抜けると、あたかも蛇が身をくねらせるように「S」字やハングルの「*リウル」字を描いて流れる。それにともなって南側だった左岸が北側にもなり、北側だった右岸が南側にもなる。 *表示できないが、己に似た字
韓国ソウルの漢江(ハンガン)の周辺を散歩する。実はちょっと前に仕事でソウルに来たのだが、観光する間もなかったので、またプライベートで来たのだ。アメリカやヨーロッパに比べると、近くて移動も楽だし、余裕をもって観光できる。治安が良いこともある。
この漢江(ハンガン)の北と南で住んでいる人の経済社会的な環境が違うということもよく聞く。南の方は新興街なのだが、経済的に成功した人が住んでいて、華麗な雰囲気があって、リッチな住宅街が多いと聞く。日本に比べると、韓国は格差の多い国でもある。それにしても漢江(ハンガン)は大きな川だ。この時期なのでまだいいが、ソウルの冬は凍てつく季節であり、寒々とした漢江(ハンガン)も見てみたい。
オックスフォード運河の流れ…2008年夏 ― 2011/04/29 21:07
徳仁親王著
『テムズとともにーー英国の二年間』
1993年、学習院教養新書
ここで、少しばかりオックスフォードの概略を紹介しよう。現在のオックスフォード市は人口十万人強、ロンドンの西北西約九十キロに位置しているテムズ川中 流域の町である。オックスフォードという地名の起こりは、浅瀬(ford)があり、牛(ox)が渡れたことに由来する。
駅を出て歩くと、最初に目についたのがこの小さな川。中心街を歩いていると、川のある街という雰囲気はしない。短い滞在だったが、オックスフォードは勉強するには最適の環境にある。
『テムズとともにーー英国の二年間』
1993年、学習院教養新書
ここで、少しばかりオックスフォードの概略を紹介しよう。現在のオックスフォード市は人口十万人強、ロンドンの西北西約九十キロに位置しているテムズ川中 流域の町である。オックスフォードという地名の起こりは、浅瀬(ford)があり、牛(ox)が渡れたことに由来する。
忙しい日程を調整して、英国にやってきた。ちょうどこの時、サーチャージもべらぼうに高く、旅行社 の人からどうしますかと聞かれたが、イギリス訪問を断行した。イングランドだけではなく、スコットランドの訪問も組んでいた。さて、ロンドンから電車に 乗って、小一時間するとオックスフォードに着く。
駅を出て歩くと、最初に目についたのがこの小さな川。中心街を歩いていると、川のある街という雰囲気はしない。短い滞在だったが、オックスフォードは勉強するには最適の環境にある。
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