オックスフォードのクライストチャーチ(その1)…2008年夏2011/07/01 20:02

マシュー・スケルトン著、大久保寛訳
『エンデュミオンと叡智の書』
2008年、新潮文庫

 オックスフォードでの短い休み中に、母からじきじきに勉強を教われば、また集中力をとりもどすだろう、と思われていた。「ものの見方を変えてみることよ」と、担任の先生は、そのひと言で何もかも説明がつくというように言った。


 
  ロンドンから1時間ほど電車に乗れば、大学街のオックスフォードにたどりつく。クライストチャーチはオックスフォード大学でも最も有名なカレッジの一つである。卒業生については、多くの首相はじめ有名人をあげたらきりがない。


 オックスフォードに限らず、英国の大学教員は職住接近で、大学のある街に住むのが当然となっている。日本の場合、理系の教員は大学にしっかり根付いているが、文科系の教員が大学から遠く離れて住んでいる場合が多い。英国の学者にいわせると、びっくりするそうだ。よその街に暮らしていたら、じっくり研究したり、学生を指導したりできるのだろうかと。


オックスフォードのクライストチャーチ(その2)…2008年夏2011/07/05 20:26

マシュー・スケルトン著、大久保寛訳
『エンデュミオンと叡智の書』
2008年、新潮文庫

 不意に、僕は、セオドリックの手に書かれているものの意味がわかった。セオドリックは写実生で、写本彩飾師だ。オックスフォードの修道院の学寮の一つに僕を連れてきたのだ。


 
 イギリスの有数の学園都市オックスフォードを巡る。 教育制度というのは国によってかなり異なる。ユニバーシティが総合大学、カレッジが単科大学という定義に納得してしまうが、英国の大学教育の仕組みはそう単純なものではないらしい。学生は両方に属するが、拠点となるのはカレッジだ。


 じっくり勉強するなら、こんな環境があって当然だろう。オックスフォードは自転車が多い街だ。クライストチャーチという一番有名なカレッジのキャンパスを歩く。日本にありがちなプレハブのような安っぽいキャンパスとは全然違う。宗教的な荘厳さも漂っている。


 クライストチャーチというと今年の2月地震で被害を受けたニュージーランドの都市も同じ名前だ。実際に、この大学から名前をつけたそうだ。日本語に訳せば、「キリスト教会」という平凡な響きもするが、大学がここまで威厳を持っていることが羨ましい。


オックスフォードのクライストチャーチ(その3)…2008年夏2011/07/08 20:17

L・キャロル著、矢川澄子訳、金子國義絵
『不思議の国のアリス』
1994年、新潮文庫

 カエル従僕はおなじくもったいぶった口調でくりかえした。ただちょっぴりことば順が変ってただけだ。
「女王さまより、公爵夫人にクロケー競技へのご招待ですな」



   ルイス・キャロルもこのクライストチャーチでも学び、とりわけ数学に関しては優秀な成績をおさめた。この学校でも数学を教えることとなった。『鏡の国のアリス』『不思議の国のアリス』といった作品はオックスフォードでの生活にも根ざしたものである。アリス・リデルという実在の少女がモデルになっていた。
 

 オックスフォードというアカデミックな環境の中で、こうした物語が生まれたことも納得できる。クライストチャーチをはじめ、各カレッジにはそろぞれの特色があるので興味深い。
 

 皇太子殿下が留学されたマートンカレッジはオックスフォードの最古のカレッジである。『ブライズヘッド再訪』で有名な作家のイーヴリン・ウォー は文学で定評のあるハートフォード・カレッジで学んだことがある。


オックスフォードのクライストチャーチ(その4)…2008年夏2011/07/12 22:42


L・キャロル著、矢川澄子訳、金子國義絵
『不思議の国のアリス』
1994年、新潮文庫

 アリスの思いついたのは、せいぜいこういってやることぐらいなものだ。「これは公爵夫人のネコですもの。あの方に相談なさったら?」
「あの女は牢屋だね」女王様は首切り役人に、「ここに連れておいで」いわれて首切り役人は矢のようにとんでいった。



 クライストチャーチは『ハリーポッター』の撮影の一部にも使われたようで、近年ますます人気が出ている。それを実感させるのがこの食堂。こんな食堂で子供や学生たちが毎日食事をしたら、情操教育の点でも良いかもしれない。


 このクライストチャーチには典雅な大聖堂がある。この点でも、クライストチャーチはオックスフォーでは際立っている。大聖堂内の中にはこれまた美しいステンドグラスがある。ずっと見ていても飽きることがない。
 ところで、「機械の中の幽霊」「カテゴリー錯誤」という言葉で有名な哲学者ギルバート・ライルもオックスフォード大学で学び、クライストチャーチの講師をつとめた。


カリフォルニア大学バークレー校…2007年秋~冬2011/07/15 21:41

井上篤夫著
『孫正義 世界一をめざせ!』
2005年、実業之日本社

 あるとき、実業家の父・三憲が喫茶店を経営することになった。孫を天才だと信じている父は、息子にアイデアを求めた。
「正義、何かいい考えはないか」
「山小屋風にしたらいい」
 かくして、町中でくつろげる癒しの空間、山小屋風喫茶店は大繁盛した。

 私がはじめて孫に会ったのは20年近く前だが、そのときから今日までの孫の方向性は一貫していて、微動だにしていない。
「やがて一人ひとりがPC(パーソナルコンピュータ)をもつ時代がやってきます。そのときはネットワークでつながります」


 アメリカで研修中、サンフランシスコを拠点とする日程があった。ある休日、NPO団体に勤める日系アメリカ人の女性がサンフランシスコを案内してくれた。
 彼女はカリフォルニア大学バークレー校とかの出身とのこと。アメリカの名門大学というと、私立大学が多いとの印象があるが、州立大学であるカリフォルニア大学バークレー校は世界におけるトップ校であり、理系、文系ともに評価が高い。卒業生には孫正義・ソフトバンク社長など日本で活躍している人も目立つ。
 サンフランシスコからもカリフォルニア大学バークレー校のキャンパスが見える。アメリカは大学院重視の国なので、サンフランシスコを案内してくれた女性も最低マスターくらいはとっておかないと将来のキャリアアップにつながらないと説明してくれた。だから大学院への進学を考えていると言っていた。ワシントンDCでお世話になったNPO団体の人もジョンズ・ホプキンス大学で博士号を取得したとのこと。なお、このUCバークレー校には、言語哲学を専門とする世界的な学者であるジョン・サールをはじめ、超一流の教員が多くいる。


スチュワーツ・メルビルカレッジ…2008年夏2011/07/19 20:27

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
「機会の窓辺--リーバス警部の物語--」
『貧者の晩餐会』
2004年、早川書房

 テレビが衛星放送のスポーツ番組を流している。クリケット試合で、イングランドと西インド諸島の対戦である。スコットランド人がクリケットを見ないというのは誤った説である。エジンバラのパブの客は何であれ見るし、とりわけイングランドの敗北が濃厚なときには熱心に見ている。とてつもなく陰気で暗い<スコッツ・バー>は、イングランドの完敗を目前にして、陽気なカリブ海諸国へ引っ越したかのようだった。

 

 エジンバラのフェテス・コレッジを見た後だけに、学校という看板を見つけると気になってしまう。スチュワーツ・メルビルカレッジ(Stewart’s Melville College)という立派なキャンパスを見つけた。中に立ち入ったわけではないが。ここも立派なキャンパスだ。ここはスポーツ、音楽、芸術でも定評のある学校らしい。図書館がしっかりしており、ここが勉強の中心となっているとのこと。私立の男子校だが、姉妹校である女学校との交流も盛んらしい。卒業生にはオリンピックメダリストや一流のラグビー選手が多いようだ。
 

ロイヤル・マイル小学校…2008年夏2011/07/22 20:11

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
「キャッスル・デンジャラス--リーバス警部の物語--」
『貧者の晩餐会』
2004年、早川書房

「これをモーニング・ルームへ持って行きましょうか?」
彼女は周囲を見た。「この部屋は嫌なので……今は」
 母音を引っぱる彼女のエジンバラ訛りだと、モーニングが”喪服”を意味するモーニングに聞こえた。

 

   エジンバラを散歩していると、Milton House Public School なる名称のついた荘厳な建物をたまたま見つけた。後から調べてみると、以前はMilton House Public School という学校だったそうだ。今は、Royal Mile Primary School(ロイヤル・マイル小学校)となっている。この小学校は公立の学校。
  なぜ私立のパブリックスクールが公立の学校になったのかはその経緯は今ひとつよく分からない。さて、英国には公立でも特定の宗派の系列の学校があるが、ここは宗派のない学校とのこと。それにしても歴史と伝統を感じさせるこのキャンパスは圧巻。エジンバラならではの光景だ。

クレアモントのカレッジ群(その1)…1983年夏2011/07/26 20:33

ピーター・F・ドラッカー著、牧野洋訳・解説
『知の巨人 ドラッカー自伝』
2009年、日経ビジネス人文庫

  2005年1月、クレアモントの自宅でドラッカー氏と会った際に、同氏の体調が悪いことは知っていた。だが、自伝『ドラッカー 二十世紀を生きて』(その文庫本が本書)を同年8月に出版したばかりで、そこには「まえがき」も書いてくれていたのだ。予想外だった。


 
 カリフォルニア州クレアモントで研修を受けていた時、授業は大学の校舎で行われたし、宿泊は大学の寮を使わせてもらった。ここクレアモントではいくつかのカレッジがある。学部だけではなく大学院もある。それぞれのカレッジがお互いに連携して、授業や単位を融通し合っている。クレアモントのカレッジはどこもレベルが高く、授業に対する評価も高い。 レクチャーや宿泊については、Claremont McKenna College, Pitzer Collegeを主に利用させていただいた。


  ここは寝泊りした寮の部屋。本来なら2人部屋で、さらに2つの部屋で一つのバス、トイレを使うことになっていたが、2人部屋に1人で滞在するよう取りはからってくれた。事前に日本で読んでおくように言われた英文の指定図書も持ってきて、部屋に置いておいた。ベンジャミン・フランクリンの自伝もあった。このプログラムを企画してくれたクレアモント研究所がアメリカの政治思想を得意としていることも関係していた。




クレアモントのカレッジ群(その2)…1983年夏2011/07/29 06:22

ピーター・F・ドラッカー著、牧野洋訳・解説
『知の巨人 ドラッカー自伝』
2009年、日経ビジネス人文庫

 私は現在、米カリフォルニア州の地方都市クレアモントに住んでいる。ドラッカー氏の「第二の故郷」である。日本経済新聞の「私の履歴書」用に同氏にインタビューするため、2004年と2005年に二度にわたってクレアモントを訪問したことがある。その当時、ここに住むことになるとはつゆ思わなかった。



  クレアモントには幾つかのカレッジがあり、このキャンパスでレクチャーを受け、宿舎に寝泊りした。夏真っ盛りだったが、地中海性気候のせいか木陰は涼しいし、夜になると気温がぐんと下る。噴水の水がますます涼しさを感じさせる。


 ここはポモナカレッジのキャンパス。この建築物はBridges Auditorium。日本人の中にはポモナカレッジの名を知らない人も多いが。しかし、アメリカではポモナと聞けば、最難関のカレッジで、その授業内容もしっかりしていることは有名であある。クレアモントはこうしたカレッジ群やクレアモント研究所がある大学・研究都市である。ロスアンジェルス郊外にあるこの小さな街は、勉強したり、研究したりするには最適の環境だ。大学都市ではあるが、オックスフォードのような規模ではない。ポモナも含めてクレアモントのカレッジは全て小さいが、 教官と学生が膝を突き合わせて勉学をするには恵まれた場所といえる。