モスクワ地下鉄(その2)…1980年夏 ― 2014/03/18 19:52
海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年
中条百合子「モスクワ印象記」
総ての権力をソヴエトへ。ーー赤いプラカートが十月の風にはためいて街の上にあった。其以来、CCCPの標語は様々に推移して、現在では、元の蝙蝠座今の第一諷刺劇場の幕切れにまで赤い布が出る。白い文字がその上にある。文字は左から大きく工業化へ!
モクスワの地下鉄。モスクワに最初に短い滞在をして、その後レニングラード(現在サンクトペテルブルグ)に長い滞在をして、またモスクワに戻ってくるというパターンだった。最初はモスクワの方が印象が良かったが、レニングラードに馴染んできて、そちらの方が気に入ってしまった。
ただ、地下鉄のある都市は旅行者にとってとても動きやすい。モスクワもその一つだ。地下鉄の車内でシャッターを押す。当時のソ連は写真撮影にけっこう制限があったので、緊張していたが、誰も止める者はいなかった。
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年
中条百合子「モスクワ印象記」
総ての権力をソヴエトへ。ーー赤いプラカートが十月の風にはためいて街の上にあった。其以来、CCCPの標語は様々に推移して、現在では、元の蝙蝠座今の第一諷刺劇場の幕切れにまで赤い布が出る。白い文字がその上にある。文字は左から大きく工業化へ!
モクスワの地下鉄。モスクワに最初に短い滞在をして、その後レニングラード(現在サンクトペテルブルグ)に長い滞在をして、またモスクワに戻ってくるというパターンだった。最初はモスクワの方が印象が良かったが、レニングラードに馴染んできて、そちらの方が気に入ってしまった。
ただ、地下鉄のある都市は旅行者にとってとても動きやすい。モスクワもその一つだ。地下鉄の車内でシャッターを押す。当時のソ連は写真撮影にけっこう制限があったので、緊張していたが、誰も止める者はいなかった。

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